① 転移した場所は……
真っ暗な世界で恐らく横たわっているキールは、夢とも現とも判別できないながらも、これまでの自分を振り返っていた。
だが思い起こされたのはここ何年かの魔物との戦いの日々ばかりで、愛剣と、仲間と、魔物の骸ばかりが映像として浮かんでくる。
――俺は、何の為に戦っていたんだろう――
暗闇の中に、むくりと滲み出た闇色の影にキールの心が震える。
恐れと、敗北感と、様々な痛みに恐怖し、キールはすくんでしまう。
――ザ・リダンダリ・ラリ――
『闇を統べる唯一の存在』
――俺は、負けた――
その一語はキールにとって衝撃だった。
戦士として勇者隊に参加するうちに、魔物の討伐では誰よりも秀でた戦果をあげ、いつの頃からか『希望の勇者』と呼ばれるようになった。
どんなに獰猛な魔物も。
どんなに荒々しい魔物も。
どんなに凶悪な魔物も。
味方の数よりも多い魔物も。
キールは愛用のバスタードソードで切り伏せてきた。
そうして遂に世界最強とまで讃えられるまでになったのだ。
だが、初めて敗北した。
斬りつけたが、手応えは皆無。
圧倒的な完敗だ。
――勝てるわけが、ない――
「キール。キール! キール!!」
聞き覚えのある女の声がした。
――この声は…………カリーリ?――
腰まである美しい赤髪と、意思の強さがその輝きなのではと思えるような蒼い瞳。
清らかで聞き心地の良い声を発する薄い唇。
透けるように白い肌と、女性として成熟した魅力的な肢体。
「カリーリ?」
映像として彼女を思い出した時、キールの暗闇の世界は一気に晴れ渡る。
「良かった! やっと目を覚ましたわ……」
喜びの声を上げつつ、涙ぐむカリーリの顔が少し歪んで見える。
が、その理由はすぐに自覚できた。
「俺は、泣いているのか」
体が横たえられているのか、頬を伝ったであろう涙に耳元をくすぐられて気付いた。
「もう、起きないのかと思った」
「心配かけたね。もう大丈夫。ありがとうカリーリ」
とうとうキールの胸に体を伏せて泣き始めてしまったカリーリに、キールは優しく声をかけた。
キールは、生き永らえた喜びとカリーリにまた会えた喜びを噛みしめ、カリーリの信奉する神に感謝した。
そうすることでキールに少し余裕が生まれたのか、辺りに人の気配を感じて顔を巡らせると、見慣れた三人の男の姿があった。
「みんなも無事だったか」
「無論だ」
「キールのさじ加減でカリーリだけ連れて帰るつもりだったなら話は別だがな?」
「我々は世界最強勇者隊ゆえ、生も死も一蓮托生と思っているぞ」
傍らに置かれたランプの明かりのせいか、仲間たちの姿はキールに大きな安心を与えてくれる。
が、オレンジ色に揺れる明かりで表情や状況が見えすぎる部分もあり、カリーリの背中に手を添えてなだめるキールは仲間たちに苦笑を返した。
カリーリとは恋仲ではないが、他の仲間よりも密な繋がりがあることを指摘され、バツが悪くなったからだ。
「……しかし、ここは一体どこなんだ? 安らぎの我が家への魔法は俺たちが出会った街に戻るようになっているはずなのだが……」
細かく言えば、魔王と魔王が率いる魔物の軍勢に対抗するために、南東の大陸にある王国アイルノンの首都に舞い戻るはずだった。
そこは魔王討伐を目的とした勇者隊の登録所になっていて、キールと仲間たちはその街で出会い、パーティーとして成ったのだ。
何年も旅をしてきたが、アイルノン王国の街並みを忘れたことは一度もない。
首都の中心には堀と城壁で囲まれた立派で堅牢な城が築かれ、その周辺には貴族や騎士や大商人たちの壮麗な屋敷が建ち並ぶ。
更にその周囲は庶民の家々が取り巻いているが、それらも首都の家屋にふさわしく石造りの立派なものだ。
広場や市場には常に人々が行き交い、王国に住んでいる者ばかりではなく、観光客や行商人や名を売ろうとする傭兵や武芸者も訪れるし、劇場や闘技場や賭博場などでも人々の賑わいを見ることができた。
付け加えるならば、アイルノン王国に荘厳な大教会があり、そこへと訪れる巡礼者も非常にたくさんいる。
だが――。
今、キールたち最強勇者隊が居るのは、朽ち果てた建物と伸び放題の雑草、更には金属でできているであろう巨大な箱が積み重なっている広場だ。
ランプの明かりでは十歩分ほどの範囲しか照らされず、その外には夜闇が暗く広がっているのみだ。
「この世にこんな発展した国があったろうか……」
「その割りに家は崩れかけだし、地面もでこぼこで、手入れされた様子はねーな」
「金物臭く、焦げ臭いのも奇妙だな。発展した後に衰退した国なのやもしれぬ」
仲間たちそれぞれの感想を聞き、キールは共感と不可解さにとらわれた。
幾分落ち着いたカリーリとともにキールも立ち上がり、改めて周囲を観察してみるが、仲間たちが言ったようにどこか異様で見覚えのない景色に言葉が出てこない。
と、少し離れた家屋の影を何かが走り抜ける足音がした。
間を開けず別の方角からグァンダインの炎熱魔法のような爆砕音が起こる。
小さく、短く、人間の悲鳴が聞こえたのは気のせいではない。
仲間たちもキールと同じ様に、音がするたびに同じ方向に目を向け、異様な雰囲気に困惑する。
「何だ?」
「人か? 獣か?」
「腐臭ではない。この臭気は火薬ではなかろうか……」
「魔物、かしら?」
「静かに! ランプを!」
身を寄せ合い口々に警戒の念を語る仲間へ、ゲンドウが右手で制して耳をそばだてた。
『色の無い風』とあだ名されるゲンドウは、世界最高の密偵であり暗殺者だ。
風のようにどこにでも入り込み、風のようにあらゆるものを見通し聞き逃さない。
そして風が吹いただけなのに暗殺を成し遂げる。
そのゲンドウが耳をそばだてるということは、パーティーに危険が近付いていることを示している。
カリーリが明かりを絞ってゲンドウに手渡し、キール達の周りが暗闇に塗りつぶされる。
全員が動きを止めてほんの数瞬――。
ゲンドウは静かに右手を持ち上げて一点を指差す。
すかさずキールは愛用のバスタードソードの柄を握り、ゲンドウが指差した建物へ向く。
キールに倣うようにゴルディも戦斧に手をかける。
五人の意識がそちらへ集中していると、何者かが草むらを踏みしめる足音が聞こえ始める。
それも複数。
また遠くで爆発音が響き、鍋底を乱打したような金属質な音が連続して轟く。
チラリとキールがゲンドウを振り返ると、ゲンドウはランプをカリーリに返し、腰に下げた二本のショートソードへ手を伸ばしてキールに頷きかけるのが影として見えた。
その意味を悟ったキールは、腰にある愛用のバスタードソードを抜き放つ音で他の仲間に戦闘態勢を取るように示した。
キールの意図を察してカリーリがランプの明かりを閉じ、辺りは完全な闇に染まる。
ゲンドウが指差した方向からは先程よりはっきりと足音が響き、獣のような汚らしい唸り声もし始める。
即ち、キールたちを目指して向かってきていることを示している。
得体のしれぬ相手に緊張は高まり、気持ちの悪い汗がじんわりとキールの脇を伝う。
いよいよ足音が大きくなり始めた頃合いを見計らい、ゲンドウがショートソードの峰を打ち合わせて火花を飛ばした。
わずかな時間だけ閃いた火花は、瞬き一回ほどの瞬間だけ接近していた相手を浮き彫りにした。
――敵だ‼――