最悪のタイミング(2)
「散歩中に逃げ出しちゃったのかな? きっと飼い主さんが探しているよね」
ヴィーゼルが薫をじっと見る。
何か言いたそうだ。
「どうしようか。とりあえず保護した方がいいよね。段ボール持ってくる」
桃子は厨房の中に入って行った。
薫はその隙に、カウンターから出てヴィーゼルの前にしゃがむ。そして、ヴィーゼルを両手で掴み上げた。
「何でここにいる」
ヴィーゼルに顔を近付けて、薫は小声で話す。
「シュテルン石が実体化しました」
最悪のタイミングだった。
「回収に行きましょう」
「無理だ。俺は仕事中で出て行けない」
ただでさえ人手が足りないのに、仕事中に出て行くなんてとんでもない話だった。
「ダメです。回収が優先です」
「仕事中だって言っているだろ」
「それでもです」
ヴィーゼルは譲らない。
「あと少しで休憩だから、それからなら回収に行ける」
しかたなく薫は譲歩案を出した。
「騒ぎになりだしたら面倒です。今、回収に行きます」
「だから、今は無理だって」
「この場で変身させてもいいんですよ?」
ヴィーゼルは最悪な脅しをかけてきた。
「あれ、竹山さんダメじゃないですか。そのかっこうで動物を触るなんて」
薫はビクリと驚いて振り返る。
桃子が大きな段ボールを持って、カウンターから出て来るところだった。
まだヴィーゼルの声が聞こえるような距離ではないことに薫はほっとする。
「毛が付いちゃいますよ」
段ボール箱を床に置き、桃子もそばにしゃがむ。
桃子はビニールの手袋をはめて、薫からヴィーゼルを引き離そうと、ヴィーゼルの胴体を掴んだ。しかし、ヴィーゼルは薫の手に必死に掴まり、離れようとしない。
「竹山さんに懐いちゃったみたいですね」
桃子はヴィーゼルを上にグイグイと引っ張り、無理やり薫からはがし、段ボールの中に入れた。
段ボールの中から、ヴィーゼルが薫を見る。
無言の視線に、薫は折れるしかなかった。
「実は……。こいつ俺のなんです」
「え?」
桃子がキョトンと薫を見る。純真な目が薫には痛かった。
「知り合いから預かることになって……。家から脱走してきたみたいですね」
「自分でリュック背負って?」
「いや……。こいつリュックがお気に入りで、いつも背負っているんです」
苦しい言い訳だった。
桃子はヴィーゼルと薫を何度も交互に見る。そして、ニッコリと笑った。
「そうだったんですか。だから竹山さんに懐いていたんですね。この子はフェレットですか?」
「そ、そう。フェレット」
確かフェレットがどうとかヴィーゼルが言っていた。
「へー、いいなぁ。可愛いですね」
桃子がヴィーゼルを満面の笑みで見る。手をうずうずとさせていて、どうやら撫でたいようだ。
ヴィーゼルはそれを見ると、急に薫から手を離し、桃子に突進した。
「わっ、ちょっと待って」
身体に跳び付かれる前に、桃子はヴィーゼルをガシリと掴んで止めた。
「あー、ビックリした。ごめんね。仕事中だから抱っこ出来ないの」
ヴィーゼルが桃子の手に頭を擦り付ける。ビニール手袋ごしだったので、ワシャワシャと音がたった。
「可愛い! 抱っこしたい!」
桃子はいっそう笑顔を強くする。桃子の笑顔はまだ少し幼さが残っていて、大人びてきた今の桃子とはギャップがあり、そこがまた可愛かった。
薫はその笑顔に顔をゆるめるが、すぐに引き締めた。そして、桃子からさっとヴィーゼルを奪い、立ち上がる。
薫はヴィーゼルの態度にピンときていた。
ヴィーゼルに顔をギリギリまで近付け、しゃがんでいる桃子には聞こえないように話す。
「お前、桃子さんの胸に飛び込もうとしただろ」
「ボクはフェレットで愛玩動物ですから、抱っこされるのも使命です」
「お前の使命はシュテルン石を集めることだろうが」
薫は額をぐりぐりと押し当て、ヴィーゼルの目を間近で睨み付けた。
「どうかしました?」
ヴィーゼルから顔を離し桃子を見ると、しゃがんだまま小首を傾げていた。
ぐっ、可愛い。
薫は桃子から視線を逸らした。
「いや、あの。こいつを家に置いて来たいんですけど、早めに休憩に入ってもいいですか?」
「家にですか?」
桃子が時計を確認する。薫の休憩まで、あと三十分あった。
「うーん。ちょうどお客さんもいなくなりましたし、いいですよ。この子もお店に置いておくわけにはいかないですもんね。父には伝えておきます」
「ありがとうございます。助かります」
薫はヴィーゼルを抱える。
「じゃあ、俺行ってきます」
「え、その格好のまま行くんですか?」
薫はコック服のまま外に出ようとしていた。
「家までは近いし、このコック服を着て仕事は出来ないから、ついでに持って帰ろうかと思いまして。そのまま帰れば時間の短縮にもなりますし」
「ああ、なるほど」
「では、いってきます」
薫はそそくさと店を出た。
しばらくは無言で歩き、店が見えなくなったところで立ち止まる。
「このエロネズミが。」
「何のことですか? あとボクはネズミじゃありません。どちらかと言えばイタチです。そして、属するのなら、女の子に大人気のフェレットに属したい」
ヴィーゼルは平然と返す。薫はそのほっぺたをグニと引っ張った。
「しらばっくれるのはこの口かあ?」
「やへへふははい」
「あの王子といいお前といい、お前の国には変態しかいないのか?」
ヴィーゼルは身体を捻って薫の手の中から逃げ出し、地面にうまく着地した。
「失礼な。あの王子と一緒にしないで下さい」
「俺にとっては同じだ!」
薫はもう一度ヴィーゼルを捕まえようと手を伸ばすが、ヴィーゼルは腕の間をスルリと抜けてかわす。
「ボクは単純に可愛がられようとしただけです。愛玩動物に擬態するという完璧な演技です」
「嘘を吐くな!」
なんとか捕まえようとヴィーゼルを追っかけるが、全てかわされ逃げられた。
「ちょこまかと逃げおって」
「ふふん。あなたに捕まるほどなまってはいませんよ」
ぴょんと跳ねて、ヴィーゼルは塀の上にのった。
「それに、今は遊んでいる場合ではありません」
「遊んでいるわけじゃねえ!」
「さっさとシュテルン石を回収しに行きますよ」
ヴィーゼルに腹は立つが、薫には時間がなかった。
猶予は一時間。
戦って、回収して、着替えて、店に戻らなければならない。
薫はいったん怒りを飲み込むことにする。
「場所はどこだ」
「北にある貯水池です」
薫とヴィーゼルは貯水池に向けて走り出した。




