② 再びの闇
瞬間的に見えた接近者は、小柄でずんぐりとした体格で、衣服らしきものは身につけていたが、赤々とした目には凶悪な色が見えた。
「明かりを!」
カリーリに叫んだキールはすでに飛び出していて、先頭の影に意表をつく突きを見舞った。
「太陽の恵み!」
カリーリの力強い言葉が叫ばれたが、しかし神の偉大な恩恵は表れなかった。
「どういうこと!?」
戸惑いの声を発しながらカリーリは背中からメイスを引き出し、キールの援護に出る。
「なぜだ!!」
キールも、カリーリ同様に混乱していた。
数々の戦闘で戦端を切り開いてきた渾身の突きが、命中したはずなのに全く手応えを感じない。
それどころか反撃を喰らい、顔面を殴られて盛大に尻もちをついた。
それはゲンドウやゴルディも同じようで、斧やショートソードは空振りしたように敵に当たらず反撃され傷を負ていった。
「どうなってやがる!」
「こんな魔物は知らぬぞ」
「ぐう! 魔法も発動せんぞ」
混乱と同様の声が仲間から聞こえたが、キールにもその答えと対抗策は思い浮かばない。
――どうすればいいんだ!――
敵のナイフのような爪に引っ掻かれながら、キールはそれでも考えることはやめなかった。
「きゃあ!」
「カリーリ!」
敵の攻撃を受けたのか、カリーリの悲鳴が聞こえキールは反射的に立ち上がろうとした。
と、細くて赤い光線がふわりとキールの視界を横切った瞬間。
小爆発を連続で起こす炎熱魔法が何十と発動したような轟音があちこちから沸き起こり、汚らしい音を立てて何かが地面に倒れる音が四回起こった。
キールたちを襲ってきた影が倒れたのだと思い至る頃には轟音は止み、辺りは一気に静かになる。
――何が起こったんだ?――
キールには自分たちの置かれた状況が全く分からず、ただただ疑問が思い浮かぶだけだ。
何度も、何度も、何度も同じ問いが繰り返し頭の中を支配する。
――何が起こったんだ? どうすればいいんだ?――
それは仲間たちも同じだったらしく、聞き慣れない音を浴びせられたせいもあってか、地に這ったままうめき声を発するだけで、誰一人立ち上がる気配はない。
と、キールたちを囲むように複数の足音が近寄ってくる。
ただ、先程の獣のような不規則でだらしない歩き方ではなく、人間のように規則正しい歩調で、履き物のような固い靴底が砂利を踏みしめる音がしている。
――人間なら話ができるかも――
少しだけ希望を感じたキールは、近寄ってくる足音の主を確認しようと半身を起こす。
「フリーズ!!」
人間のものらしい強い声で威嚇され、キールは体を強張らせて動きを止める。
しかし、激しい動揺がキールの鼓動を忙しくさせる。
――今、なんと言ったのだ?
獣の鳴き声じゃない。しかし、俺はあんな言葉は知らない。
こいつらは人間なのか?
敵なのか? 味方なのか?――
「う、ううっ、う」
「フリーズだ!!」
先程の戦闘で痛手を負ったせいか、ゴルディがかすれるようなうめき声を上げて体を動かした。
途端にまた意味不明な声が叫ばれ、あのけたたましい金属音が轟いた。
ゴルディの声は途絶え、雑草と砂利の上に重い物が落ちた音がする。
「ゴルディ!?」
ゲンドウの声がしたあと、また凶悪な音がして、ゲンドウの声もしなくなった。
「……キール」
か細くカリーリの声がした。
「シャラップ!!」
立ち止まっていた足音は意味不明な怒声を機にあちこちから駆け寄る気配を見せ、カリーリの悲鳴を消し去るように乱打が起こる。
――カリーリ! みんな?
死んだ? 殺された、のか?――
キールの頭の中に浮かんだ最悪の想像は一瞬で全身に広がり、体中から力という力を奪い、思考を停止させて真っ暗な映像だけになった。
そして、神の鉄槌の如き轟音を耳元に聞いたあと、一瞬の激痛のあとに意識がなくなった。
――これが死ぬというものか――
瞬間的に突き抜けた激しい痛みも急速に薄れ、それと足並みをそろえる様に意識もゆっくりと薄れていく。
死ぬ。
自分の存在が消える。
その瞬間はこんなにもあっけなく抗えぬものかと、キールは絶望するしかなかった。
「――――ハッ!」
目を覚ました時、キールはひどく慌てた。
まるで現実に起こったことと錯覚するような悪夢を見た後なのに、目の前の日常の光景との落差に慌ててしまうように。
心臓が激しく鼓動し、自分が今どこに居るのかを確かめるように目と顔を動かし、手足をバタつかせた。
もしかすると悲鳴を発していたかもしれない。
幾多の戦いをくぐり抜けてきたせいか、時間が経つにつれ落ち着いてきたキールの目にはまた知らない景色が見えている。
白く明るい光に照らされているが、太陽ほど眩しくなく、かといって昼下がりの陽光が窓から差しているという優しさでもない。
体の下には布に包まれた柔らかいものが敷いてあることから、ベッドに寝かされていると思ったので、自然と目の前の平坦な白色は天井だろうと想像した。
「あら、起きたのね。大尉に報告してくるから、もう少し寝ていていいわよ」
どこからか女の声がしたが、聞き覚えのない声だし、振り向く気にもなれずキールはそのままぼんやりと横たわっていた。
「このベッド、寝心地が良いな。さぞ高級なものなのだろうな」
キールの体の重みで沈む部分と、下から押し返してくる部分がある敷き物は、アイルノン王国の宿屋や故郷の実家のベッドの比ではない寝心地だ。
――もしかするとあの時俺は死んでしまって、ここは神が住まう天国というものなのかもしれないな――
天国という言葉はカリーリから聞いて知っていた。
痛みや苦しみがなく、優しさと楽しさと喜びが感じられる場所で、何より神に招かれた者しか踏み入ることのできない死後の世界なのだそう。
――俺は疲れた。
ここが天国ならば、このまま安らかに眠り続けるのも悪くない――
再び目を閉じ安穏とした微睡みに落ちかけたキールに、しかしここが天国ではないことが突きつけられた。
硬質な扉の開閉音とともに幾つかの足音が無遠慮かつ乱暴に現れた。
そして厳しい声が響く。
「貴様らが訓練場に入り込んだ不埒者だな!」