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異世界で見つけた、父になる理由  作者: おこげ


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8/12

書き留める癖

朝の市場は、いつも少しずつ目を覚ます。

最初に来るのはパン屋だ。

焼きたての香りが広場に広がる。

次に農民の荷車が入ってくる。

木箱いっぱいの野菜や果物が運ばれてくると、市場の空気は一気に活気づく。

高橋は屋台の前で木箱を運びながら、その様子を眺めていた。

「高橋、その箱をこっちだ」

ガルドが指をさす。

「はい」

高橋は玉ねぎの入った箱を持ち上げ、屋台の裏に置いた。

まだ重さには慣れていないが、最初の日よりはずっと楽になっている。

箱を置いたあと、高橋はふとポケットを探った。

そこには、小さな紙切れが入っていた。

この町に来て数日。

高橋はあることを始めていた。

文字を書き留めることだ。

最初は掲示板の文字を覚えるためだった。

読めない文字を見つけるたびに、紙に写す。

そして横に意味を書く。

完全ではない。

だが、少しずつ理解できる言葉が増えてきていた。

それは、昔の仕事の癖だった。

会議の内容。

営業先の話。

上司の指示。

忘れないように、すぐメモを取る。

サラリーマン時代の習慣が、ここでも自然に出ていた。

「何を書いている」

いつの間にか、ガルドが横に立っていた。

高橋は少し慌てる。

「あ、えっと……」

紙を見せる。

そこには、ぎこちない文字が並んでいた。

リンゴ

パン

玉ねぎ

銅貨

銀貨

そして横に、小さく意味を書いてある。

ガルドはしばらく黙ってそれを見ていた。

「ほう」

一言だけ言う。

「覚えるために書いています」

高橋は少し恥ずかしくなった。

「読めないと困ることが多くて……」

ガルドは腕を組む。

「普通は口で覚える」

「だが……」

紙を指さす。

「これは悪くない」

高橋は少し驚いた。

ガルドは続ける。

「商売は覚えることが多い」

「品物、値段、客の顔、仕入れ先」

「全部頭に入れるのは大変だ」

そう言って紙を返した。

「書けるなら書いておけ」

「後で役に立つ」

高橋は小さく頷いた。

「はい」

そのとき、屋台の前に客が来た。

「玉ねぎあるか?」

高橋はすぐに顔を上げる。

「あります」

値札を見る。

「三つで銅貨二枚です」

客は頷き、玉ねぎを取った。

ガルドはその様子を見ながら言う。

「高橋」

「はい」

「君は変わった男だ」

突然の言葉に、高橋は戸惑う。

「そうですか?」

「ああ」

ガルドは淡々と言う。

「この町の人間とは少し違う考え方をする」

「だが、悪くない」

高橋は少しだけ笑った。

自分では普通だと思っていた。

だが、ここでは違うらしい。

昼になると、広場は賑わいを増す。

人々の声。

荷車の音。

商人の呼び込み。

市場はまるで一つの生き物のように動いている。

高橋は屋台の裏で、さっきの紙に新しい文字を書き足した。

市場

井戸

掲示板

リューネン

町の名前も、しっかり書いた。

(帰る方法は、まだ分からない)

だが、ここで何もしないわけにはいかない。

この町を知ること。

文字を覚えること。

仕事を覚えること。

それが、今の自分にできることだった。

高橋は紙を折り、ポケットにしまう。

そしてまた屋台の前に立った。

広場には、今日も人の流れが続いている。

ガルドの屋台で働く日々は、

ゆっくりだが確実に、高橋をこの世界へと馴染ませていくのだった。

昼を過ぎると、市場の賑わいは少し落ち着いた。

朝の忙しさが嘘のように、広場にはゆったりとした時間が流れている。

屋台の前を通る人の数も減り、商人たちはそれぞれ椅子に腰掛けたり、水を飲んだりして休んでいた。

高橋も屋台の横に腰を下ろし、小さな紙を取り出す。

朝から書き足した文字を、もう一度見直す。

リンゴ

玉ねぎ

パン

市場

掲示板

そして、その横に自分なりの意味を書き込む。

「……市場、マーケット……みたいなものか」

小さく呟きながら確認する。

ガルドはそれを横目で見ながら、荷箱の整理をしていた。

「まだ書いているのか」

「はい」

高橋は紙を見せる。

「覚えるのが遅いので、こうしておかないと忘れてしまうんです」

ガルドはふん、と鼻を鳴らした。

「覚えようとしているだけでも大したものだ」

そして少し考えてから、近くの木箱を指さした。

「それを見ろ」

箱の側面には、焼き印のような文字が刻まれている。

高橋は近づいて、目を凝らす。

「……これも文字ですか?」

「ああ」

ガルドは頷く。

「仕入れ先の印だ」

「どこの農村から来た野菜か、すぐ分かるようになっている」

高橋はゆっくり文字を指でなぞる。

少し歪んだ形の文字。

掲示板の文字と似ているが、少し違う。

「読めるようになると便利だ」

ガルドは言った。

「どこから来た品か、質はどうか、すぐ判断できる」

高橋は何度かその文字を紙に書き写す。

「……なるほど」

元の世界でも似たようなものはあった。

会社の段ボール。

商品番号。

製造番号。

仕入れ先や管理番号が書かれていた。

(どこの世界でも、やることは似ているんだな)

そんなことを思う。

その時、屋台の前を一人の男が通った。

隣の屋台の商人だ。

布を売っている中年の男。

ちらりと高橋を見る。

そしてガルドに言った。

「新しい手伝いか」

「ああ」

ガルドは短く答える。

男は高橋をじっと見てから、少し笑った。

「ずいぶん真面目そうだな」

そう言って、自分の屋台へ戻っていった。

高橋は少し気まずくなる。

「……見られてますね」

ガルドは気にした様子もない。

「市場は狭い」

「新しい人間が来れば、みんな見る」

そして水袋を飲みながら続ける。

「気にするな」

「仕事をしていれば、そのうち慣れる」

高橋は静かに頷いた。

市場は人の集まる場所だ。

当然、噂も広がる。

(まあ……会社も似たようなものだったな)

新しい社員が入れば、

誰なのか、どんな人間なのか、すぐ話題になる。

それと同じだ。

高橋は紙をもう一度見た。

そこには、覚えたばかりの文字が並んでいる。

まだ少ない。

だが、確実に増えている。

「高橋」

ガルドが声をかける。

「はい」

「そろそろ夕方の準備だ」

広場の向こうでは、また人の数が増え始めていた。

夕方は仕事帰りの人たちが市場に寄る時間だ。

高橋は立ち上がる。

「分かりました」

紙をポケットにしまい、屋台の前に立つ。

まだこの世界のことは分からない。

帰る方法も見つかっていない。

それでも――

ガルドの屋台で働く日々の中で、

高橋は少しずつ、この町の仕組みを理解し始めていた。

文字。

商売。

人の流れ。

すべてがゆっくりと繋がっていく。

そして今日もまた、

市場の一日が静かに続いていくのだった。

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