エピローグ
通された自分の部屋は、掃除が行き届いていて、年頃の娘の部屋らしく飾りつけられていて、本棚があって、オルキデアの好み通りのものだった。
そして、なぜか山のような贈り物が積んであった。
遅れてやってきた父、共にやってきた母は、それを見て戸惑っている彼女にこう言った。
「毎年、お前の誕生日に贈り物をしていたんだよ。お前が生きていると信じて、なにをあげたら喜ぶだろう、と想像して、お前の嬉しい顔を思い浮かべていたんだ」
「私の……誕生日」
「八番目の月の、九日だ。立秋の手前だね」
違う。私の誕生日は、この前祝った。ヘクターと同じ日だ。
オルキデアは言葉を飲み込んだ。
「開けてごらんなさい。あなたが贈り物を開けるのを見てみたいわ」
カサ、と包み紙の一つを開けると、幼い子供のためのぬいぐるみが出てきた。もう一つを開けると、今度は大きな本が出てきた。別のものを開けると、小さな首飾りが出てきた。「みんなあなたのものよ。今年の誕生日は、なににしようかしらね」
嬉しいはずの贈り物が、あまり嬉しくない。
いや、嬉しいのだ。
しかし、ヘクターから贈られた緑の石の首飾りをもらった時の方が嬉しくて、その時の方が勝ってしまって、いまいち喜べない。
なぜ?
父と母との再会は喜ばしいはずなのに、
こんなにも嬉しいはずなのに、
なぜ、胸には大きな穴が空いたように寂しい思いをしているの?
なぜ?
「――」
「料理長と、今夜の食事の打ち合わせをしてきましょうね」
母がうきうきした顔で出ていった。
そんな母を見ていると、今の自分の空虚な気持ちが申し訳ない気がして仕方がない。
どうしよう――どうしたら、気持ちの整理がつくのだろう。
「どうしたね。なにか、気になることでもあるのかね」
父が案じ顔で尋ねてきた。父にも、こんなことは言えない。本来なら、悩み事をなんでも打ち明けられる存在であるはずなのに。
別れの言葉すら、言えなかった。
なんの言葉も、交わせなかった。
なにか一言、言いたかった。
いつもの軽口でいい、なにか聞きたかった。
あんたは所詮金づるだ、それでもいいから言って欲しかった。
「オルキデア?」
呼びかけられて、はっとした。
「い、いえ。なんでもありません」
「顔色がよくない。気分でも悪いのかね」
「いえ、あの」
「ん? なんだね」
「あの、か、彼は」
「彼?」
「へ、ヘクター……私を送ってくれたひとは……賞金を受け取ったのでしょう。さぞかし、満足して帰っていったのでしょうね」
自分を納得させるために、思わずそんなことを言っていた。そうだ、彼はそのためだけに、苦労して私をここまで連れてきた。そのためだけに。私は、金貨二十三万枚の女。
「そのことかね」
父は眉を上げた。
「いや……」
父は少し意外そうな顔をして、娘の顔を見てこんなことを言った。
「彼は、賞金を受け取らなかったよ」
「えっ……」
「私は何度も確認したんだがね。あの男は言ったんだよ。確かに惜しいとは思うが、彼女に金目当てだったと思われたくない、そう言って出ていったよ」
ヘクター……
オルキデアの胸を、衝撃が貫いた。
では、それがあなたの真実だというの。それが、あなたの誠なの。
思わず両手で顔を覆う。どうすればいいか、わからなかった。
父王はそれを、目を見開き驚きの面持ちで見ている。そしてすべてを察して、彼は静かに歩み寄り、そっと娘の肩に手を置いた。
「オルキデア……彼を愛しているのだね」
彼女はこたえない。
「行きなさい。今ならまだ、間に合う」
その言葉に、オルキデアは初めて顔を上げた。涙に濡れた瞳が、父を見ている。
「そんなこと、できません」
「いいのだよ。お行き」
「私は、この国の王女です。責任があります」
「ああ……」
父王はそのことか、という顔になった。
「それかね。それなら、心配しなくていい」
「え?」
「今夜、食卓で言おうと思っていたのだがね。実は、もう一人子供ができそうなのだよ」
「――」
驚きで、すぐに言葉が出ない。
オルキデアは呆けた顔で父を見つめた。彼は片目を瞑って見せて、
「だから、行きなさい。父親は、娘の幸せを願うものだ。さあ、お行き。そしてたまには、帰っておいで」
母には言っておくから、そう言って父は彼女を送り出した。
オルキデアは服の裾を翻して走り出した。
ヘクターを追って。
老女は水晶玉から、その光景を見つめていた。
馬が厩舎から出て行く。
「ふふふふふ。行ったね。とうとう真実の愛を見つけたね。あのまま宮殿で育っていたら、甘やかされ放題で本当の愛など知りはしなかっただろう。私はお前にそうなってはほしくなかった。だからあの日お前をさらった。こういう結果になって、満足しているよ」
馬は一路、道を走っていく。
老女は満足げに笑って、水晶玉の上で手を払った。
光景が消え、水晶玉はただの玉に戻った。
草原に風が渡っている。
黒馬が、それを食んでいる。ヘクターは風が渡る草地を眺めていた。
まだ肌寒かったが、あの大雪山に慣れた身体からすれば、空気は大分ぬるく感じられた。 フーチが顔を上げ、風にたてがみをなびかせた。その首を撫でながら、ヘクターは一人愛馬に話しかけていた。
「さて、ずいぶん身軽になったもんだな。次はどこに行こうか」
黒馬が顔をこすりつけてくる。
「おいおい、やめろって。久し振りに、また二人だ。仲良くやろうぜ」
風に乗って、なにかがこだまする。空耳か。
「また地道に賞金稼ぎだな。頼むぞ相棒」
フーチの耳が、ピクリと動いた。顔があちらに向いて、なにかに反応した。
「なんだ?」
ヘクターは相棒が見ている方向を振り返った。彼方から、白い馬がやってくる。
あれはなんだ? 誰が乗っているんだ。
額に手をかざして、目を細めた。
「――あれは」
段々と近づいてくる、あれは。あの黒髪は。
次第に大きくなるあの影は、あれは。あの金色がかったあの緑の瞳は。
「ヘクター!」
オルキデアは馬から下り、ヘクターに駆け寄るとひしと抱きついた。その強さは、この細い身体のどこにそんな力が、と思うほどに強かった。
「あ、あんた……」
「私はもう城には帰りません。あなたと一緒に行きます」
「一体……」
「父から聞きました。あなたはお金を受け取らなかったと」
「――」
「あなたを愛しています。あなたと一緒にいたい。私はあなたといたい」
「――オルキデア……」
「どうか、連れて行って。私を一緒に連れて行って」
「俺で、いいのか。乱暴者で人殺しで賞金稼ぎの俺で」
「あなたでなければならないのです」
ヘクターはそっとその背中に手を置いた。なにをどう言えばいいのか、わからない。
そして、彼女の顔に指を這わせた。
自分を見上げる瞳の、その揺らぎ。見慣れたその色が、潤んでいる。
「傭兵の俺でもいいんだな」
「傭兵のあなたがいいのです」
「生きていくには、人を殺さなくちゃいけないこともあるぜ」
「あなたは私に歩み寄ってくれました。私も、あなたに歩み寄ります」
「歩み寄りか」
「歩み寄りです」
「そうか」
「そうです」
彼は顔を上げた。
風がさわ、と吹いて、髪が舞い上がった。
「――じゃあ行こう。まずはあんたの行きたかった、海に」
オルキデアは微笑んだ。
その笑顔こそ、ヘクターの見たかった、彼が手に入れた最高の賞金であった。
二人の影は草原の彼方に消えていった。
了




