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「たぶんあれが兄様の馬よ」
彼女は穏やかに客観的にそう告げた。エファイテュイアの屋敷に、白馬はディルザードのもの一頭しかいない。荒野にひとつ、燦然と輝く白さは、間違いなくディルザードの馬だろう。
「……いいのか? エファ」
あれほど逢いたいと願ったディルザードを遠目に見つけても、彼女の心は騒がない。
だが、それはもうずっと前からこうなることがわかっていたような気がした。
兄との再会を祈りながら、だがデリトナ荒野から離れることもできなかったのだ。
「ーーーいいの……」
「あれにはレキ=アードの正規兵も伴っている。お前をまだ探している証ではないのか」
「でも、もう……いいの」
遠ざかっていく一団を二人は静かに見送った。
もう、涙は流れなかった。ディルザードに逢いたいという思いは変わらない。だがそれよりも強い想いで、この大地から、【隻眼】の持つ哀しさから、離れたくないのだといまならそう思えるのだ。
やがて、見えなくなってしまっても、しばらくその場を動かなかった。
「キトに戻っても、わたしは皇太子殿下との婚姻が待っているだけだもの」
エファイテュイアも公爵家の娘。政略結婚が何たるかをよく知っているし、その重要性も理解している。父のため兄のためには、エファイテュイアがレキ=アードに赴くしかなかった。
だが、もう戻れない。
この自由を、狂おしいほどの愛を、熱を知ってしまったときから。
「わたしがずっと……憧れていたもの。どんなものかわからなかったけれど、きっと【隻眼】のようなひとだったんだわ……」
出逢ってしまった今ならそう思える。【隻眼】がエファイテュイアの肩に腕を回して抱き寄せた。
「ここからキトの街を見ると……なんだか近くにいるみたい」
「このあたりで一番の高台だからな」
ここなら遠くまで見渡せる。エファイテュイアが本物を見たことがないという海もよく見えた。
「あの海も……近いかしら?」
「さあな、俺も近くで見たことはない」
「絵で見たときは、貴方の瞳と同じ色をしていたわ」
透明な翠玉のように輝いていた海面。
それは【隻眼】の左眼と同じだと思った。美しすぎるところも、哀しい孤独を背負っているところも。
「俺が連れていく。エファ、お前の望む場所へならどこへでも」
そうして彼らは、ささやかだが大きな約束をした。




