1
『オペレーションシステムは応答していません。』
無機質な機械の音がピリピリとした空間に響く。
「ねー、アドイス…本当にここで受け取りなの?」
アドイスと呼ばれた女性が髪を翻らせながらこちらを向いた。
クロムオレンジの臍部まである髪が隣で話しかけていた溟に当たったようで、溟は嫌な顔をした。
「えぇ、確かに招待を受けたわ。もう一度確認するかしら?」
「いや、大丈夫だけど〜…」
言い淀んで目を逸らした溟と目があった。
「あれ!目覚めたじゃん。」
声をあげた溟のせいで頭がガンガンと痛い。
「ゔ……。」
「え、大丈夫!?」
近づかれたせいで更に大きな声が頭に響く。
「声大きい…。」
「君、ここの暗号を教えてくれない?」
さきほどアドイスと呼ばれていた女性が質問をする。
(なんの暗号のことだろう。)
ここが何処かもわからない。それなのに暗号が分かったら凄い特殊能力だと思う。
「暗号って…何の?ここは何処なの。」
周りが静かになる。
聞いてきた女性も絶句している。
周りには4人ほどが居て全員に目を向けてみるも目を逸らされた。
鮮やかなピンクがかった赤色の髪の少女が沈黙を破った。
「ね〜、これほんとにセファンスの言うとおりなの?」
「わからない…けど、おそらくは違うんだわ。」
「俺はずっとあいつは信用ならないと言っている…。」
少女とアドイスさん、そして暗い青紫髪の青年の3人で話し合いが始まっている。
話し合いの中で知らない名前や言葉が飛び交っている。
私はセファンスという人に連れてこられたのだろうか。
「あの…私はなんでここにいるんですか。といっても、どこに居たか覚えてないんですけど…。」
恐る恐る聞いてみると、もう一人の男の人が答えてくれた。
「ここの兵器が爆発されるのを止めに来たんだが、肝心の着火剤は金庫に保管されていて…。その金庫を開けるための暗号を職員から聞く予定だったんだが、仲間の一人がほとんどの職員を殺してしまってね…。」
私はそんなに危険な場所に居たのだと知ってびっくりした。
では、私は助けられたのだろうか。
「私は…?」
「君は…、立っていたんだ。金庫を確保した後、出口の前に。職員だと思ったがやけに動かなかったので幹部かと思って連れてきた。」
「抵抗もしなかったが、記憶もないとは…。君は一体何者なんだ?」
私の名前、考えてみれば思い出せない。居た場所はぼんやりと思い出せるがその前もその後の記憶も。
私はふと、気づけば大きな生命体と一緒に鉄格子に囲まれた箱に入っていて、急いで逃げ出して…。
なぜか、あの1つだけ金庫が置いてある部屋に辿り着いた。
誰かが居て…それから…。
ここからの記憶がなかった。
「分からない。けど、大きな生命体が箱に一緒に入ってたから、襲われないよう逃げた。」
彼が少し考える様子を見せたあと、当時のことを説明してくれた。
「君がどこまで覚えてるか分からない。しかし…出口前に立っていたとき敵対する様子は無かった。」
「だから私たちは無視をして部屋を出たんだ。部屋を出ると千尽獣が居たんだが、君は応戦してくれてね…。」
そう言われて朧げな記憶が浮かび上がっては消えていく。
「その時に掠り傷を負ってしまって、千尽獣が倒れるまでは元気だったんだが、その後倒れてしまって…。」
「ここの人は君だけだったし、ここに1人にするわけにも行かないから連れてきたんだ。」
「何か思い出せたか。」
残念ながらその時の情景が思い浮かぶだけで前後のことは何も分からない。
しかし、1人だけ脳に浮かび上がる人がいた。
「えっと…、赤紫の宝石みたいにキラキラした目をしてた人がいるんです。レウェリアンっていうんです。私の何倍の大きさもあるんですけど…。」
私が僅かな記憶をたぐり寄せて話していると彼の様子が変わった。
「レウェリアン…、彼女はこのセンターの機長なんだ。彼女と面識があるのか?」
レウェリアン、彼女のことはレウィと呼んでいた。
レウィはよく読み聞かせや子守歌などを聞かせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたりしていた。
「はい、多分…ずっと一緒にいました。」
「どういう関係なんだ?」
彼が疑問そうな表情をして言及してくる。
「わからない。あまり思い出せない。」
「それはいくつの時の話なのか?」
「…あれ、いつだっけ?というか今って産まれて何年経ってるんだろう?」
よく考えてみると、その頃の記憶は現在の記憶と乖離していて、遠い昔の出来事な気がしてくる。
頑張って記憶を辿ろうとするもその間の記憶は全て取られたように思い出せない。
粘っていると、足音が此方に近づいてきたので目を向けた。
「ねぇ、貴方の名前確認していいかしら。今からレウェリアン機長に連絡する。」
「名前…思い出せない。でも、遊びに行ってたって言ったら限定されると思います。」
私がそう説明すると、アドイスさんは暫く頭を抱えて、具体的な出来事を聞いてきた。
アドイスさんにも聞かれてしまったので、先程した説明を繰り返した。
「そ、それと…読み聞かせとかはやってくれてた、かも。」
ぼんやりと状況を浮かべながら説明する。
アドイスさんも僅かに驚いた表情をしている。
「お、機長と連絡がついたぞ。」
暗い青紫色の青年が戻ってきて此方に言葉を投げかけた。
「ありがとう、月讀。どうだ、来てくれるのか。」
「えぇ、彼女が居るならと。」
チラと、此方に目線を動かした月讀と呼ばれる青年と目が合う。
「君、そういえば名前はなんと言うんだ。」
「わかりません。覚えていません。」
「それは困るのだが…。」
私が適当に流して答えようとすると、ため息をついて1つ説明をしだした。
「お前はおそらく、俺たちとしばらく行動することになるだろう。だから名前がわからないと困る。」
強く責められるように言われたので、思わずたじろいでしまった。
「月讀…、おそらくだが彼女は本当に名前が分からない。新たに呼び方を決めたほうが良いと思う。」
「そうか…、なにか好きなものあるか?」
月讀さんから質問を投げ掛けられる。
記憶が殆ど無いため、まだ好きなものは見つかっていない。
しかし、そういえば読み聞かせは大好きだった。
「読み聞かせとかは大好きだったよ?」
この言葉が使えるのではないか、そう思って聞き返す。
「流石に読み聞かせ呼びはちょっとどうかと思うのだけど…」
いつの間にか近くに来ていたアドイスさんに止められた。
「実は機長と連絡がついて、今から通信するのよ。」
「やっほー…あれ。…なんで儡ちゃんが。」
「レウィさん!」
私がそう呼びかけてもレウィさんは軽く流した。
怒ってアドイスさんが事情を説明するように促す。
「あー、なんで居るかは深く咎めないけど、好きに動いていいよ。」
アドイスさんは友好的だった姿勢から一気に警戒する態度に変えた。
「今回の騒動について。それと、この子について説明してくんない?」
空気が悪くなる中、溟が先陣を切って質問する。
「何から聞きたいのかしら。どうせセフから頼まれた。違う?」
言い当てられたのか一同は黙った。
確かに、先程もセファンスは信用ならないと言われていた。
「忠告しておくわね。セフが求めているのは人助けではない。ただ犯罪の片棒を担いでいるだけよ。」
危うくレウィのペースに飲まれそうになったが、月讀が我に返って質問をする。
「あの箱は結局なんなんだ。毒物兵器ではないのか?」
「はぁ、やはり芳抄の計略は洩れやすい…。兵器ではないけど、毒物だったかなー?」
今のレウィは私の記憶の中のレウィとは違う。
気になったから質問をする。
「私は何で記憶がないの?」
「答えられない。今の私は、その頃の記憶が曖昧だから、知らないし最適な答え方もわからない。」
思わずつばを飲み込む。
「それは…。」
「君はショックを受けてくれた?私は一度死んだから記憶が統制されてるのよ。」
その場には沈黙が広がっていて、誰も反応できる人間は居なかった。
「お、質問はないみたい。じゃ、またね〜。」
私達が気づく前にレウィはもう去っていってしまった。
「あっ、もういない。」
私が通信機を見た後のその言葉で、周りも我に返る。
「はぁ、また逃してしまったな。」
「もう良いの。ひとまず毒物という情報が入っただけでもセファンスは満足するでしょうから。」
「私は納得いかないけど。」
口々に文句を垂らす中、私がまだ名前を知らない彼が声があげる。
「この件を深追いするのは危ない。だから状態を立て直してから追おう。」
「カマラさんに賛成!絶対にしてやられたままじゃ駄目だよ。」
「とりあえず彼女の事を考えなければ…」
カマラ、そう呼ばれる人の言葉で周りの視線が此方に集中する。
「ついて来るかい?」
きっとここに残っても居場所はないし、もれなく敵対することになるだろう。
おそらく負けてしまうし、レウィの態度の合わせて考えても一緒に働けない。
ならば、早めの投降が良いだろう。
「一緒に居たいです。」
「了解だよ。きみはさっき”くぐちゃん”と呼ばれていたが…。何という名前なんだ?」
くぐ…そういえばいつも、"くぐつ"と呼ばれていた。
「くぐつ、って言われてた。」
「あまり、いい言葉ではないな…。」
「どういう意味なの?」
「操り人形。他人の思惑に沿って動かされるもののことだな。」
今日だけで何度沈黙が流れたことか。
溟が空気を戻そうと声を張った。
「まぁまぁ!あたしらで名前決めてあげようよ!儡ちゃんが自分で決めてもいいし!」
「ほら〜、君のその綺麗で不思議な瞳!ルベライトとかどう!」
どう見ても空元気な態度で熱弁してくれた。
「宝石?たしかに可愛いと思うよ。」
適当に返事をしてると他に人たちもノリノリで考え出した。
「安直だが、白緑もどうだろうか?」
「あと、ラブダナムとかどうかしら?昔亡くなってしまった友人の名なんだけど。」
「私はスピカも良いと思う。やはり、星の中でも最も明るい光を持つ星はこの旅にふさわしいと思っている。」
周りが口々に案を出し合っていると1人知らぬ少女が入ってきた。
「幻砕宝、とかどう?」
にへ、と笑いながらこちらに来る少女は小さく一緒に戦っていると思えなかった。
「灑銖、全然ダサい。てか、武器の手入れはもういいの?」
「うん、なんか楽しそうだったから来た〜。おぉ!君が新しい人?」
かなりグイグイと近寄ってくる。
「まぁ、そうとも言いますけど…。」
「そうとしか言わないの!で、どんな名前がいい?」
「じゃ、じゃあスピカで…。」
「うちは溟だから。じゃあ、スピカよろしくね!」
「う、うん…。溟よろしくね…?」
困惑してると、月讀さんが話しかけてきた。
軽くため息を付きながら笑って溟を眺めている。
「あいつ1人で暴走するから。気になることは俺かアドイスに聞いてくれ。」
この人は安心して話せそうで安心した。
「分かりました。月讀さん、ありがとうございます。」
「俺も月讀でいいぞ。スピカと呼ばせてもらうな。」
「他のメンバーの名前を紹介しておく。」
「えっと、アドイスさんと、カマラさん、溟、灑銖さん。そして、月讀さんですよね。」
確認すると驚いた顔をしていた。
でも、この状況なら誰でも必死で名前を覚えようとするだろう。
「でも、あと一人、移動や取りまとめを行う韵璃がいる。彼に頼んで部屋を貰いに行くぞ。ついてきてくれ。」
「あ、はい。」
1人足早に歩き始めた月讀に慌ててついていく。
共用デッキから出て廊下を少し歩くと、最後から3番目の部屋に入る。
こじんまりとした空間にオレンジの光が差している。
ビューローの横にはドアがあるため、奥の空間には生活用のベッドや浴室があるのだろう。
「ここだ。運転手、例の子なんだが、これから共に行動することになるので部屋を分け与えてくれ。」
「えっと、これからよろしくお願いします。スピカです。」
慌ててお辞儀すると、座って話を聞いてた青年も立った。
視界に入った運転手はかなり小さく140cmあるかないかの身長だった。
「僕は長命だから、成長スピードが遅く身長がまだ伸び切っていないだけだ!100年は生きている。」
「彼はこれでもまだ人生の6分の1程度しか生きていない。」
なるほど、どおりで小さいわけだ。
「お前の部屋を用意するちょっと待っていて。」
運転手はそう言って、部屋の中の奥の部屋に入っていった。
「この船は自由にサイズ変形ができるんだ。その代わり、エネルギーが要るんだけどな。」
エネルギーを貯めるには、唯一のこの船の燃料を知っているベルチャージャーという団体から貰うか、船の神から見てもらう行動を取ることが必要だという。
ベルチャージャーではごく少量のエネルギーが生まれるそうだ。
だが、それに頼るだけでは足りないので、自らでエネルギーを作らなければいけない。
煩発物質という、色々な星で生成される、人の感情を操作する異物。それを排除して船で処理することでエネルギーを生成できる。
「なるほど。不思議な原理で動いているんですね。」
「この世界は謎だらけだからな。俺はようやくまともな人が来てくれて嬉しい。」
「おい、出来た。部屋へ案内するから。」
韵璃が此方に戻ってきた。
部屋を出て、用意された私の部屋に向かった。
もう一度来た道を戻ると、反対側の廊下を通る。
「手前から、灑銖、月讀、アドイス、溟の順になっている。そして、その後ろがお前の部屋だな。」
「風呂とベッド、トイレはあるがそれ以外は各自で揃えるように!業務を手伝うことで賃金を与えたり、後各自の活動でもらえるお金を使うと良い。」
机とかクーラーとかを置いてくれても良いのではないか、と訝しんでドアノブに手をかけた。
ドアを開くと、簡素な部屋が広がっている。
思わず首を傾げていた。
「なんでこんなに物が揃ってないの…。」
「あぁ…。それはだな…、アドイスが船資金でそれはたくさん無駄遣いをしたんだ。」
月讀は深くため息をつきながら説明する。
「気になるならアドイスの部屋に行ってみてくれ。」
「分かった、ありがとう。今から行ってくる。」
「あぁ、それと…。」
何か言い掛けていた月讀に気づかず、アドイスの部屋に向かった。
「アドイスさん、入っていいですか?」
ドアを勢いよく開けながら話しかける。
「え、どうしたのかしら?」
「アドイスさん、空調とか机ってどうやって手に入れたら良いんですか?」
「まだ、説明は終わってないが…。」
焦って追い付いてきた月讀に話を遮られた。
アドイスさんが月讀の様子を窺って質問した。
「あら、どうかしたの?月讀。」
「いや、アドイスが趣味で美術品の偽物を買ったことで自費で買い物するようになったって話をしてたら走っていかれた。」
「痛い話を思い出させるわねー。あ、そうだ。スピカ、その品見る?」
美術品、偽物という言葉に好奇心が沸き立てられた。
「え、見たいです!」
「了解。任せてね。」
食い気味に返事すると、アドイスさんはそう言って美術品を取りに行った。
「偽物、3000万アラゴで買ったそうなんだ…。」
「高い。」
「それなのに、船資金で買おうとしたんだから運転手が怒ったんだ。」
共用の資金から偽物で3000万はそうなっても仕方ない気がする。
しかし、普通のものを買うにはどうすればいいんだろうか。
「なるほど。手っ取り早く空調器具を手に入れるには?」
「船資金を手に入れるのではなくその物を手に入れることだ。」
「なるほど、商品を買ってもらうんだ。」
「そうだ、トイレタリーは船の支給品があるからそれを使えばいい。」
「どこにあるの?」
「後で連れて行く。それよりアドイスが戻ってくるぞ。」
そう言われてアドイスが向かっていった方に目を向けると、アドイスが戻ってきていた。
「おぉ、思ったよりも小さい。」
「サイズは合ってるわ。どうこれよ、割と見分けられないでしょう。」
そう言って絵画を見せてくる。
「スピカは記憶が無いから分からないだろう。これはエフェモンリッセの『宝玉商の憂い』という作品だ。」
「結構本物のようだったのだけど…。」
アドイスさんはそうやって悲しそうに言う。
可哀想だと同情していると、隣から冷たい声が聞こえてくる。
「勘違いしないでくれ。本物はこっちだ。そうだ、スピカに違いは分かるだろうか?」
そう言って、美術館で撮ったであろう写真を見せてくれる。
パッと見では見分けがつかない。
隅まで一生懸命に調べて慌てて返事をした。
「宝石の傾斜が違う…?なんかアドイスさんの持ってる品のほうが鋭利な気がする。」
恐る恐るそう聞いてみると、月讀は頷いた。
そして、少し付け加える。
「それと、宝石商の着ている服は、本来は腰に穴の空いたデザインなのだが…。それもアドイスの物は塗りつぶされてしまっている。」
そう言われて見てみると確かに違う。
アドイスさんが申し訳無さそうにしているのを見ると居た堪れない。
「私の目が悪いのかしらね?」
「そうとは思わない。…が、もう少し理性的に見る必要はありそうだよ。」
月讀がフォローになっていないフォローをすると、アドイスさんは絵画を持って奥に戻っていった。
「最後にお礼を言ったら次は支給品を受け取って、それから当番表を確認しに行こう。」
「忙しいね。」
「あぁ、変化に疲れただろうし今日は早めに寝てくれ。」
「任せて、今までずっと寝てたから。」
「反応しづらいジョークは止めてもらえないか…。」
「次に買うときは君たちに相談するわね。」
アドイスさんが戻ってきていた。
「あ、はい!ありがとうございます。では、失礼しました。」
そう言って、部屋を出た。
ドアが閉まったのを確認して少し歩き出すと月讀が話し出す。
「支給品は定期的に自分で補充するために、場所を覚えるんだ。」
そう説明されて、軽く談笑しながら歩く。
目的地には、シャンプーやボディソープ、トリートメントなどの詰め替えが並べてある。
「ここには中身しかないから一度容器を貰ってくるぞ。」
「はーい。あ、待って、月讀。」
「なんだ。」
「道覚えるの忘れた…。」
「お前…。」
道を覚えることすら忘れていたのを伝えると、ため息を零された。
掠れた力のない僅かな声で、恨めしく呟かれる。
「まぁ、良い。今から口頭で伝えるし、分からなかったら俺の部屋に来てくれ…。」
「まずスピカの部屋を出て韵璃の部屋のあるデッキに向かう。そのデッキの手前から2番目の部屋の備品室だ。」
説明されてようやく理解したが、かなり単純な道だった。
「その部屋の奥に容器はあるからそれを取る。取るときは運転手に伝えるか、ここの使用用紙に書いてから取るように。容器を変えるときはここの洗浄機に入れてまた使用用紙に記入すれば問題ない。」
そう言われたので、まず今日から使う容器を取る。
そして使用用紙に名前と使うものを記入して記入箱に入れておいた。
「大体わかった。」
適当に頷きながら、並べてある支給品を指差しで眺めて選ぶ。
3種類ずつ置いてあって、指差しでリズムを刻む。
「なら良いが、全部覚えるのは難しいだろうから分からなかったら俺でも誰でも聞くようにな。」
リズムに乗って鼻歌を歌っていて月讀の話に気づかず、容器にシャンプーやボディソープを詰めていく。
蓋を閉めていると、月讀から注意をされたので意識が引き戻された。
「人の話は最後まで聞こうな。」
「あ、うん。分かってるって。」
「次は当番表だ。容器は俺が持っておく。確認してから部屋に戻ろう。」
月讀に導かれて、部屋の容器棚の反対側の壁に向かう。
「ここに当番が載っている。今はまだスピカの業務は無いが2週間後からだと思うぞ。」
月讀の指す画面を見ると、名前と仕事の載った表が書かれている。
船掃除、容器洗い、衣服の洗濯、支給品の補充購入、物資購入。
それぞれに人が割り振られている。
「衣服…、あ。」
ふと、当番表を見ていて気づいたが、私には今目覚めたときに着ていたセンターの制服しかない。
一応ではあるが特別制服なため、センター職員と全く一緒ではない。
しかし、少なくともセンターが身元だとバレるには申し分ない見た目をしている。
「そういえばそうだな。」
「着替えもなければセンターの制服しかないのは問題だ。今日か明日の内に服のセンター独自のデザインを少し変えてもらう。」
「後でみんなに確認する。」
月讀がそう言って部屋から立ち去るのに慌ててついていく。
「あ、荷物…。これを部屋に持って戻れるか?俺はみんなのもとへ向かう。」
月讀が荷物を持ったままなことに気付き、私に明け渡した。
それを受け取って先に進もうとすると再度呼び止められた。
「1人で戻れるか?」
不安そうに疑われている。
流石に舐められている、と不満を感じ眉を下げる。
「覚えてるから大丈夫。」
「そうか?なら良いが、韵璃が渡す物があるそうだ。手が空いたら共用デッキに来るようにと。」
「了解です。」
しっかりと返事し、駆け足で自分の部屋に向かった。
今まで往復した道は見慣れてきて、安定して部屋にたどり着けた。
ドアを開けるとだだっ広い空間が広がっている。
アドイスの部屋を見た後だと、家具がないから広いとも思える。
見渡しても手洗い場が見つからなかった。
奥に一つ部屋があり、浴室と推測できる。
浴室のような部屋の扉を開くと、洗面所も見つかった。
持ってきたトイレタリーを適切な場所に並べて、試しに手洗いをしておいた。
「これってもう寝てもいいのかな…。」
そう言って寝ようとすると嫌な声が蘇ってきた。
手が空いたら共用デッキに行くという用事を慌てて思い出す。
疲労の溜まった重い腰を上げて歩みを進めると体は思ったよりも軽い。
造られた身体なだけあって心と違って疲労が出にくいようだった。
「この体が憎いんだけど。もうちょっと疲れなよ。」
愚痴をこぼしながら部屋を出ると、コップを持って部屋に戻ってくる溟に会う。
コップに入っているミントグリーン色の液体は仄かな甘い香りを放っている。
その香りが疲れた身体の食欲を誘う。
「なにそれ。」
「カシレソーダだよ。飲む?」
「カシレってどういうの?」
「果物だけど…。飲んだらわかるよ。」
そう言って液体をゆらゆら揺らしながら見せてくる。
ぼんやりとそれを眺めていると、溟は得意げにごくんとカシレソーダを飲み込んだ。
「へぇ、美味しそう。今度飲んでみる。」
「でしょ、今度分けてあげるよ。」
「溟〜、私もう疲れた。あんたが羨ましい。」
「大変だもんね、ご飯までもうひと踏ん張りだから頑張って。」
話を終えると、溟は楽しそうに部屋に戻っていった。
少し元気が出てきたのでペースを上げて共用デッキに向かった。
共用デッキにつくと、不満な運転手に出迎えられた。
「少し遅いぞ!」
「溟にあったから少し話してて…。」
「それならいい。それで船員にはつけていてほしいものがある。」
納得してくれた運転手が雑多感のある箱から、何か取り出した。
金属製のパーツに木材が接着していて豪華な装飾がついていた。
「船員である証のバッジだ。それをつけているときの行動は船のエネルギーに換算されるからな。」
そう言って渡されたパーツを眺める。
付けるための器具が見当たらない
「これってどうやってつけるんですか?」
「服にブローチとして留めたり、裾に縫い付けたりだな。髪飾りとして使ってる人もいるが…。」
このド派手なものを髪飾りにするなど、ある人しか思い浮かばなかった。
あまり話したことがないが、覗き見た服の装飾の大抵が宝石だった灑銖のことだろう。
「灑銖とかな。僕は紐に通して首に引っ掛けている。」
そう言って服の内側に入れ込んだバッジを、紐を引っ張って取り出した。
ペンダントのパーツにしては少し大きい気がする。
「運転手さんも変な付け方ですね。」
「そういう君はどうやってつける?」
「このコートの衿先に留め具で付けようかなー…って。」
「センター職員用ジュエリータッセルを外せば職員用と気付かれないほど、素材も仕立ても良いコートだ。コートを変えなくても問題ないだろう。」
「あそこに裁縫道具が置いてあるから、自由に使っていい。材料は…、溟に許可を取る、といい。」
運転手がため息を付きながら、共用部分の隅にある箱のような部屋を指差した。
部屋を覗いてみると、その中にミシンや織機などの裁縫道具が並べて置いてある。
何故あんなに大きい業務用のような織機が置いてあるのだろうか。
「なんでこんなに大きい織機があるんですか?」
少しの間沈黙が流れた。
「溟が欲しいと言うからな。……しき…でか…。」
「なんて?」
「船の資金で買ったんだよ…。」
耳を疑う言葉が右から左に流れる。
その音が脳で復唱されているが意味が一向に理解できなかった。
「…何?どういうこと。」
「そのままだが、500万アラゴを船の資金から出して業務用のレピア織機を買った。」
「レピア…?」
織機のことはよく分からないが、500万アラゴも出して買うものなのだろうか。
金額が大き過ぎて唖然としてしまったが、それを船の資金から出すなんてどうかしている。
「自動織機らしい。なんで船の資金から使うことを許可しちゃったんだろうな。」
「とりあえず…。トップスは溟が選びたいらしいし、スカートは制服じゃないしそのままでいいか。」
まだ半分くらい納得いっていないというのに、何かぶつぶつと呟いている。
後で溟の部屋に行くように伝えられる。
また用事が増えてしまったことで一気にやる気が削られた。
「次期から当番があるからその時に確認するように。今期は周りの当番を手伝ってくれ。」
「ご飯がいらないときと、当番ができないときは報告することを守ってくれれば基本は船内は自由だ。生命体を飼っても問題ないな。」
「あぁそれと、一応迷惑はかけないようにすること。」
なんでも!?と思っていたら、釘を差された。
「何をするにもお金は必要だろう。軍資金として3万アラゴは与えておく。」
「空調の話も聞いたから、椅子机棚と共に頼んでおいた。明日取り付けよう。」
「あと盲点だった。テレストラは持っていないな。船からの特別支給で渡す。」
「テレストラってなんですか?」
薄い板状の金属にガラスがついている物を渡される。
聞いたことはないが、このようなものをレウィが持っていた記憶がある。
「インターネットに繋いで離れた人間と通信したり、データ上のゲームで遊ぶことができる。」
簡単な説明の後、使い方を細かく教えてもらった。
テレストラを受け取り、ついでに飲み物をもらった。
チョコレートスムージーというらしい。
それをもらって部屋に戻った。
疲れてしまったからバッジを付けるのも溟に頼もうと考えた。
溟の部屋に向かって、ノックすると怪訝な返事が帰ってきた。
「運転手さんから服選んでくれるって聞いたんだけど。」
「え?あー、スピカ?入っていいよ、私に任せて!」
部屋に入る承諾を得てドアを開けると、パステルのピンクと水色が広がっていた。
「すごく、女の子らしい部屋だね。」
「なにか文句でも?」
溟が不満げな声を上げる。
まだカシレソーダを飲んでいるようだった。
「いや、可愛すぎて入るのに尻込みしてしまった。」
「ね、可愛いでしょ?こんな可愛すぎる私が服を選んであげる。」
「私にかわいい系の服は勘弁して。趣味じゃない。」
慌ててそう言うと、また不満そうな顔をされた。
「…安心して。かわいい系じゃないしスピカに似合う服を考えてるから。」
「…?この部屋にあるの?」
思わず思っていた言葉が漏れる。
溟は何か思い出した顔をして説明した。
「あぁ安心して!さっき繕ったから。この世界で能力が使えるのは流石にレウェリアンに教えてもらってるでしょ?」
「知らない。」
「あの人…、まぁいいや。スピカも何かしらは使えるんじゃない?私は糸が扱えるの。任せてよね。」
そう言ってさっき作ったのであろう服を出してきた。
「ほらこれ。わたし部屋にもミシン置いてるから、布を作る時以外わざわざ共用部分に行かなくても良いんだよね。」
「なんでここクロスしてるの?」
「そういうデザインです〜!レウェリアンも大概な服してるよ?」
確かに、レウィの服はお腹がガラ空きで脚も深いスリッドのせいでよく見えていた。
お腹は寒そうだったが、いつも動きやすそうだった印象がある。
着てみるように何度も急かされて、渋々着替える。
「ほら、似合ってる!スピカのクールな感じがぴったりじゃない?」
そう言って何処からともなく全身鏡を出してきた。
悪くないが、なぜか少し悔しい。
「まぁ、それなりには…。」
クロスネックのインナーに、オフショルで首や袖の部分が緩いT-シャツを重ね着している。
少し露出が増えたせいで落ち着かないが、鏡を眺めている私を見て喜んでいる溟を見ていると何も言えなくなった。
それに何より、たしかに似合っている。
「私って顔がいいんだね。」
ふと思ったことをいうと驚かれた。
「あんた自分で言っちゃう?たしかに綺麗だけど。」
「だってほら、目だって二重で2色で、色白で唇が桃色。」
自分の顔を観察した結果を言っていくと溟の顔はますます呆れていく。
小さくため息を疲れたと思ったら、少し注意された。
「パーツの位置とか形も申し分ないしね。でもそれ顔があまり綺麗じゃない人を敵に回すから止めたほうがいいよ?」
「私は可愛いから怒らないけどねー?」
そう誇らしげに言い放った溟に疑問を持った。
自分で注意しておきながら、同じことをするのはいかがなものか。
「溟、人のこといえないじゃん。」
「これはお手本だから。」
「ほら一緒に二人だけの歓迎パーティーしよ!」
そう言われてバッジの存在を思い出した。
「あ、待って。そういえば、このコートに留め具でバッジつけたいの。こういう風に。」
慌てて説明すると、ジトッと睨まれた。
「働かせるねぇ。良いけどたくさん話すの付き合ってもらうからね?」
「留め金具くれるだけでいいから。調べながらやるし。」
「いいって!手伝ってあげる。こっちに作業台あるから来て。」
そう言って立ち上がって手招きされた。
溟に付いて行って、奥の部屋に入る。
業務用のような、大量だったり大きかったりする荷物が置かれている。
「ほら、ここに金具あるから好きなの選んでいいよ。」
100種類前後あると思われる大量の金具が並べてある。
その中で比較的丸い形の留め具を探していると、気になるのが目に入った。
「これすごいね。丸カンの一部分に小さいパールがついてる。」
「あぁそれ?可愛いよね、それにする?」
「いや、いい。高そうだし…。」
「大丈夫だって、2500アラゴくらいだし。」
思わず普通のテンションで出てきた2500アラゴに手が止まる。
何事もないように話す溟の顔を注視してしまう。
金銭感覚がおかしいのか、好きなものにはお金をかけるタイプなだけなのか。
どちらにしろ、特殊ではあるが、高いとわかっているのだろうか。
「あ、一個あたりじゃなくてまとめ買いだから!」
「へぇ?」
「ほんとほんと!信じなよ、この私を。」
「で、これでいいの?」
「じゃあこれで。」
溟が荷物が入った箱を取りに行った。
部屋のいたるところに装飾パーツや大量の布が置いてある。
材質、柄が様々でバリエーション豊富で今のところ似たものが見つからない。
私の服もこの中の布から作られたのだろうか。
「はい、これ。ヤットコ2本で丸カンを開いて。丸カンが傷つかないようにね。」
「2500アラゴの重みだね。」
「やめて?もっと気楽に力入れずやったらうまくいくから!」
ヤットコを手渡されて、神経を集中させて丸カンを掴む。
手先が震えて、力が入らず、開けなかったから、力をぐっと入れた。
少ししか開かなかったため、もう一度力を入れる。
ガッという音とともに丸カンが開いてそのまま机に落ちた。
「あ、丸カン傷ついたかも。」
「ごめん。」
溟から不安になるようなことを言われ、慌てて丸カンを確認してみる。
案の定、言われたとおりについていた。
確かに、あれだけ勢いよく開いてしまったら仕方ないともいえる。
「まぁ慣れないし、仕方ないよ。とりあえず私がやるから見てて。」
そう言って、ヤットコを私から取り上げると、溟は新しい丸カンを器用に開けてみせた。
そこにもう一つの丸カンを通した。
その作業を終えると、溟は一度丸カンを置いた。
「あれ?もういいの?」
「先にバッジに穴開けないと。」
「え、穴開けるの!?」
聞こえてきた言葉に思わず耳を疑う。
そんな罰当たりなことをしていいのだろうか。
「ん?木材だし穴開けれるよ」
溟にそう返されて大丈夫だと理解したが、倫理観だけが拒否してくる。
エネルギーを作る装置をそう簡単に破壊していい物なのだろうか。
というより、気付いたが、木材に穴を開けるドリルを持っているようだった。
「いや、こういうのって壊していい物なのかな…って。」
恐る恐る聞いてみるびっくりしたような顔をされた。
それはこちらのリアクションだと思う。
「関係ないから、気にしなくていいよ。何なら月讀に至ってはエンジン部分だけ取り外して、ポケットに入れっぱだから。」
「船の古参がそんなに適当だとは…。」
「古参とかそういうの気にしなくていいし、ここだけの話私らの中であいつが一番適当だからさ。」
本人には言わないでよー、と悪い顔で笑いながら言われて思わず釣られて笑ってしまう。
「見てみて、電動ドリル。これで開けてコーティングする。」
そう言って一度席を立って、電動ドリルで木材を削っていく。
電動なのもあって、あっという間に木材に穴が開く。
「コーティング後は月讀呼ぶか。湿度操ってもらって乾燥させよう!」
「何で月讀?」
「分かんない。そういう能力持ってるみたい。何かの命響神の加護じゃない?」
「命響神って、一つの命に従って動く神様だっけ?」
「わかんないけどそんな感じだったと思う!」
「じゃあ、ちょっと連絡するから待ってて。」
溟がテレストラを素早く操作して、月讀に連絡する。
溟は一瞬渋い顔をしたあと、パッと笑顔になった。
「来てくれるって!30分くらい待つことにならないといいけ、ど…」
溟がそう言ってる間に、ドアがガチャっと開く音がした。
ドアに視線を向けると、月讀が呆れて眺めている。
「…俺はそんなことしない。」
「うっそだぁ、あんたよくするじゃん!」
「しない。そもそも新しい人に対してそんな無礼を働かない。」
「ほぉ〜?無礼って分かってんじゃん?」
私を置いて二人で仲良く話している。
仲良い人の中に置いてきぼりになっていって居た堪れない。
「仲良いんだね。」
「まぁ、長いこと一緒にいるからな。それで、これを固まらせれば良いのか?」
「はい。あの、お願いします。」
月讀がまだ怒っている溟を無視して、質問してきた。
先程穴を開け、コーティング剤を塗った板を手に取って慌てて渡す。
何故か受け取ってくれずジロジロと眺められる。
「あっ、はい。これです。お願いします。」
慌ててお願いの言葉をもう一度繰り返すとようやく返事が返ってきた。
「スピカの…服は溟が選んだのか?」
恐る恐る聞かれて思わず飛び上がった。
身構えて堅く返事した。
「そうです。けど…どうかしました?」
「…無理にそんな服着なくても良いぞ。俺が後で買おうか。」
「いや、えっと…。悪いです。」
「溟はいつも、可愛い子には露出をさせろ!と言っていた。」
「それはなんというか…。」
作ってもらった手前、あまり酷いことは言いたくない。
しかし、露出には少し抵抗があった尚且、溟の胸の内を知ると更に着たくなくなってきている。
言い淀んでいると、月讀は勝ち誇ったような顔をしている。
そんなに溟に勝ちたいのだろうか。
「それって私のこと口説いてます?」
可愛い子と言われたので少し冗談を言ってみると、溟が吹き出していた。
月讀も驚いたようで固まっている。
失言だったと後悔した。
「可愛いと言ったのは俺ではなく溟だが?」
「はぁ…まぁ良い。固まったんじゃないか?俺は帰る。」
月讀はそう言い捨てて戻っていった。
「ねぇ、今の絶対照れてた!あんな月讀、貴重だよ!」
月讀が部屋を出ていったドアを指差して溟が興奮気味に話す。
会ったばかりの私には貴重さも分からないどころか、照れてるようには見えなかった。
そのせいで少しあしらう様に返事をする。
「そうなの?まぁ良いじゃん、作ろう。」
「ドライすぎる!まぁ仕方ないか…。」
ちょっと納得がいかない様子の溟が言い淀みながら丸カンを手にとって作業を続ける。
覚えるために、それを必死に眺めていると静かになる。
「……ほら完成した!てかなんか喋っててくれればいいのに。」
「ありがとう。とんでもなく助かりました。」
お礼を言って、早速貰ったバッジを服に付けた。
そして立ち上がろうとすると、止められた。
「ちょーっと?なにか忘れてないかな。おしゃべりに付き合ってもらうよ。」
ニヤニヤと企む様な表情をした溟が楽しそうに話すせいで断りづらい。
その前に、自分で約束したので断るのも以ての外だったが。
疲れていたので自分の部屋に戻りたかった。
しかし、その気持ちをぐっと抑えてご飯の時間まで談笑して過ごした。
最初は疲労であまり乗り気でなかったものの、おしゃべりは案外楽しくて夕食の時間に差し迫っていた。
溟に付いていき、共用部分に向かうと、夕食が綺麗に並べられていた。
「これご飯?」
「どう見てもそうでしょ?」
綺麗な食器に載せられたサラダを指差すと、訳が分からないという風にツッコまれる。
ふと、目の前に置いてある箸が美味しそうに見えた。
食べれるわけなんて無いが、綺麗な赤茶が好奇心を唆る。
(どんな味か、どれほど固いか…。)
「え、違う!それはご飯じゃないよ!?」
思わず口に運んでみると固い。
歯とかち合ってゴリっと音がした。
「ちょ!月讀!!スピカが箸食べようとしてる…。」
「スピカがか?嬲り箸はだめだが…__いや、ほんとに食べている…。」
「スピカ、この箸はプラスチック製だ。今すぐ、吐き出せ。」
焦った月讀に怒られるが時既に遅し。
もう4回ほども飲み込んでしまっていた。
「もう飲み込んじゃった。」
口から楽しそうな声が出てくる。
確かに食べ物ではないが気になったのだから仕方ない。
それに別に喉に詰まったわけでもない。
「そうか。なら吐かせよう。」
「溟、嘔吐用容器を持ってきてくれ。」
声は2トーンも下がったように思われて威圧感が強い。
怒りを感じ逃げようとすると拘束された。
「私が悪かった…。」
「思ってるようには見えないが…。」
「溟?それは…嘔吐用容器。誰か体調悪いの?」
月讀に頼まれて荷物を取りに行ってるとアドイスに会った。
ああなった時の月讀には抵抗しないのが吉だ。
「いや、スピカが箸を飲み込んだから吐かせるため。」
「は、箸を飲み込んだ???」
「うん、正確には箸を食べようとした…。」
困惑しているアドイスに重ねて説明すると、深いため息をついた。
やはり全員そのようなリアクションを取るんだと再認識した。
「…、私も同行するわ。」
やがて脳の理解を得たアドイスも一緒に戻ることにした。
「なんで吐かなきゃいけないの?」
「………はぁ。プラスチックは胃腸に詰まると消化管閉塞を起こし、プラスチック片が胃腸の粘膜を傷つけて穴が開く可能性がある。」
「…、大変だね。月讀持ってきたよ。」
戻ってくると、月讀が苦労してスピカを説得していた。
顔には疲労が見えていて少し面白い。
しかし、強引に口を抉じ開けていないだけまだ温情があるようだ。
「ありがとう溟。ほらスピカ、口を開けろ。」
「ごめん、もう飲み込んじゃった。」
減らず口を叩くスピカにくすっと笑ってしまう。
でも少し申し訳無さそうな顔をしている。
こんなに言い寄るのは少し可哀想だと思う。
「ねぇ月讀。スピカだって反省してるよ。」
「…3分の1食べているな。細かく砕いて食べたのか?」
「……えへへ。」
箸に見やった月讀の問いかけに、申し訳無さそうに苦笑いでスピカは返す。
「おッッ前……。」
スピカを押し倒して横向きに寝かせると、そこに容器を引き寄せる。
月讀が驚いた顔をしているスピカの口に薬を入れ込み、飲み込ませた。
息を荒げているスピカの口に指を滑り込ませて、思いっきり指を喉に突っ込んでいる。
月讀はその手で手慣れたように舌の奥を刺激した。
「…っんん、ゔぅ…おえ、ぁ、苦し…!」
息遣いに僅かな色気を感じる悶絶に二人は黙った。
その沈黙に気まずくなったためアドイスに話を振る。
「なんか目が据わってるよね。」
「元医療者としての血が疼いてるんじゃないかしら?」
「…善人が過ぎると大変だね。」
「えぇ、力入れすぎないといいけれど。」
「ふ、ぐ…つくよ、みっ…!」
身体を捩らせながら痛そうな声をあげるスピカを不覚にも可愛いと思った。
キュートアグレッションというやつだ。
涙目になってか細い声で抵抗をしているが体格差で微動だにしていない。
「抵抗するな。」
月讀のドスの利いた低い声にスピカが怯む。
その間に、月讀が止めを刺してスピカが小さく吐いた。
「おぇっ……ぐぇ」
スピカの口からぽたぽたと吐瀉物が落ちていく。
月讀が指に吐瀉物がかかるのも気にせずグリグリと喉をまだ突く。
「ふぐ……ん、ん…ッゔぇっ」
スピカは苦しさから涙を流していて思わず心臓をキュッと締められる。
中には2〜3センチほどの箸の断片が見えた。
もう一通り吐瀉物を出し終えたように見えるが、集中していて少し気づいていていない月讀に伝える。
「…月讀。もう出てないよ。」
慌てて溟が伝えると月讀はスピカから手を離した。
「月讀、私。起きてから溟のところで食べたご飯と箸しか食べてなかったから、そんなに吐けないよ。」
スピカの声は掠れ掠れで疲労が透けて見えた。
「可愛いいい!!スピカ可愛い〜!」
思わず思いきり抱きつくと離された。
「今、スピカは吐いたばかりだから、あまり強く抱きしめるべきじゃない。」
「とりあえず箸は十分な長さがあるから全て吐けただろう。吐瀉物を処理してくる。」
「異常すぎる…。」
「何が?」
「慣れてるし肝が座ってるよ。」
「そんなに…?」
世間に理解できないのか首をかしげている。
理解してなくて結構ではあるが。
「とにかく…、とんでもない変態ってこと。」
「えぇ…?怖いね。無理やり体触ってきたりするの?」
スピカから零されたその言葉に思わず声を荒げる。
「ちょっとまって誰かに触られたの?何処!?」
「溟、落ち着きなさい。」
アドイスが慌てて止めるが、そんなこと気にしている余裕などない。
「落ち着かない!どこの馬の骨がそんなこと…。」
「分かんない。センターの人がここを触ってきた。なんで記憶残ってんだろ。」
そう言って躊躇うことなく自身の胸、そして恥骨のあたりを指した。
「それって…」
恥骨のあたりを指していても実際に触られたのは確
実にその下だろう。
確実にセクハラだし、それ以上に同意のない性行為にこの上なく近い。
「やっぱり、センターに報復しよう!許せない。」
「今日あったばかりなのにもう十分肩入れしてるわね…」
アドイスが苦笑しているが知ったこっちゃない。
「大丈夫だって。多分昔のことだし。」
「やっぱりついでに、月讀も叱るべきだね。」
「一応処理してくれたんだし今回は許してあげないかしら。」
「スピカ。体調大丈夫か。とりあえず食後に薬を飲むように。」
戻ってきた月讀が渡した薬をスピカが受け取って少し普段より遅れた食事を取った。
「眠い…。」
「分かる…。」
溟と一緒に暖かい部屋でふわふわと船を漕いでいた。
「スピカ?溟?ここで寝ると風邪を引く。歯を磨いてからにしろ。」
月讀がこちらに向かってくる。
怒っている低い声が今は眠気を更に誘ってくる。
えぇー、と愚痴をこぼしていると、ふと肩に手が置かれる。
「ひゃあ!!びっくりした!」
とんでもなく変な声をあげて立ち上がる。
この一瞬で眠気は一気に覚めた。
「はぁ、怖かった…。」
「月讀?スピカを怖がらせないでくれない?」
「そこまで驚くと思っていなかった。…すまない。」
「そういえば、歯ブラシとかはスピカに説明していなかったと思いだして。」
「あ、ホントだ。ありがとう。」
そう言って、月讀に付いていこうとすると、溟が止めた。
「待った。私もついていくからね。」
「なぜ溟が?」
「私の大事なスピカを1人で置いていかない。絶対守るって決めたから!」
「俺のことを何だと思ってるんだ?」
困惑している月讀について行って一先ず彼の部屋の洗面所に向かう。
そこで置いてあるケースの中から一つお菓子のようなものを受け取る。
「このタブレットを口の中で2,3週回して、水を口に含んで溶かしてうがいをすると良い。」
「それでいいの?」
「あぁ、口を開けてくれ。」
言われるがままに口を開けようとすると、溟に止められた。
「船の風紀乱すの辞めてくんない?」
喧嘩腰に伝える溟に対して月讀が笑っている。
「何故そうもスピカに執着している?くふっ」
静かに笑う月讀に疑問を抱く。
「何が面白いの?」
「なんでもない。ふふ。」
「んっ、」
口を開けて月讀に見せると驚かれた。
「何だ?」
「え?さっき口を開けてと言われたからだけど…」
「あのね、スピカ。こいつの話聞かなくて良いよ。ただの拗らせ研究者だから。」
冷めた目で話す溟に対して、月讀を目を輝かせて居る。
「…一度だけでいいから口内を見せてくれないか?」
「あんたそれほんと学ばないよね。私にやってアドイスに怒られたの覚えてない?」
「いーよ。」
「スピカが良いなら良いけど…。」
減るものではないし、と許可すると納得のいかない様子の溟がモゴモゴと声を漏らしていた。
ん、と口を開くと月讀の指が口内に滑り込んでくる。
一本一本歯を撫でられていくのは少しこそばゆい。
「っ、まだ?」
「あと少し待ってくれ。」
一本の歯と歯茎を撫でられて奥歯に向かっていく。
「なるほど…、8番が生えていない。口が小さいのもあって予めこの体に準備されていなかったのか…?」
一箇所を執拗に擦られる。
擽ったくて笑い声が漏れた。
「あ、すまない。」
「いや、大丈夫。」
「ありがとう。非常に人間と思えないほどに綺麗だが、材質は人間の歯と同じように見える。」
月讀はそういうと、指を私の口内から取り出した。
この体はあくまで見た目から昔の姿から変わっていない。
そこで一つの推測が浮かんでいた。
「多分だけど、人間の体…というか私の体から作り上げられたんだと思う。」
「…申し訳ない。」
「ううん、ただの推測だから気にしないで。」
「ところで、私の口って小さいの?」
「え?あ、あぁ。口というか顎というか…顔が小さい。」
「不便?」
「そうだな…、歯並びに現状問題はないから気にしなくて良いだろう。」
気まずい空気を打ち破るように横から溟が助け舟を出してくれた。
「顔が小さいのは可愛いから気にしなくていいよ。」
「そうなの?なら良いや。」
「スピカ、このタブレットを取りに行くから付いて来い。」
「分かった。」
「かわいい!月讀良いなー羨ましい。」
「溟が連れて行ってくれるか?」
「あ、私は〜…。道覚えてない。」
「…はぁ。お前は本当。」
疲労困憊の月讀に付いていき備品室に向かう。
今日は備品室によく向かっている。
慣れてきた手付きで備品室のドアを開け、タブレットケースを手に取る。
月讀はもう手伝いたくないと言って、来て早々1人で戻ってしまった。
そのため、1人で、静かになった廊下を歩いて部屋に戻る。
そんなだからだろう。
眠気に負けてしまって、気付いたときにはもう朝になっていた。




