向き不向き
市場の片付けが終わる頃には、空はすでに赤く染まり始めていた。
屋台の上には、わずかに売れ残った野菜がいくつかあるだけだった。
「今日はこんなもんだな」
ガルドがそう言って、木箱の蓋を閉める。
高橋はその横で、銅貨の入った箱を見ていた。
一日の売り上げ。
銅貨がいくつも重なり、鈍い光を放っている。
「数えろ」
ガルドが言う。
「はい」
高橋は銅貨を一枚ずつ取り出し、並べていく。
十枚ずつまとめる。
さらにそれを重ねる。
自然と手が動いていた。
会社でやっていた作業と、どこか似ている。
「……百二十七枚です」
数え終えて言う。
ガルドは一瞬だけ高橋を見る。
「早いな」
「癖みたいなものです」
高橋は少し苦笑する。
ガルドは鼻を鳴らした。
「悪くない」
荷物をまとめ、二人は屋台を引いて歩き出す。
市場を離れると、人通りも少なくなる。
夕暮れの町は、昼とは違って静かだった。
しばらく無言で歩いたあと――
高橋が口を開いた。
「ガルドさん」
「なんだ」
「魔法って…」
言葉を探すように、少し間が空く。
「自分でも使えるようになるんですか?」
ガルドはすぐには答えなかった。
少しだけ考えてから言う。
「人による」
「生まれつきの差が大きい」
高橋は前を見たまま続ける。
「努力しても…無理な場合もあるんですか?」
「ある」
短い答えだった。
高橋は小さく息を吐く。
「そうですか…」
ガルドは横目で高橋を見る。
「気になるのか」
「正直に言えば」
高橋は苦笑した。
「気になります」
あの水の魔法。
空中から水を生み出す力。
あれを見て、何も思わないわけがなかった。
「もし使えたら、便利だなって」
ガルドは少しだけ笑う。
「便利だろうな」
そして足を止めた。
「だがな」
高橋も立ち止まる。
「お前は今日、何をしていた」
「え?」
「市場でだ」
高橋は考える。
「…売り物を並べて、売って、数えて」
「そうだ」
ガルドは頷く。
「それが仕事だ」
風が少し吹いた。
夕方の空気はひんやりしている。
「魔法が使えるかどうかは関係ない」
ガルドは静かに言う。
「商売で大事なのは別だ」
高橋は黙って聞く。
ガルドは指を一本立てた。
「見ること」
次に二本目。
「覚えること」
三本目。
「間違えないこと」
そして腕を下ろす。
「お前はそれができている」
高橋は少し驚いた。
「…そうですか?」
「少なくとも、初日よりはな」
ガルドは歩き出す。
高橋もその後を追う。
しばらくして、ガルドがぽつりと言った。
「魔法が使えなくても、食っていける」
「むしろ、その方が多い」
高橋は頷いた。
確かに市場にいたほとんどの人間は、魔法など使っていなかった。
それでも普通に生活している。
「…そうですよね」
少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
魔法が使えなければ、この世界では生きていけない。
どこかでそんな考えがあったのかもしれない。
だが違う。
この町は、魔法だけで成り立っているわけではない。
人が働き、物を売り、金が動く。
それがこの世界の現実だ。
ガルドが言う。
「それに」
「はい?」
「お前は数字に強い」
高橋は少し目を見開く。
「分かるんですか?」
「見ていればな」
ガルドは淡々と言う。
「数え方が無駄なく速い」
「値段の計算も早い」
高橋は少しだけ照れた。
「前の仕事の癖です」
ガルドは頷く。
「それは武器になる」
その言葉は、意外だった。
武器。
魔法でも剣でもない。
数字が。
計算が。
それが、この世界での自分の価値になるかもしれない。
「明日から」
ガルドが言う。
「売り方も考えろ」
「売り方…ですか?」
「ああ」
ガルドは振り返らずに言う。
「どうすれば売れるか」
「どう並べれば目に入るか」
「値段をどうつけるか」
高橋はその言葉を頭の中で繰り返す。
(売り方…)
それは、まさに自分がやってきたことだった。
会社で、商品をどう売るか考えた日々。
無駄ではなかったのかもしれない。
「やってみます」
高橋ははっきりと言った。
ガルドは小さく頷く。
「失敗してもいい」
「だが考えろ」
その言葉に、高橋は強く頷いた。
夕焼けの中、二人は歩く。
魔法は使えないかもしれない。
だが――
この世界で生きる方法は、それだけではない。
高橋は静かに思った。
(俺にできることをやるしかないな)
それは派手ではない。
だが確かな一歩だった。
異世界での生活は、まだ始まったばかりだが――
その中で、自分の立ち位置が少しだけ見え始めていた。




