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小さな手は、ただ大気を掴んだ。
「……あ」
疾風のように、【落陽】がエファイテュイアの前を駆け抜けていった。
再び後ろから抱きかかえられ、引き戻されたのだ。【隻眼】の手はエファイテュイアを掴み損ねて通り過ぎる。入り口近くで馬に乗って待つ【刃】の隣で、【隻眼】も馬を止めた。
声を上げたのは、ディルザードではない。
観客すべての視線が、ただ一人の男に集中した。
人を威圧し、牽制することに慣れている声。
「……皇太子殿下がお立ちになっているぞ」
「氷の貴公子、だ」
口々にそんな呟きが湧き上がった。
シェアライズ・ケディ・アージェント。氷の貴公子の異名を持つ、この国の皇太子であった。
「何をしている! 彼らは蛮族にして大罪人ぞ。捕らえよ」
よく通る朗々とした声だった。威圧的な態度。騒いでいた街人のすべてが、その声に聞きほれた。めったに直の声など聞く好機はないのだから。
彼の隣に座っていたもう一人の皇太子も立ち上がった。華の貴公子、ルジェンリューズ・ケディ・アージェントである。
「彼らに正しき制裁を」
皇太子二人が動き出したことで、混乱し始めていた会場に冷静さが戻った。が、この雰囲気を感じて【刃】がはっと手綱を握り締めた。
「まずいぞ、兵が来る……!」
この広場を警備していた兵たちはすでに【刃】が絶命させてしまったが、その奥にはどれほどの兵が控えているのか計り知れない。なんといっても帝都レキ=アードである。そうなれば逃げ道はない。
「行くぞ、【隻眼】っ!」
「……だが、エファが」
「もう無理だ。お嬢さんなら殺されはしないだろうが、オレたちは違うんだぞっ!」
だが、【隻眼】は動けなかった。【刃】が強引に【落陽】の手綱を掴んで走らせた。
「エファっ!」
「……【隻眼】っ」
彼女が皇太子たちから【隻眼】に視線を戻したとき、すでに彼の姿は入り口付近のどこにも見えなかった。ディルザードの腕に抱かれたまま、彼女の身体は小刻みに震えていた。




