第1話 青緑
今月も、この時がやって来た。全ては運命の女神様だけが知っているやらなんとやら、昔の偉大な音楽家は、思春期の少年の心情を歌にしたが、今の自分の心情はそれと同じだ。ただし、“学年一の”などといったうわついた話ではない。
我々高校生にとって席替えは、これから1ヶ月の気分を決める闘いだ。そして、1枚の紙切れを選ぶその瞬間、その一瞬で終わる闘いでもある。
自分の番が回ってくるまでの数分間、胸の鼓動をどくどくと聞きながら待つそれは、興味がない時の古典の授業1コマ分に感じられる。
自分には、このイベントの時にいつも考えることがある。どうやってその紙切れを選ぶかということだ。まあ、雑念がない方が、案外、神様はいい席を用意してくれるかもしれないが。
指先が1枚、2枚、3枚と順番に触れた3枚目を選ぼうか、あるいは重なった紙の下の方から選び取ろうか、あるいはしばし念じてから選び取ろうか……。しかしそれでは、後ろがつっかえるのではなかろうか。
残りはその火蓋を切るだけとなった、いざ出陣だ。黒板の前にずしんと立っている教卓に向かってスタスタと歩いて行き、手を伸ばして肘を曲げながら、1厘の迷いもなく紙切れを取り上げた。
まもなくして、黒板の上の席順をあらわしている表の該当するマスの中に自分の出席番号が書かれた。
自分の番号が書かれたマスの隣のマスには、24番。その後も周りのマスが埋まっていく中、1人興奮していた——勝った——。
クラスの35人を相手にした誰も知らない小さな闘いは、自分の勝利で終わった。勝ち誇った感情を誰にも悟られまいと隠しながら、自分の席への1歩1歩を確実に踏み締めていく、高校3年生の余裕である。
闘いは終わり、席替えは、淡々とれた実行された。横に感じる初夏の光は希望の光であり、心に安寧をもたらすのである。
辻アキ——口数は人並みで、おしゃべりが大好きという訳ではない。園芸部の部長をやっている。それ以外のことは……これから知っていこうと思っている。彼女について知りたいという気持ちは、たぶん大切だ。何に喜びを感じ、何に笑いかけ、どんな生き方をしているのか。生き方?——生き方なんて大袈裟か。
やがて人の流れが落ち着くと、僕らは言葉を交わすのであった。他愛のない言葉である。
「これから、よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」
「辻さん」
「え?」
「あ、いいや」
「そういえば、あまり話したことなかったよね。私のことはアキでいいから。みんなは“つじーじ”って呼ぶけど……」
「アキさん、……えっ……“つじーじ”って?」
「ん? “つじーじ”。何なのかな、まったく。ははっ」
初めてやや長めの会話をした。早春の風が運んだ彼女の気配に惹かれてしまったあの時に願ったことが、今日叶った。それだけが、今信用できる事実なのである。
2年生ももうすぐ終わる3学期、あの気配を受け取った。それからというもの、頭の一部を彼女についてのモヤモヤが支配していた。選択科目が同じだったから、クラス替えで同じになるかもしれないという期待もそのモヤモヤに含まれていたのは事実だった。
勝負に勝ったとはいえ、誰かに言えるわけでも、ましてや誰かに祝福されるわけではない。
やはりいつものように1人で帰る帰り道、薄暗くなっていく空を見上げた。今日の月を、忘れることはないだろう。その夕べの月は三日月だったが、その月が太陽の光をしかと反射しているということを十分感じとることができた。今までそんな風に思ったことはなかった。
つづく