二度めの婚約は法律で禁止されております~「醜い」と蔑まれた令嬢を救うのは、幼なじみでした~
その日、一通の手紙が私の元に届いた。
封筒の宛名は『クレア・ローレンス』。
『おまえとの婚約は破棄する。早急に書類に署名して送り返せ。今年、学園に入学予定だったな。おまえの醜い顔など見たくない。間違っても入学はするな』
「ついに、この日が……」
私は、顔の左半分を覆い隠している金の髪を撫でた。
便箋を持つ手が、震える。
早く、お父様にご報告しなくては。
私は父の元へと駆け出した。ノックもせず、父の執務室の扉を開ける。
「お父様、あの方が婚約破棄を求めてきました」
「……おお、ようやくか。よし。すぐに署名して送り返してやろう」
*
「父上、あの醜い女クレア・ローレンスとの婚約はやめる。俺は運命の相手を見つけたよ。子爵家の三女で、家格は低いが美しい女なんだ」
「認めんぞ。それに、何度も言うが彼女の名は――」
「もう婚約破棄の手続きは済ませてある。あとは、役所から承認の通知が来れば俺は自由だ」
父の言葉を遮ると、手に持っていた印章を父親に向けて放り投げた。
「貴様、まさか、勝手に印章を持ち出したのか! なんということをしてくれたんだ……。あの家との繋がりこそ、我が家が生き残る唯一の希望なのだぞ……!」
「大袈裟だなあ。新しい婚約者が来るんだ。もっと喜んでくれよ。早速、明日声を掛けてやろう」
頭を抱え「終わりだ……」と繰り返す父を置き去りにして、彼は呑気な声色で言い残し部屋を後にした。
*
学園の入学式。
眉の上できれいに切り揃えられた前髪と開けた視界にはまだ慣れない。
……なんだか、皆さんに見られている気がするわ。
「彼女はどこの家の令嬢だ?」
「なんて美しいプラチナゴールドの髪なのかしら。緑の瞳も宝石みたいに煌めいて綺麗だわ」
「あんなに美しい令嬢なら、社交界で噂になっているはずだ」
なんだか気恥ずかしくて、助けを求めて隣――というには少し距離があるけれど、並んで歩いている彼に視線を送った。
「みんな、君が美しくて見惚れてるんだよ」
彼の名はリカルド・シュルマン。我が家とは領地が隣同士の男爵家の次男で、私の唯一の幼なじみだ。他の生徒が纏っている紺の制服とは違う、特待生だけに与えられる真っ白な上着。
いつだってリカルドの日だまりのような笑顔は、私の心を落ち着かせてくれる。
……はずだったのに。
「失礼。よろしければ会場まで案内してあげようか?」
ねっとりとした声に背筋が凍えた。
私とリカルドの間に突然割り込んできた一人の男。無造作に伸ばされた、くすんだバーミリオンの髪。
忘れたくても、忘れられない色だ。
――オリバー・ヘイル。私に手紙で婚約破棄を突きつけた男。
「……申し訳ありませんが、結構ですわ」
断られるとは思いもしなかったのか、髪と同じ色の濁った瞳が驚きに見開かれた。
相変わらず、他人の気持ちのわからない人だこと。
戸惑い呆けているオリバーを置き去りにして、立ち去る。
「クロエ、彼が例の婚約者?」
「そうよ。手紙ひとつで婚約破棄を宣言した元婚約者よ」
*
「クロエ嬢。よければ、歌劇の鑑賞などご一緒にいかがですか?」
「紅茶と菓子の美味しい店を見つけたんだ。次の休日に二人で出かけない?」
入学してから、声をかけてくる男子生徒たちから逃げる日々。
八年間、社交の場に顔を出さず屋敷に籠りきりだったのだ。どうしたらいいのかと戸惑った。
特待生のリカルドは、教師に呼ばれることが多くて私の側にいないことが多い。
「はあ。なんとか、ひとりになれたわ」
人気のない中庭の片隅。ひっそりと置かれたベンチで溜め息をつく。
「……やはり美しい。あの生意気な子爵家の女より、俺の婚約者に相応しいのは、君だ」
耳にこびりつく声に顔を上げた。
そこには、くすんだバーミリオンを掻きあげるオリバーがいた。
「俺の名はオリバー・ヘイル。美しい君、どうか俺の婚約者になってくれないか?」
なんて軽薄な笑顔かしら。
「……貴方とは、婚約できません」
「婚約者がいるのか? どこの男だ?」
「まだ、婚約者はいません」
「それなら――」
「わたくしのこと、お忘れですか? クロエ・ウォーレンスです。貴方は、わたくしの名前を間違えて覚えていたようですが、婚約を破棄した醜い女『クレア・ローレンス』は、わたくしですよ」
「…………は?」
オリバーがだらしなく開いた唇のまま、言葉の通り固まってしまった。
そんなに驚きますか?
貴方は、私のことを田舎の貧乏貴族だと思っていたのですものね。
確かに八年前は、ウォーレンス家は冷害の影響を受け貧しかった。それでも、近年は父やリカルドの尽力で盛り返した。
反対に、オリバーの家は年々、領地経営が思うように行かずに没落寸前だとか。どうやら、彼はそんなことすら知らなそうだけれど。
今から八年前。ヘイル伯爵家に私たちは家族で招待された。主催者であるヘイル伯爵家族に挨拶しようとしたその瞬間。伯爵に恨みを持つ男が刃物を手に襲いかかった。――あろうことか、オリバーは私の肩を掴み自らの盾としたのだ。
今でもはっきりと覚えている。
悲鳴と怒号が入り乱れた喧騒。
震える指で触れた左頬のヌルりとした感触。
指先を染めた朱の鮮やかさ。
「ぜ、是非、息子に責任を取らせてほしい」
招待客を前に無責任な真似は出来なかった彼の両親は、「責任など取らなくてもよい」と断る父の言葉に聞く耳をもたなかった。
とにかくこの場を丸く収めて、ほとぼりが冷めたら婚約を解消すればいい。そんな魂胆が見え隠れしていた。同じ伯爵家ではあったものの、当時はヘイル家の方が立場が強かった。
こうして私とオリバーの婚約は結ばれてしまった。
その後、互いの領地が離れていたこともあって、やり取りは手紙のみ。オリバーは一度も会いには来なかった。
はじめの頃は週に一度。
『醜いおまえと婚約してやったんだ。感謝しろ』
『どうか、婚約を解消してください』
私たちの文通は、いつもこの繰り返し。
二週に一度、月に一度と間隔が空いていった。たまに届いたとしても綴られているのは、『この俺と婚約するためにわざと怪我をしたのだろう』と私を責める言葉だけ。
それでも私は、『婚約は解消してほしい』と送り続けた。
オリバーの記憶は、成長するにつれて都合よく書き換えられたに違いない。『自分の愚かさで私を傷つけた』という汚点が、『自分と結婚するために私がわざと怪我をした』へと。
『学園に入学したら、俺と婚約したがる女は山ほどいるだろう。そうなったらおまえなど捨ててやるからな』
ああ、早く私を捨ててほしい。
その日から、婚約を破棄される日を指折り数えた。
そして、入学を控えた私に、彼はついに婚約破棄を突きつけたのだ。
――最後まで、婚約者の名前を間違えたまま。
書類には、『クロエ・ウォーレンス』と署名したのに、それすら見ていないのでしょう。
「そ、そんな。だって、それならば顔の傷は?」
「確かに、傷跡が残るだろうと医師に言われました。ですが、わたくしのために、必死に薬草を探してくださった方のお陰で、きれいに治りました。それに比べて貴方は……醜いからとわたくしを責めて捨てただけでしたね」
オリバーの肩越しに、リカルドの姿が視界に入った。
心配そうに目を細める彼に『ひとりで大丈夫』と笑顔を送る。
「嘘だろ。……待てよ。それなら君は、俺の婚約者じゃないか」
声を出して笑うオリバー。その笑顔は口元が歪んでいて、醜かった。
「ほんとうに残念な方。婚約者はいないと申し上げましたでしょう? 婚約破棄の書類はそちらが提出して、承認されたのではなくて?」
そう。書類はすでに役所に提出済み。承認の通知は昨日、届いた。
正式に、婚約は破棄されたのだ。
「それじゃ、俺と君は……」
「なんの関係もない、他人ですわね」
「もう一度婚約しよう! そうだ。それがいい」
「一度婚約を破棄した相手とは、二度と婚約は出来ない。この国の法律をお忘れ?」
かつて、同じ相手と婚約と婚約破棄を繰り返した愚かな王子がいた。『愛を深めるため』という理解しがたい理由に、互いの家も周囲も巻き込まれ混乱に陥った。その結果作られたのが今の法律だ。
言葉もなく、膝をついて悔しがるオリバー。
「さようなら。素敵な婚約者を見つけてくださいませ」
くすんだバーミリオンの髪を見下ろして別れの言葉を告げた。
中庭には、いつの間にか生徒たちが集まっていた。明日にはオリバーの醜聞が学園中に広まるでしょう。
過去との決別を済ませた私は、日だまりを溶かしたような蜂蜜色の髪をしたリカルドの元へと駆け寄った。
顔に大怪我を負った私のために深い森に入り、冷害で全滅したはずの薬草を探し求めてくれたリカルド。
来る日も来る日も、私のために木の根に躓き、茨に絡み付かれ、擦り傷や切り傷だらけになりながらも諦めなかったリカルド。
薬草を手に嬉しそうに笑った彼の笑顔は、まさに天使だった。
私の大好きなリカルド。
顔の傷が治ったと知られたら、婚約破棄は叶わないかもしれない。だから髪で顔を隠して社交の場にも出ずに過ごした。
リカルドは幻の薬草を発見、栽培に成功して特待生となったのだ。更には、彼の実家であるシュルマン家と我がウォーレンス家、両家が協力して薬草の流通を軌道に乗せることに成功した。その功績を認められ、彼は学園を卒業すると同時に、子爵位を叙爵されることになっている。
彼は、自らの力で父の信頼を勝ち取り、地位を手に入れた。……私のために。
「長い間待たせてしまってごめんなさい」
「大丈夫。これで、堂々と君に婚約を申し込める」
恭しく膝を曲げたリカルドが、私に向かって手を差し出した。
「もしも、婚約破棄できなかったら二人で駆け落ちしようって言われて、それも悪くないかもと少し楽しみにしていたのよ」
私は彼の手を取り、上目遣いで笑ってみせた。
「これから、学園生活が楽しみだわ」
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