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「どうして、渡ツネオさんと私を会わせたのかって聞いているの」
栄美は自らフラレに行く一歩手前みたいな、複雑極まる表情でおれに詰め寄った。
これから出撃する兵士といった感だ。
胸に重く苦い鉛の塊を飲み込んだまま、おれは説明する。
「何度も言ってるだろ。売れっ子作家のアイツと知り合っておいた方がお前の将来に繋がるって。良い方向で」
栄美は腑に落ちないといった表情を、目鼻立ちのはっきりした美しい顔にありありと浮かばせた。
そして、
「でも、ぶっちゃけ、あの人私に気があるとか、そういうの無い?」
さすがモテ女、鋭い。
というより、渡の態度があからさま過ぎるのか。
「去年のイブに飲んだ時だってさ、何か色々私の事持ち上げてきたし……」
「あいつは女で、しかも美人だったら誰でも持ち上げるんだろ」
「……『美人』?」
しまった。
おれが迂闊に褒めるとコイツは調子に乗る。
案の定、そのチョコレート色の肌を、分かりづらいが真っ赤に染めて両手で両頬を挟みおれの様子を伺っている。
「『美人』たってさ、客観的に見たらだよ。おれはお前の顔フツーに見れるし」
「でも、祐樹にいが私の外見褒めてくれる事なんて無いじゃん」
栄美はフローリングの筋を右手人差し指の爪で軽く引っ掻いている。引っ掻き続けている。
猫かお前は。
胸の大きい猫科の動物か。
そう言えば今日のセーターは身体によくフィットする系で2つの胸の膨らみを強調している。
しかし、栄美は決心したようだ。
おれに対して、こんな質問を投げ飛ばしてきた。
「祐樹にいは、さ。好きな人いるの?」
「……聞いてどうするんだよ」
おれの低い声色で栄美は察したようであった。
「……ああ、こりゃ、いるんだね」
栄美は分かりやすく落胆していた。
その場凌ぎの嘘を吐く気はない。
これはおれの妄想だが、いつかmamiさんと付き合う事になったら、栄美にも紹介しなくてはいけなくなる所だろう。
結婚式や披露宴の時とか、幼馴染兼仕事仲間として栄美を呼んで……って、これも捕らぬ狸の妄想だが。
mamiさんを狸に例えるのは良くない。
あっちこっちに女を作って平気でいるヤツの方が多いんだろうが、ヤンデレのおれはそういう器用な事が出来そうにない。
かと言って、おれの事を長年想ってくれている栄美をここでバッサリとフるのも心が痛む。
だから、鉛の塊はおれの胸から消えていってくれないのだ。
おれは昔話を始めた。
「渡のアニメ化パーティーでさ、声優の柳田さんにおれのペンネームの由来を聞かれただろ」
「……そうだね」
「おれ参っちゃったよ。……隣にお前がいるのに」
「……どゆこと?」
栄美は興味を持ったようだった。
「おれ、お前に黙ってた事がある。一生言うつもりも無かったんだけど」
「一生? そんなに?」
栄美の目の中におれへの恋情が見える。
「くだらない事だ。おれが高校生、お前が中学生の時の話」
「うん」
栄美が身を乗り出す。
「ブレザー姿のお前がさ、おれに言うんだよ。『アルタイルってさ、七夕の彦星の星座だよね』って」
「うん」
「おれが、『それがどうした』って聞いたら、お前の返事はこんなだった。『別に。ヴェガと一緒に勝手にカップルにされて星的に迷惑だよねー』って」
栄美は要領を得ない顔を見せている。
「お前、昔からモテてたじゃん。勝手にハイレベルの男子とカップル扱いされて迷惑がっていたからそんな事を言ったんだと思うんだ」
たったそれだけの事。
たったそれだけのこの会話が妙に頭から離れなくて、それにペンネームなんて本さえ出せればどんなのでもいいと思ってたからそのまま付けさせて貰った。
でも、顔は綺麗で可愛くても性格的にガチムチの兄貴のような栄美だが、こんな風におれの細かい想い出に残る程の人間であったって事だ。
おれはおれなりに、栄美の事を大切に思っている。
年下の友達だとか妹だとかのような存在と言うとまた違うけど。
それに、戦友でもありライバルでもあるけど。
渡のヤツなんぞと無理矢理くっ付けよう等ととんでもない。
万が一ヤツの性格が直れば考えてやらなくもないが。
「……だからさ、お前がいなければ、『亜流タイル』という名のラノベ作家は存在していなかったって事」
話し終えたおれは、多少照れ臭かった。
自分がおれにとってどんな立ち位置だったかを知った栄美は、少しだけ、少しだけ嬉しげな顔を見せる。
「そっか……。私もそのペンネーム不思議だなって思ってたけどそんな話からとはね。すっかり忘れてたよ」
ニッコリ笑っておれに質問。
「で、『アルタイル』さんの『ヴェガ』はどんな感じの女の子?」
おれはぐうと言葉に詰まる。
「……まだよく知らない」
「はあ!? 何それ何それ!? よく知らない人が好きなの!?」
「言っとくけど2次元じゃないぞ……」
「信じられない……」
これじゃあまだまだ私がついてないと祐樹にいが変な女に引っかかっちゃうんじゃない? と、栄美は大きな胸を張って嬉しげに言った。
自分だって充分変な女の癖に。
まあ、何にせよ栄美の笑顔を取り戻せて良かった。
おれの事を恋愛的に諦めてはいなさそうなのが気に掛かったが。
ドアの向こう側で何やらガリガリと音がする。
犬のタロくんが開けてくれと催促しているのだった。
「タロくんっていくつだっけ」
「5歳。そろそろ散歩の時間だな」
おれと栄美は、連れ立ってタロくんの散歩に行く事にした。
冬の川沿いは冷たい空気でおれ達の息を凍らせた。