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君のココアと

作者:篠崎春菜
 どうしようもないな。そう思ったのを覚えている。目の前の少女は微笑んで、俺に「ありがとう」と言った。それに俺の頬がピクリと動いた。それを無理やり抑え付け、笑顔を必死に貼り付けて、俺は「どういたしまして」とそう言ったのだ。ああ情けない。そう思いながら、あの子が微笑んでいるならこれでよかったんだと正当化するのだが、仕切れていないのが自分ではよくわかる。

(やっぱり、言えばよかったな……)



「馬鹿ねぇ」

 心底呆れたような顔でため息をついて、美穂が言った。「だからやめろって言ったじゃない」とその声にすら彼女の思いが鮮明に映し出されている。本の字列を追っていた目がこちらを向くと、一層居心地が悪くなった。確かにやめろと言われていたのに、それを聞かなかった結果が今の虚しい気持ちである。江宮美穂はいつでも冷静で、正しい。俺の幼馴染とは思えないくらいに。
 俺のことを考えてくれた上での忠告を聞かず、嫌な気持ちになるのはいつものことだ。それなのに俺は、どうしても思った方へ進んでしまう。それを見て、美穂は呆れながらも傷ついている。もっとしっかり止めればよかった――そんなことを思っているのだろう。けれど俺自身の行動にそこまでの介入をするべきではないとも思っている。
 しっかりした美穂とは違って、俺は思ったら行動してしまうから、その分を彼女が少し、抑えてくれていた。天邪鬼な彼女だから、俺がこんなことを言ったところで肯定したりはしないだろうけれど。

「帰る?」
「……おう」

 机の横にかかっていたカバンを持って美穂は立ち上がった。すっと伸びた背を見ると、俺は自分がより情けなくなる。彼女はいつでもしゃんとしていて、俺はそんな彼女の助言を聞かず、背を丸めているのだ。支えてもらうばかりで、折れない彼女を俺が支えられる時などないように思われた。いつもの道をとぼとぼ歩く。美穂は俺の先を行っていて、俯いている俺には彼女の足元すら見えない。

「創治」

 美穂の声が近くで聞こえた。顔を上げると、家の近所の公園の前で彼女が俺に缶のココアを差し出しているところだった。

「少し寄っていこう」

 そう言って中々受け取らない俺にしびれを切らした彼女の手から放たれたその缶は、咄嗟に伸ばした俺の手の中で温もりを持っていた。



 昔揺らしたブランコを目の端に入れて、俺達はベンチに座った。風で少し動くと、キーッと金属の擦れる音がする。日が沈んでいくと凍えるような空気に鼻の奥をツーンとさせられるようだったけれど、手の中にあるココアの缶はじんわりと温かく、心が落ち着いていく。プルタグを倒して一口飲むと仄かに甘く、けれど美穂が淹れた方が美味しいと思った。ココアは俺と美穂の一番好きな飲み物で、いつもならどちらかが自分で淹れるのだ。

「あの子、どうだった」
「うまくいったよ」

 「俺の片想いも、もう終わり」と苦笑する。そうすると美穂はムッと眉を寄せた。それに俺は苦笑を深めて、缶を指でいじくる。

「幸せそうだった」
「……そう」
「……うん」

 彼女によってつかれたため息は先ほどより重い。
 彼女が俺を「幸せ貧乏」と言った事があるが、今もそういうことを思っているのだろう。けれどそれを注意されることはあっても非難されたことは一度もなかった。

「本当によかったの」
「何が」
「白々しい」

 バッサリときられ、俺は押し黙った。「本当によかったの」。それの隠された部分の重さを俺はよくわかっている。「本当に伝えなくてもよかったの」。
 彼女は特に、気持ちの絡む問題に敏感だ。俺のように自分の気持ちを言わないままで、というのがモヤモヤするらしい。その度「本当によかったの」と聞く。この問はいつも鋭いが、今回は特に胸に突き刺さった。自分でも僅かに「言えばよかった」と思ってしまったから。

「……そんな顔するなら、中途半端に手なんか出すもんじゃないわ」

 その通りだ。そう思うからこそ、何も言えない。初めはあの子のためにと思った行動の全てを後悔しそうになる。俺があの子にしてあげられる、唯一のことだと、その時は確かに思ったのに。

(これじゃあ、何のために――)

 途端、全ての理由がわからなくなるような感覚がした。

「悲劇のヒロインじゃないのよ」
「ヒロインって……俺、男なのに」
「今のあんたは女々しいから」

 「お似合いよ、ヒロインぶりっ子」。厳しい言葉の全てが正しかった。冗談めかされた最後の言葉すら、今の俺にはよく効く攻撃だ。いつでも彼女は男の俺よりも男らしく、俺は女の彼女よりも女々しくて、今はそれが増強されている。どんなに憧れに思っても、そういう風には、彼女のようにはいかないものだ。

「……創治の」

 急に厳しさを失った声が彼女の口から出るのと同時に、美穂は俺の顔から目を逸らした。今まで居心地が悪いほど刺さっていた視線が宙に浮く。

「そういうところは、美徳だと思う。……けど、それでお前が一々悲しいのは、何か違うでしょ」

 静かな声が澄んだ空気に消えていった。吐く息はほんのりと白く、彼女が温かいことを教えている。もう冬になるのだな、と思うのと同時に、冬が彼女の心を読んでやって来たようにも思った。暗く染まった公園を見ると、この間の雨で大分と紅く染まった葉が落ちてしまっている。
 俺は自分がどんな顔をしているのかがわからないから、俺よりも美穂の方がつらそうに見える。それが凄く、嫌だった。あまり変化の無いはずの彼女の表情が酷く悲しそうに見える。美穂はそれに気付いていないようだが。たぶん彼女には俺がそんな風に見えているのだろう。
 口から白い息が出る。向かい風がそれを俺の方へと押しやって、美穂の姿が一瞬だけ薄くなった。それにドキリとする。こんなことでは、いつか彼女は俺を見限ってしまうのではないか。思えば俺は、彼女に悲しい顔ばかりさせているような気がした。今日微笑んでいたあの子と、今の美穂はあまりに対照的な表情をしていて、それがどうにもやるせない。
 今、いや、片想いの時だって、俺には美穂の笑顔の方が大事だ。めったに笑うことのない彼女だけれど、笑顔よりもこんな顔ばかり見ているだなんて、悲しすぎる。決してそうさせたいわけじゃない。ただ、笑わせてやれない自分がとてつもなく情けが無くて、缶を持つ手に力が入った。じんわりとした温かみは、冬に差し掛かった空気達によって熱を奪われている。次第に俺の手も、こんな風に冷たくなるのだろう。美穂の手はどうだろうか。チラリとその手を見てみると、その手には手袋がはめてあって、ほっとすると同時にこんな所にも差があるのかと、俺達の違いを思い知った。

「別に、責めてるわけじゃないのよ」

 黙りこんだ俺を気遣うように、美穂はそう声をかけた。そこには優しさしかない。「わかってる」とそうは言ったものの、次の言葉が出てこない。

「……言われたくないことだった?」
「そうじゃないんだ。……ただ、あの子は笑ってたのに、お前は悲しそうな顔をしてるから」
「悲しそう? 私が?」

 彼女は心底不思議そうな顔で眉を寄せた。やはり、気付いていなかったのか。人を気遣うのは上手なくせに、自分を気遣わない彼女らしい。そう思うと、自然と頬が緩んだ。美穂を美穂らしいと思うのは、ある種当然のことなのだが、俺はそれにほっとしたのだ。辛そうな、悲しそうな美穂なんて見ていられない。それが自分がさせた表情であるなら尚更だ。笑ってくれなくてもいい。「馬鹿ねえ」と、眉を寄せて呆れてくれるのも、全く構わない。思えば、昔から美穂の気落ちした顔が俺は苦手だった。

「美穂は優しいからなあ」
「今の流れでよくそんなことが言えるわね」

 「厳しさが足りなかったかしら」と彼女が息をつくと同時に、場の空気が和らいだ気がした。美穂の表情がいつも通りに戻ったのは、彼女の素直な心の動きなのだろうか。立ち上がり、スカートを少しはらって、彼女は「帰ろうか」といった。俺が黙っている間に空にしたらしいココアの入っていた缶を、少し離れたゴミ箱に向かって投げたが、それはゴミ箱の淵に当たってカンッと音を立てる。

「何やってんの」
「案外難しいわね」
「らしくないなあ。いつもなら普通に捨てに行くだろ」

 残っていたココアを飲み干して、美穂が入れ漏らした缶を拾おうと俺が一歩足を踏み出すと、「待って」と彼女の声がかかった。

「投げてみてよ」

 何の思い付きだろうか。自分が外してしまったから、俺にもやってほしいのか? わけがわからないまま、彼女の言う通りに投げてみる。下から上へ緩く放った缶は思いのほか良い弧を描き、カシャンとゴミ箱の中へ納まった。

「あら、入った」

 美穂がそう言うのを聞いて、俺は彼女の方を向く。ビュッと風が吹いて彼女は自分の長い髪を押さえた。乱れたそれを整える横顔は、珍しいことに小さく笑んでいて、俺は一瞬息を忘れた。

(こんなことでいいのか)

 片恋の相手に失恋したことも、自分がいかに情けないかも、いつの間にか俺の中から消えていてた。そういえば、俺があの子の恋愛相談を聞いてばかりいたから、しばらくお互いの家にへ行き来していないことに気付く。途端に俺は、美穂が俺用のマグカップに淹れてくれるココアを飲みたくなった。

「今日、そっち行っていいか?」

 そう聞くと、彼女は少しだけ機嫌良さ気に「お好きにどうぞ」と口の端を上げて見せた。

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