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それはイブの夜に  作者: 大平麻由理
一時間目 始まり
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2.こぼれたコーヒー その2

 紗友子は地元の女子大の教育学部を出た後、すぐこの(みどり)が丘小学校に配属され、今年で三年目を迎える若手教師だ。

 ようやく仕事にも慣れ、子供たちと過ごす日々も楽しめるようになってきた。

 で、隣に座る迷惑極まりない教師、植山達樹(うえやまたつき)というこの男は、教員歴六年目であるにもかかわらず、いつもこのありさまだ。

 紗友子が新任でこの小学校に着任してきた時、隣の校区から彼が転勤してきたのが縁で、一緒に仕事をするようになった。

 でも、話すことといったら仕事に関する事ばかりで、お互いのプライベートはあまり知らない。

 一人暮らしなのか、はたまた誰かと同棲しているのか。あるいはその一緒に住む彼女すら存在するのかどうか、まったくもって謎のままである。

 ただ、長期の休みになると実家に帰るというのを誰か別の職員から聞いたことがあるので、家族と同居でないのは確かだ。

 彼女がいるのなら是非見てみたいとも思う。どれだけ寛容で心の広い人なのか、興味津々だ。おっと、どうして植山の彼女のことなど気にしているのだろう。そんなこと別にどうでもいいことではないか。

 少なくとも今まではそう思っていたはずだ。その証拠に、これまで何ひとつ彼のプライバシーを詮索することもなかったはずだ。


 が、しかし。そんな植山だが、仕事は出来る方に分類されるだろう。今は紗友子と同じ六年生の担任をしているが、彼はもう三回目の六年生担任というだけのことはあって仕事内容にも慣れていて、リーダーシップを取ってうまく学年をまとめてくれる。

 高学年になると宿泊付きの行事も増える。そんな中、独身族は身の軽い分、様々な仕事が振りかかってくるのは否めない。

 あと二人いる六年生担任はキャリアを積んだ五十代の女性教師、木津正代と、おもいっきりマイペースな四十代の筋肉教師、平木弥太郎だ。

 どちらも性格は温厚で保護者からの信任も厚い。けれど仕事の逃げ方もうまい。

 木津先生はおっとりとしていて細やかな気遣いのできるママさん教師の鏡のような人。何かにつけて、若い人の意見はいいわね、その意見に賛成、と全ての責任を(なす)り付けるようにこちらに仕事を振ってくる。

 あれこれ文句をつけて先輩づらをされるのも腹立たしいが、かと言って、すべてお任せなスタンスもキツイものがある。

 筋肉教師に至っては、ぱっと見た感じ、人当たりのいい普通のおじさんなのだが、実際はストイックなまでに自分に厳しく、毎朝二十キロの道のりを雨の日も風の日も休むことなく自転車で通勤してくるのだ。

 細身のサイクルウエアをパキッと着こなし、こだわりの流線型の青いヘルメットとキアゲハの幼虫のようなグロテスクなしましま模様のリュックがトレードマークになっている。

 車で通勤している職員からは、また今日も平木先生に追い抜かれたよ、と残念そうな口ぶりの中にも尊敬の念がこめられているのがわかる。渋滞する車の横を颯爽と駆け抜けていく姿はまるでハヤブサのようだと大絶賛だ。

 そんな平木先生の趣味はツーリングの旅で、休日は全国を駆け回っているため、これまた学年行事の運営全てが隣の植山の肩にのしかかっているのだ。近々中国からヨーロッパまで自転車で縦断すると息巻いている。各国の小学校を巡って教育事情を偵察したいと壮大な計画を語る彼の目は少年のように輝き、それは決して誇大妄想などではなく実現するだろうことは誰の目にも明らかだった。ただし平木先生の奥さんがどう思っているのかは紗友子とて、知る由もない。


 初めて六年生を持つことになった紗友子も、植山に頼っているところは多い。去年の五年生の担任時も同じ学年だったので、結果的には二年間もどっぷりと彼にお世話になっている計算になる。

 こんな劣悪な環境の中でも文句ひとつ言わず黙々と仕事をしている彼には、正直頭が下がる。だからよれよれのジャージ姿でも、寝癖のついたままの髪で通勤してきても、何も言わず大目に見て来た。

 でも……だ。

 それとこれとは話は別である。


 どうしてそんなに、デスク周りが乱雑なんですか?

 二段目の引き出しの中身が何かに突っかかって開かないまま、すでに三ヶ月も放っておくのは、いくら気の長い性格だといっても限度があると思うのですが……。

 それに、採点用の赤ペン。貸したままになっているのは、もうあきらめます。

 でも……。貸した記憶のない黒のマジックまでもが彼のペン立てにおさまっているように見えるのは、まぼろしでしょうか。ええ、そうです。きっと目の錯覚に違いありません。紗友子と全く同じ物を彼が持っていただけなのだ……と。


 教頭の机の位置から右斜め上にある時計の針が、すでに九時を指している。いつの間にか、こんなに遅くなってしまった。

 向かいの席の木津も平木も、もちろんもう帰宅してそこにはいない。

 残っているのは、神経質そうな表情を片時も崩さない教頭と養護教諭と隣の植山だけだった。


 紗友子はノートパソコンを閉じると、永久に返却されることのないであろう赤ペンと黒マジックに別れを告げるべく、隣の植山に向かってお先に帰りますと言って席を立った。

 すると、一心不乱に数字ばかりが羅列している成績処理のパソコン画面を食い入るように見ていた植山が急に顔を上げ、紗友子を見て言った。


「送るよ……。今日俺、車だから」と。


 すぐさまパソコンの電源を落とした植山は、足元にころがっていた大きなスポーツバックを拾い上げ、教頭に「お先です」と軽く会釈をする。そして、あっと言う間に廊下に出て行ってしまった。


 目の前で起こっていることの意味が呑み込めないまま、先に出て行った植山の後を追うように紗友子も小走りで職員室を後にした。





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