表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アイシテ?

作者: 衣桜 ふゆ

去年に続いて2回目のホラー祭り参加です!

キーワードのとおり、そんなに怖くないです・・・

読んでみてください。

・・・お母さん、


・・・お母さん、僕だよ?


・・・僕のこと、愛してくれないの?



どこかで、泣き声が聞こえる。

どこだろう。幼い子供の、泣き声だ。

首を傾げ、ふと気づく。泣き声の発せられているところ。


ーーーーー自分の、耳元、だ。



* * * アイシテ? * * * 



「・・・ねぇ、おかあさん」


「なぁに? 冬璃(とうり)


当たり前のように返ってきた声は、冷たく感じられた。


「わたしのこと、すき?」


「当たり前じゃない、大好きよ?」


その言葉が、空虚な言葉に聞こえるのは気のせいだろうか。


「わたしのこと、あいしてる?」


「・・・ふふ、冬璃は難しい言葉を知っているのね」


・・・質問に、答えなかった母。


「ずっと、ずぅっと、あいしてくれる?」


催促するように言うと、母は。


「しつこいわねぇ」


疲れたようにため息をついた。


それは、昔の記憶。


傷ついたのを、覚えている。



* * * * * * * * * * 



「冬璃」


母に名を呼ばれ、冬璃はゆっくりと顔を上げた。自然と表情が硬くなる。


「今日も仕事で遅くなるから。夕飯は自分で何とかしてちょうだい」


事務的な口調。冬璃は軽く頷いた。


「それじゃ、行ってきます」


「お母さん、朝ご飯は?」


テーブルにはおかず一つ並んでいない。ふと気になって聞くと、「えぇ?」とうざがられるように言葉が返ってくる。


ーーーやってしまった。


はっとして思うものの、もう遅い。


「うるさいわね、向こうで何か買って食べるわよ。急いでるんだから話しかけないで」


冬璃は息をのんでやり過ごす。体が強ばった。


「まったく、暇人なあなたがうらやましいわ」


ばたん、と玄関の扉が閉まる音がした。

冬璃は動けずに、何度か深呼吸をする。


「・・・別に、暇人ってわけじゃないんだけど」


やがてぽつりとでた言葉。ぶつける人はいない。冬璃は何度も、震える息を吐き出した。

この息苦しい感じも、今ではもうなれてしまっている。


ーーーいつも、そうだ。


冬璃の母は、いつも仕事仕事と多忙な人だった。

朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。ひどいときは泊まり込みだ。

自分でも深く事情は知らないが、うちは母子家庭だった。そのせいもあるのかもしれない。

おかげで冬璃は、あまり母親といい記憶がない。


「今日も、変な夢見たしなぁ」


昔の記憶。思い出したくもない。それなのに、よく夢として出てくる。


「あいしてくれる? ・・・か」


幼い頃の自分は、馬鹿なことを聞いたものだ。

未だに冬璃は、わからない。

愛とは何だろう。母は私を愛してくれているのだろうか。

幼い頃から、その疑問の答えを探していた。・・・最近ではもう、あきらめて、面倒で、答えを探すことなど放置している。


「・・・行ってきます」


小さく言ったそれに、返す人はいない。言葉はない。


ーーーいつも、そうだ。



* * * * * * * * * * 



学校にて。冬璃は話に参加するわけでもなく、クラスメイトの話を聞いていた。

アイドルの話など他愛もない話だが、それなりに楽しいと感じる。

元々冬璃はコミュニケーションが得意ではない。よって、いつも聞き役だ。

そのポジションに不満はなかった。むしろ満足している。


「・・・ねー! すごくない?」


「ほんと、すごいねぇ。そんなこともあるんだ」


たまに振られる会話に適当な相づちをうつ簡単なお仕事。

それを今日も実行していたのだが、ふと冬璃は顔を上げた。

目線は自然と、教室の後ろの隅っこへと動く。


ーーーにこにことあどけない笑顔でこちらをみる、少年がそこにいた。


「・・・?」


「・・・冬璃? どうしたの?」


冬璃の様子にいち早く気づいたクラスメイトが、不思議そうに問いかけた。冬璃の視線の先を追い、首を傾げる。


「何見てるの?」


「え、あぁ・・・いや、あの子、転校生か何か? あんな子いなかったよね」


冬璃が確認すると、そのクラスメイトは妙な顔をした。何を言われているのかわからないという顔。


「・・・冬璃、どの子のこと? 転校生なんて、来てないけど・・・」


「どの子って・・・ほら、あそこにいるじゃん」


「・・・誰も、いない、けど・・・・・・?」


「え・・・?」


冬璃は変だと感じて、クラスメイトの顔を見た。嘘をついているようには見えない。

別のクラスメイトが笑い声をあげた。


「やめてよ冬璃ー、確かに季節的には怪談ものの季節だけどさぁ。まさか冬璃って霊感少女!?」


「ち、違うと思うけど・・・」


苦笑を作り、そう返した。

未だに不思議そうな顔をしているクラスメイトに、ごめんと謝る。


「ごめん、やっぱ気のせいみたい」


「う、うん・・・」


「あ、そうそう。怪談ものと言えばさぁ」


さっきのクラスメイトがうまく話を広げている。仕入れてきた怪談話を繰り広げるようだった。

冬璃はそれを笑顔で聞き始めーーーでも一度だけ、また教室の隅のほうを振り向いた。


ーーー少年は変わらず、にこにこと微笑んでいた。




その後の授業などでは、できるだけ少年のほうを見ないように気をつけた。

自分には見えて他人には見えないなんて、明らかにおかしいのだから。

帰り際、一瞬だけちらっと確認した。

もう、いなくなっていた。


「・・・やっぱり、錯覚・・・とか?」


一人疲れたようにつぶやき、冬璃は家に帰ることにした。


ーーー誰もいない家に。


胸の奥で、何かが笑った。


ーーーいつも、そうだ。


ーーーだから何も、考えることはない。


家に帰るのも億劫だった。できるだけゆっくりと歩き、暇をつぶす。

他の生徒は部活へ向かったり、足早に帰ったり。冬璃を追い越していく。

10分もすれば、冬璃は人気のない道を歩いていた。


ーーー自分は、ひとり。特別な友達もいなくて。


ーーーいつも、そうだ。


冬璃は無表情で歩く。


くすくすーーー後ろで、笑い声がした。


自分が笑われたーーーなぜか冬璃はそういう風に感じ、かっとして振り向く。

声から推測するに、小さな子供だ。小学生ぐらいだと思う。

笑われたのだから、怒鳴り返してしまおうと思った。


ーーー誰も、いない?


振り向いた先には、誰もいなかった。

どこかの物陰にいるのかと辺りを見回したが、いる気配はない。


ーーーどうして。


確かに笑い声がしたのだ。冬璃は笑われたのだ。

なのに、犯人がいない。どこにも、見あたらない。


くすくすーーーまた、だ。笑い声がした。


後ろにいる。冬璃はいらいらした。当たり前だ。

くだらないかくれんぼをしている暇などない。不愉快だった。

小さな子供に翻弄されている自分にもいらいらして、冬璃はもう一度振り返った。

怒鳴るだけでは足りない。八つ当たりぐらいしてもいいだろう。


ーーーまたいない・・・どういうこと!?


さっきと同じように、振り向いても誰もいなかった。

誰かがそこにいたような気配もないし、隠れる暇もないぐらい早く辺りを見回しても、いない。


くすくす、くすくすーーー笑い声が、続いて聞こえた。


笑われている。そのせいで腹が立つ。

混乱しているのか知らないが、笑い声が頭に直接響いているように感じた。気持ち悪い。

もう嫌だ。何なのか知らないが、早くこの笑い声から逃げ出したい。


ーーー帰らなきゃ。


誰もいない家でも、そこは自分の家だ。何となく安心できる。

だから、早く。


冬璃は家に向かって、走った。


くすくす、くすくすーーー笑い声は、未だにやまない。




家のドアを開け、ゆっくり閉まるドアにいらだちつつ閉める。

ここまで走ってきたせいで、息が荒かった。扉を背に、息を整える。


「・・・っ、なんだった、わけ・・・さっきの・・・」


思わずそう独り言を漏らした。息がまだ整っておらず、息苦しい。

汗が気持ち悪い。

不満ばっかり頭に浮かび、冬璃はため息をついた。

とりあえず、水を飲みたい。

そう思って靴を脱ぎ、顔を上げてーーー冬璃はその場に凍り付いた。


ーーー少年が、無表情で冬璃を見ている。


あぁ、そういえばいつの間にか笑い声が聞こえないなと、冬璃はどうでも良いことに気がついた。


その少年は、学校にいた、冬璃にだけ見えた、あの少年だった。


どうして、と冬璃が口を開く前に。


ーーー少年が、口を開く。



ーーー「アイサレテル?」



そう、聞こえた。



* * * * * * * * * * 



ばたん、と玄関のドアが開く音がして、冬璃はソファーの上でびくりと肩をすくませた。

リビングに通じる扉が開かれる。冬璃はおびえた顔で扉が開くのを見つめていた。


「・・・あ?」


そこからリビングに入ってきたのは、母。


「・・・まだ起きてたの、冬璃」


鬱陶しそうに聞かれた。冬璃は小さく頷く。

母は眉をひそめ、階段を見て顎をしゃくった。


「何してたのか知らないけど、早く寝たら?」


その顔は心底嫌そうに見える。きっと、冬璃の勘違いだけではないだろう。

持っていたビニール袋をテーブルの上に音を立てて置く様は、どう見ても不機嫌の現れだった。

私の顔を見たせいで不機嫌になったのでは、と思ってしまう。


「私これからご飯食べるから、邪魔しないでくれる?」


「・・・邪魔なんて」


元々邪魔なんてしたことない。冬璃が思わずこぼすと、いらいらとした表情で見下ろされた。


「うるさいわね、早く寝て。あなたは邪魔じゃないと思ってるかもしれないけど、私にとってはすごい邪魔」


ストレートなその言葉に、冬璃はうつむいた。

深呼吸を繰り返し、平静を保つように努力する。


「・・・私まだ、ご飯食べてなくて」


時間はもう真夜中だ。

だけど、昼間のことがどうしても頭をよぎり食欲などわかなかった。

ひっそりと抵抗すると、母はテーブルを指先でたたき、音を立てる。

いらいらしているときの、母の癖だ。


「知ったことじゃないわよ。ていうか私、朝に言ったよね? 覚えてる?」


「・・・・・・遅くなるから、自分で何とかしてって」


「覚えてるじゃない。だったら、何でやってないの?」


「・・・・・・その、食欲わかなくて」


「じゃあ寝たら? 言っとくけど自分の分しか買ってないから、あげたりなんてしないわよ」


「・・・少し、だけでも」


「これはあんたのミスでしょ? 何でそれで私が分けなくちゃいけないの」


冬璃は唇をかんだ。確かに自分のミスだ。

でも、少しくらいと思うのは間違いだろうか?


「・・・お母さん」


「あぁもう、何なのよ」


「私のこと、どう思ってる? ・・・愛してる?」


冬璃は顔を上げ、少し勇気を出して聞いてみた。

嘘でも良いから、頷いてほしかった。気休めで良かった。


だけど母親は、冬璃の期待をことごとく裏切った。

冬璃の質問を鼻で笑い、こう答えたのだ。


「この状態を見て考えて、自分で理解したら? 丸わかりでしょ」



あぁ、つまり。

・・・冬璃のことなど、愛していないと。



冬璃はふらふらとした足取りで、自分の部屋へ戻った。

のどが渇き、頬を涙が伝う。だけどなぜか、口元は笑みを浮かべていた。

自嘲した。

そうだ、考えてみればわかることじゃないか。

あんな風に邪険に扱われて、愛されているなんて、あり得ないじゃないか。

いままでずっと、仕事が忙しくて大変なんだと自分をごまかしてきたけれど。

小さい頃はごまかし、今となってはもう隠すことさえしなくなった母。

笑みを浮かべて、冬璃の思いを一蹴し、踏みつけた。



ーーーアイサレテル?



昼間された質問。少年は無表情のまま問いかけ、消えた。

その質問の答えは、もう。


「わかってたこと・・・愛されてなんて、いない・・・っ!」


声を出さないように、泣いた。頭が痛い。

誰にも愛されていないなら、存在する意味などない。

学校の友達もおらず、家族にも愛されず。じゃあ自分は、何のためにここに存在しているのだろう?

どこまでも孤独で、愛されることなどない。


もう嫌だ。もう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だーーーーーーーーーー


そう思うものの、無力で非力な冬璃には、何も出来やしない。

それもまた、分かり切っていることだった。



・・・どれくらい、泣いただろうか。

わかっていたこととはいえ、面と向かって言われるのはやはり悲しかった。

自分はあんな母でも慕っていたのだなと気づき、小さく息を吐き出す。

ベッドに寝転ぶと、ひどい気分にも関わらず、うとうとと微睡み始めた。

自分にいらいらするが、そんなことはもう面倒くさかった。考えることを全部放置し、ぼんやりと空間を眺める。

何を考えるでもなくそうしていると、ふいに部屋の扉が開く気配がした。

・・・確認する気力も、起きなかった。誰かが入ってきたところで、どうだっていい。好きにすればいいとさえ思った。


ひた、ひた


そんな音がして、冬璃は少しだけ震えた。

歩いている音だろうか。母とは思えない。

その音は、次第に自分のいるベッドに近づいているように聞こえる。


ひた、ひたーーー


ここに来てやっと、冬璃の頭に疑問が浮かぶ。

母ではないとしたら、誰だ? この家にいるのは私と母だけだ。

何をしに、ベッドに近づいている?


ひた、ひた、ひた。


頭を動かし、確認することはできるはずだった。

だけどーーーこれは、恐怖、だろうか。体が動くことを止めていた。

動きたいようで、でも動きたくはない。声を出すことなどしたくないけれど、出したい。

得体の知れない矛盾した感情が冬璃を襲う。


ぎし、と音がした。


ベッドのスプリングが沈む音だ。その一カ所だけ沈んだように感じる。

冬璃の視界に、その沈んだ場所が見えた。


ーーー誰も、いなかった。何も、なかった。


また、ぎし、と音がした。


そしてまた、ベッドの一カ所・・・二カ所目が沈む。


ーーーそこも、誰も、何も、ない。


やがて、腹部にわずかな重み。


ーーー何で、なに、これ!?


冬璃は自分の顔が変にゆがむのを自覚した。

目だけで重みのある腹部を見ると、どう考えてもある訳のない皺が寄っている。

そしてそこだけ、圧迫されているように皮膚に触れていた。


「っ」


突然、息が、詰まった。


「苦・・・し」


首が、痛い。圧迫される。


「な、に」


喘ぐように口を開閉する。息が吸えない。


「い・・・や、なん、な・・・の」


必死で言葉を口にするものの、ほとんど言葉になっていなかった。

理解できない。これは何?






笑顔。


狂ったような、笑顔。


うれしそうな、笑顔。


どことなく悲しそうな、笑顔。






眼前にその笑顔があった。






冬璃は目を見張った。

その笑顔は、見覚えがある。

あの、教室の隅にいた、少年の。


「・・・・・・っぁ」


首に掛かる力が強まる。

あぁ、この少年が、私の首を、絞めている。


ーーーねぇ


少年は笑顔のまま、口を冬璃の耳元に寄せて、言った。


ーーーお母さん、僕だよ?


ーーー僕のこと、愛して?


ーーー・・・愛してくれないんだったら・・・


























ーーー殺しても、いいよね?


























* * * * * * * * * * 



「っ!」


息が、荒い。

冬璃は、目を開けていた。あたりは明るい自分の部屋だ。間違っても、真夜中で首を絞められている状況ではない。


「・・・っは・・・」


荒い息の中、冬璃はため息をついた。


「・・・夢・・・か・・・?」


無意識に首に手を当てる。鏡を見ていないため、どうなっているかはわからないが少し安心できた。

自分は、首を絞められて死んではいない。生きている。

・・・そう思って、また、息を詰まらせた。


ーーー生きていたところで、何があるというのだ。


少しゆるんでいた顔が一瞬で強ばる。

誰にも愛されていないのだから、生きている価値など。


「・・・っ、はは・・・ふ・・・あははっ・・・」


漏れたのは笑い声だった。

愛されていないなら、私がここにいるのは何? 生きている意味は何? 何でこの世界は存在しているの?

思考がおかしいだの知ったことじゃない。


ーーー愛されたい。


今まで感じたことのなかった欲だった。


ーーーでも、今更何をすると?


自問自答して、結局浮かべるのは自嘲の笑み。

・・・あぁ、やっぱり。


ーーーいつも、そうだ。




自分の気持ちなどどうでもいいが、今日は平日。普通に学校のある日だ。

ずる休みしようかとも考えたが、無駄な抵抗なので観念して学校へ行くことを決意。

冬璃が制服に着替えて階下へと降りると、もう母親はいないようだった。

その事実に、少しだけため息をつく。

安堵のため息、かもしれない。


テーブルの上には、おかず一つ乗っていなかった。

昨日と同じ光景に少し笑う。


「いつも、そうだ・・・ね」


心の中の口癖を言葉にしてみる。

それはなぜだか知らないが、少し楽しく感じられた。


結構時間は危ないのだが、面倒なので気にせずゆっくりと朝食をとった。

焼いた食パンにベーコンと目玉焼きを乗せたという、毎日食べているもの。

いつもと同じはずなのだが、おいしいと素直に感じた。


「・・・何だろう」


いつもよりテンションが高い。・・・ような、気がする。

吹っ切れたのだろうか。母親に愛されていないと気づかされ、結構落ち込んでいたはずなのに。

考えてみたが、よくわからなかった。


「・・・何だろうなぁ」


呟くその声も、どことなく楽しそうだ。


さっき感じた、愛されたいという欲はまだ消えていないはずなのに。


「まぁ、いいか・・・」


皿洗いもそこそこに、冬璃は家を出た。


何となく気分で、「行ってきます」とは言わなかった。




ーーーそうだ。



ーーー私を愛してくれる人は、必要。



ーーー私を愛してくれない人は・・・?






ーーー必要、ない。






ーーーそうでしょう? お母さん。






冬璃は、自分の口元が歪んだ笑みの形になったことに、気づかなかった。



* * * * * * * * * * 



その夜、冬璃は夢を見た。

自分のことを「僕」と呼んでいて、知らない顔の女を「お母さん」と呼んでいた。

だけど、そう呼ぶと、汚物を見るような目で見られる。


そこは、あの母親とそっくりだった。


「お母さん」


「・・・・・・」


「お母さん、僕だよ? 無視しないで」


「・・・・・・」


「お母さんってば!」


「うるさいのよ!」


しつこく呼びかけると、平手が飛んできた。殴られる・・・そう思ったものの、避けることはできなかった。

しびれるような痛みを感じ、冬璃は悲鳴を上げる。


「うるさいって言ってるでしょ! 黙りなさい!」


その『母親』は冬璃を怒鳴りつけ、ティッシュをめちゃくちゃに取り出した。それを丸め、冬璃の口の中に突っ込む。

思いも寄らぬ行動に、悲鳴がくぐもった。

口の中の感触が気持ち悪い。息ができない。苦しい。


「何だって言うのよ! あんたみたいなうざったい子供なんていらないわ! あの人だって、あの人だって・・・子供ができたってわかった瞬間冷たくして! いなくなって!」


あの人。母の昔の恋人。

関係ないことのはずなのに、話がそっちに動き、


「全部あんたなんかのせいよ!」


そして、冬璃のせいにされる。


『母親』はかんしゃくを起こしたように冬璃をがむしゃらに殴った。

大きな手が頬を打ち、ネイルをつけた長い指が皮膚を裂く。

口の中に入ったティッシュのせいで、悲鳴を上げることすらかなわない。


ーーー愛して


ーーーあいして


ーーーアイシテ


心の底から感情がわき上がった。これは、冬璃のものではなかった。

だけど、


冬璃が感じたものと、同じものだった。





ふと、世界が暗転した。


瞬きをして目を開けると、目の前にさっきの『母親』の寝顔があった。

冬璃は驚き後ずさろうとしたが、体は動かない。

じっくりと寝顔を眺めていた。


「・・・僕のこと、愛してくれない・・・」


冬璃はーーーいや、性格には冬璃の意志ではないがーーーぽつりと呟いた。

それは冬璃にしても事実で、『母親』の顔と自分の母親の顔がだぶって見える。


「ひどいよ」


ぽつりと言葉が漏れる。


「僕のせいじゃないのに」


「僕は、何もしていないのに」


ーーーそうだ、私は、何もしていないのに


冬璃の中で、小さく言葉が湧いた。

このーーー誰かは知らないが、おそらく少年は、自分と似ている。同じだ。

母親に愛されず。孤独で。為すすべはなくて。


つと、冬璃は手を伸ばした。

『母親』の首に手をかける。両手で『母親』の首を包み込む。


「お母さん」


小さく、呼びかけた。


瞬間、手に大きな力を込めた。


まぁつまりーーー『母親』の首を、絞め始めた。


異変を感じた『母親』が身じろぎし、薄く目を開けて冬璃をみる。

冬璃を認識した途端、『母親』の目は憎悪に染まった。


「あんた・・・何して・・・!」


『母親』は捻り出すような声を上げた。・・・声とは言い難い声だった。かすれて、何を言ったかいまいち判別できない。


「おはよう、お母さん」


冬璃はにこやかに挨拶した。起きたときは、おはようと言うものだ。

母親は必死に、首を絞めようとしている手に抵抗した。

冬璃の腕に手をかけ、これでもかと言うほど力を込める。長い爪が刺さり、痣ができそうになる。冬璃は眉をひそめた。


「お母さん、苦しいの?」


『母親』は答えない。答える余裕もないのだ。

冬璃に馬乗りになられ、力のだしにくい体勢で腕を押さえつけようとする。

冬璃は薄く笑った。

自分のほうが有利だ。

やがて『母親』の込める力は小さくなっていき、冬璃はさらに力を込める。

『母親』の呼吸は荒くなっていく。


「苦しいよね、お母さん」


そう呼びかけても、『母親』は何も言わなかった。

ただ薄く開けた目で、冬璃を相変わらず汚物を見るように見る。


「・・・()も、それだけ苦しかったんだよ?」




ーーーあなたが、私のことを愛してくれなかったからーーー




そう囁いて、ぐっと力を強める。

汚物を見るような目が、気持ち悪かった。

自分が嫌われているのが、よくわかる目。

体重をかけるようにして首を絞めていくと、『母親』の手から力が抜けた。疲れたように目を閉じた。

手のひらに触れる脈は、感じない。


「あぁ・・・!」


そう声が漏れた。

心の中に浮かんだのは、得も言われぬ歓喜。

これで、もう、苦しまなくてすむんじゃないだろうか? うん、きっとそうだ。もう、大丈夫。

愛されないからと言って、悲しむこともない。

愛してくれない人のことを、気にすることもない。

そうだ、自分には、自分を愛してくれる人だけが、必要なのだ。


満足感を抱え、『母親』だったものを見下ろした。

その『母親』の顔は、



「・・・・・・・・・・・・・・・え?」



自分のよく知る、自分の、母親。



これは、夢じゃ、ないの?



これは、『僕』のことじゃないの?



本当に、母親を、



殺して、



しまったの?



私が・・・・・・?



* * * * * * * * * * 


どんなに息をのんでも。

どんなに瞬きをしても。

どんなに自分をつねっても。

何も起きなかった。何も、変わらなかった。

目の前にいる母親。ぴくりとも動かず、生きているとは思えない。

手のひらに残っている感触。生々しいそれは、さっきまで母親の首を絞めていた証拠。


ーーー愛されて、なかったね


「っ!?」


突然聞こえた声に、冬璃は顔を上げた。

少し離れたところに、あの少年が、立っている。


「あ、・・・」


ーーー僕と同じ。愛されてない


その声は、どこかで、聞いたことがあった。

その声は、さっき、冬璃自身の口からでていたような。


ーーー僕と君は、同じ


少年が一歩、こちらに向かって踏み出した。


「や・・・!」


おびえて後ずさるも、母親だったものにぶつかり体をすくませる。


ーーー僕も、母親を殺した


にこりと、少年は笑った。


「え・・・」


ーーー知ってるでしょ?


「・・・さっき、の」


さっき見ていた、どこまでが夢かわからない夢。

あれは、この少年のもの?


ーーー僕も、君と同じ。母親を殺した


冬璃はゆっくりと、母親だったものを見下ろした。


「これは、私がーーー殺した、の?」


ーーー愛してくれないから殺した。それだけでしょ


少年は笑って、当たり前のように言った。

愛してくれないから。その通りだ。自分も、愛してくれない人はいらないと思った。

だから、殺した。・・・殺した。自分の、母親を。


ーーーいくら殺したからって、これは罪じゃないでしょ?


「罪じゃ、ない・・・?」


ーーーそうだよ、愛してくれないほうが悪いんだ


「・・・悪いのは」


ーーー母親の方。僕らは悪いことをしていないよ


「・・・・・・殺して、いいの?」


ーーー全然かまわない。誰だろうと、愛してくれないんだったら殺して良いでしょ?


「・・・・・・・・・・・・いいんだ」


冬璃は少し、微笑んだ。

そうだ。少年の言うことが正しいのだ。

自分たちはただ、愛されなかっただけで。愛してくれない人はいらないのだ。

それが、正しい。


冬璃は安堵のため息をつく。

仲間である少年を見上げようとして、もういないことに気がついた。


「あれ、何で・・・」


不思議に思ったけれど、まぁいいかと納得した。

この前だって、いつの間にか消えたんだし。神出鬼没という奴だろうか。


冬璃はゆっくりと立ち上がった。

妙にすっきりしているし、妙に疲れている。立ち上がると、少しよろめいた。


「ーーーーーっ・・・」


足に、何かが、触れた。

生々しい感触。足下を見下ろすと、そこにあるのは母親だったもの。



ーーー正しいわけがない!



震える手を見つめた。

感触がまだ残っている手。自分が、この手で母親を殺した。

それは、正しいこと。

違う。正しくなんかない。


「何、で・・・」


これは正しいことだ。


正しいことであるはずがない。


正しい。


正しくない。


正しい。


正しくない。


「何なの・・・!」


冬璃は頭を抱えた。自分の中に二つの感情があって、せめぎ合う。

自分がやったことが、正しいのか正しくないのか。

一見すると簡単であるような問いの中、安心感と罪悪感がごちゃ混ぜになる。

気持ち悪かった。



ーーー正しくないことを正しいと思いこんで


ーーー罪から逃げて


ーーー人を殺す


ーーーそして、歓喜を感じる


ーーーそんな自分は






ーーーーー嫌いだ!






「・・・あれ」


拍子抜けしたような声が漏れた。

今、自分は、なんと考えた?


「自分は、嫌いだって」


手の震えが収まる。


「自分のことが嫌い」


それは、つまり。


「自分のことを、愛していない」


だったら。


「自分は」


自分の手で、自分自身の首を包み込む。


「必要、ない」


愛してくれない人は


「いらない」


だから


「殺して、しまえば」


自分を


「私が」


愛してくれない人を


「殺せば」


手に力を込める。不思議とその手は、震えたりしなかった。しっかりと、首を絞めていた。


くっと、のどで妙な音が鳴る。冬璃はくすりと笑った。


愛してくれない自分なんて、いらない。


息が吸えなくなる。


これで、愛してくれない、いらない人が、一人減る。


苦しい。嫌だ。


この人ーーー自分も、冬璃のことを愛してくれれば死ななかったのに。


死にたくない。


愛してくれれば。


死ぬなんて嫌だ。


愛して、くれれば。


まだ、誰にも愛されてなどいないのに。


愛して、くれれ、ば。


死にたくない。


どうして、愛してくれなかったの。


まだ、死にたくない。


愛してほしい。それだけなのに。


死にたくない。生きたい。


愛されないなんて嫌だ。愛してほしい。


生きたい。


愛して。


生きたい。


愛して。


生きたい愛して生きたい愛して生きたい愛して生きたい愛していきたいあいしていきたいあいしていきたいあいしていきたいあいしてイキタイアイシテイキタイアイシテイキタイアイシテイキタイアイシテ




















アイシテ?




















* * * END * * * 




ありがとうございました。

少しでも恐怖を感じて頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ