魔王城 決戦
「やっとここまでたどり着いたな」
愛用のバスタードソードを握り直し、『希望の勇者』キールは仲間たちを振り返る。
これまで苦難の旅をともにしてきた四人の仲間たちと目を合わせていく。
まずはキールと並んで前線に立つ、『大地を割る者』ゴルディが頷き返す。
「本懐成就の時であるな」
次に『水神の巫女』カリーリが、信奉する神の聖印を握りしめ、三年に及ぶ長い旅を噛みしめるように言う。
「長い、本当に長い旅だったわね」
カリーリの二歩ほど後ろに立つ『色のない風』ゲンドウが、両腰に吊るしたショートソードを弄びながら、早くも皮算用を始めていた。
「俺ぁ、早く褒美もらって優雅な隠遁生活に浸りたいぜ」
「狩りは獲物をその手で掴むまで狩ったことにはならぬ」
ゲンドウの軽口を戒め、『炎熱の知恵者』グァンダインが魔法の杖で床をついて乾いた音を立てた。
相変わらずな仲間たちにキールの口元もほころぶが、これまでの旅路を振り返ったり和んだりしている場合ではない。
アイルノン王国の召喚に応じて魔王討伐に向かった勇者隊の中でも、キールたちは『世界最強』と讃えられるほどの実績を示してきた。
そして、今、彼らはこれまで勇者隊が踏み入ることすら叶わなかった魔王の根拠地の最深部まで辿り着いたのだ。
「みんな!
思いのほか魔物どもの抵抗が激しくて攻略に手間取ってしまった。近くの村に待たせているアッシュが待ちわびているに違いない。
泣いても笑っても決戦の時だ!
世界の平和のためにもこの勢いで魔王を打倒し、アイルノンに帰ろう!」
キールの弟子を自称する灰色の髪と灰色の目の少年アッシュの機嫌を気にしつつ、キールは愛剣を高々と突き上げ気合を入れる。
最強の仲間たちが「オウ!」と応じた。
キールたちの帰還を待ちわびているのはアッシュだけではない。
魔物どもの脅威にさらされてきた世界中の人々が、平和で安心できる世界になったのだと、キールたちの帰還が証明することを待望しているに違いない。
これまでの旅で託された願いや期待を胸に、キールは魔王の待つ玉座へと続く扉へと向き直り、おどろおどろしい彫刻が施された大扉を押し開く。
扉を開いた先には闇色のカーペットが敷かれ、その両脇に巨大な柱が並び遥か上方にある天井を支えてい、正面にあるはずの玉座が闇に紛れるほどの広い空間が広がる。
一般庶民が常用する煌々とした灯火はなく、天井から吊られたシャンデリアと柱のそばの燭台には青白い明かりが灯っている。
キールたちが辺りを警戒しながら奥へと進んでいくと、暗い室内に闇の塊としか形容できない影が見えてきた。
「……よく来たな、と言いたいところだが、貴様たちは何者だ?」
突然キール達の耳に呪詛ともうめき声ともつかない陰鬱な声が聞こえた。
聞き心地が悪く吐き気のする気持ちの悪い音だ。
よくよく見れば、闇としか形容できない影は巨大な玉座とそこに座する巨人の姿形なのだと判別できた。
キールは確かめるように問いに答える。
「俺の名はキール!
魔王を倒すために旅をしている勇者だ!
お前が、魔王ザリダンダリラリだな?」
吐き気を堪えながら問い返したキールを、しかし闇の塊は豪快に笑い飛ばす。
「朕の玉座に無断で押し入っておいて、無礼な口上。
これだから卑賤の者は困る!
朕の名はザ・リダンダリ・ラリ!
お前達の言葉で言うところの『世界を統べる唯一の者』だ。
即ち『帝王』!
帝王という名に魔王などという忌まわしい名前を重ねるとは無礼千万!
加えて、朕は貴様らを招いた覚えはない。
あまつさえ部下を傷付けたとあれば、その罪は死では足りぬぞ!」
吐き気をもよおす陰鬱な声で、朗々と告げた魔王にキールは勇気を燃やして対抗する。
「貴様こそ、俺たち人間を虐殺し、虐げ、領地を奪った。
貴様自身が行ったものでなくとも、醜悪な部下共に命じたのであれば、それは行ったと同義の罪がある!
俺達の正義の刃で、世界に代わってお前を討つ!
覚悟しろ!」
キールは愛用のバスタードソードを構え直し、切っ先を魔王に向けて言い放った。
魔王は空気が漏れるような音を立て、ゆらりと立ち上がる。
「正義とは笑わせる。ザ・リラリダン・ダリの使いの者か?」
「ザリラリダンダリ? 何の話だ?」
「知らぬのか。……まあいい。
下賤な者共が知るはずもないことか。
切りたければ向かってくるがよい」
暗がりに魔王の動く気配がささやく。
「だが! このザ・リダンダリ・ラリにお前達ごときの刃が通用すると思うなよ!」
鍋の中で沸き立つ熱湯のような音を立て、魔王が戦いの始まりを告げた。
キールはチラッと背後の仲間たちを見やり、短く指示を出す。
「カリーリ! 明かりを!
グァンダイン! 最大の攻撃魔法を!
ゲンドウ! いつもどおり頼む!
ゴルディ! 左右から畳み掛けるぞ!」
「分かった!」「先手を取るは戦いの定石」「任せろ!」「御意!」
頼もしい仲間たちの返事を受け、キールはゴルディと共に駆け出す。
「太陽の恵み!」
力強いカリーリの言葉の後に夏の陽射しのような眩い光球が現れて玉座を明るく照らす。
しかし、驚いたことにカリーリの祈りによって神が与えてくれた加護の光は、どんなに明るく照らしても魔王の闇色の姿は闇のままだった。
「醜悪な!」
思わず呟いたキールの背後から、今度はグァンダインの呪文が聞こえる。
「全てを焼き尽くす炎!」
グァンダインの差し向けた杖の先から、カリーリの光球にも負けない眩い炎の塊が生まれ、ドラゴンの形に変じて一直線に飛び進み、魔王の体に絡みついて灼熱の炎で包む。
が、全身を火色のドラゴンに絡められてなお魔王は平然としている。
「フフフ。そよ風の優しさで心地が良いぞ」
炎に包まれながら魔王は小さく体を揺すっている。恐らく笑っているようだ。
魔王にダメージを与えられぬままグァンダインの生み出した炎が薄れていく頃、魔王へと駆け寄ったキールとゴルディが人間離れした跳躍とともに剣と斧を浴びせる。
「ダアッ!!」
「ハアッ!!」
「……ふ、こそばゆいわ」
剣は押し返され、斧は掴み取られてしまった。
「くっ! やはり魔王だな。今までの魔物とは全く違うぞ」
「放せ! ええい、放さぬか! 卑怯だぞ!」
魔王から距離を取り恐れを抱くキール。
ゴルディは魔王に掴まれてしまった愛用の戦斧を手放せず、宙吊りで足掻いている。
「戦神の叱咤!」
またカリーリが信奉する神々に祈り、目に見えざる波動を魔王へと浴びせる。
「煩わしい」
ゴルディの斧を掴んでいる手を払い魔王はようやくゴルディを解放した。
カリーリの祈りは魔王に嫌悪を抱かせるようだがダメージを与えた様子はない。
そこへグァンダインの呪文の声が響く。
「永遠に溶けぬ氷!」
魔王の右半身が氷に包まれる。
「笑止」
「ぐあっ!」
魔王は右腕を払ってあっけなく氷を割り砕くと、音も無く忍び寄っていたゲンドウの頭を鷲掴みにしてキールの方へ投げて寄越した。
キールの目の前に落下したゲンドウは、顔を青ざめさせ体は細かく震えていた。
「ゲンドウ!」
「あ、あぅ……。うう、う。……はあ」
ピクリビクリと小刻みに震えるゲンドウは、まともに喋ることさえできなさそうだ。
「貴様!」
「人間とはこの程度のものか。我はまだ一歩も動いておらぬぞ」
退屈そうに告げた魔王にキールは歯噛みする。
「世界最強と讃えられた勇者キールをなめるな!」
魔王の見下した言葉に怒り、キールは愛用のバスタードソードを両手で握って吠える。
「もう良い。……清き眠りよ」
魔王が投げやりに呟いた瞬間、魔王から闇色の靄が滲み出てキール達を柔らかく包み込んでいく。
「きゃあ!?」
「ぬおっ」
「ぬうぅん……」
「はう、ぁあう、んん……!」
「何をした!」
キール達を包んだ闇色の靄は、まるで生気を吸い取るように勇者隊から力や気力を奪い、全員を立っていられなくしていく。
「キール……」
誰かがキールを呼んだ。
が、キールはもはや誰の声かが分からぬほど意識が朦朧とし始めていた。
――このままでは死んでしまう――
遠のいていく意識の中で、キールはやけにはっきりと死の恐怖を意識した。
潰えてしまいそうな気力だが、ギリギリで一つだけ助かる術を思い付き、迷う暇もなく危機脱出の一言を口にする。
「安らぎの我が家へ……」
閉じかけの瞼のすき間に白々とした光が広がった気がした。
しかし、それは設定した場所への転移が成功した証なのか。
それとも天国の光景なのか――。