プロローグ
思えば、私が初代皇帝エリカ1世の真実を記すことは必然であった。
タイプライターを打つ手が震えるのは、恐れからではない。
私が、真実を語る重さと、かつて誰よりも強く、誰よりもか弱かった少女への、遅すぎた贖罪を語るには未熟であったからだ。
このような姿を、彼女の宰相にして我が曾祖父であるアベルが見たらなんと言うだろう。
"情けない"と子孫の不甲斐なさを嘆くのだろう。
だが、そのように思われても仕方がない。彼からすれば私は余りにも劣っていて、私からすれば彼は余りに偉大であった。
我が曾祖父アベルは皇帝エリカ1世に見いだされ、その名誉と姓を賜った。
そうして興ったのがメランリヒト家だ。
この誇りを胸に、曾祖父、祖父、父も兄も皆、帝室への忠誠を捧げた。
そんな彼等を見て育った私だが、私にはあらゆる能力が欠けていた。
知能も高くなく、それでいて体の弱い私は、忠義を語るには、あまりに無力だった。それに気づいたとき家名は私に重くのしかかった。
だが同時に、貴族としても、軍人としても、何も果たせない私にとって縋るものもまた、家名しかなかった。
こんな恥ずかしい男が、この書を書かねばならぬのには、「忠義」の名の下に忘れ去られ、捻じ曲げられた彼女の伝説が、彼女に遺された帝国を蝕んでいるからだ。
独裁を求めるものは、彼女を完全無欠の英雄と謳った。民主主義者は、民と共にあった解放者と崇めた。
教会は、神の遣わした聖女と讃え、議会は民の栄誉に選ばれし指導者と宣伝した。
だが幼き日、曽祖父が暖炉の前で語り、彼の死後受け継いだ日記から見る彼女の姿はどれも違った。
私にとって彼女は、孤独に震え、裏切りに涙した、普通の少女に過ぎなかった。
私が語るのは、帝国の建国譚ではない。
神話でも叙事録でもない。
伝説を正当化するものでもない。
これは、エリカという人間の物語だ。
今、帝国は揺れている。行き過ぎた開発独裁により経済は疲弊し、長期に渡る政治停滞は腐敗を蔓延させ、世界政策による植民政策は国際的な孤立を促し続けている。ーー"皇帝エリカ1世の名の下に"
だからこそ、私は警告する。
民族の対立を煽り、国家を破滅に導かんとするものがいる今、警告する。
急進主義を騙り、汚職に塗れる者がいる今、警告する。
あらゆる派閥がエリカ1世を伝説とし、彼女の涙を汚している今、警告する。
そして、この言葉を持って今日の政府を批判しよう。
皇帝エリカ1世の真の姿を隠し続けた全ての者を、忠誠の名を騙って彼女を偶像化したすべてを、少女エリカに誠忠するものとして、慈愛の信奉者として、否定する。
故に、この少女エリカの物語が皆の目に届くことを願う。