薬の国
そこは、薬の国と呼ばれている。
どんな病でも、その国の薬に治せないものはない。
誰もがその国に感謝した。一体何人もの人が命を救われたのか。きっと数えてもきりがないほどである。
実際私もその一人であり、私の家族全員がその薬のお世話になった。
10年ほど前、とある伝染病が流行した。瞬く間に猛威をふるったそれらは、私たち家族も襲うことになる。
その伝染病は感染力が強く、異常に致死率が高かった。感染後一週間で、そのウイルスは体に大量の発疹をおこし、三週間経てば、誰が誰なのかわからなくなるほどそれらの発疹を大きくさせた。どんなに長くても一か月しか生きられない。そんな新種のウイルスに誰もが生きることを諦めかけていたそのとき、事態は急展開を迎える。
それまでどの国とも国交を持たず、謎に包まれていた国がこんなことを言い出した。
“我々はその病を治せる薬を持っています。できる限りの量を無償で提供するので、なるべく多くの人が使えるよう配布してください。”
多くの人がこの薬と国を疑ったが、なりふりかまっている余裕はなく、最後の希望にすがるように、その薬を使うことにした。するとその疑いに反して、その薬は魔法のように人々を救い、結局その国は薬の国と呼ばれるようになった。
ただ、こんなことがあったにも関わらず、現在もその国は謎に包まれたままである。そんな不思議で興味を引かれる国に私は旅立とうと思う。
その国に私は一週間滞在しに行くことを決めた。しかし滞在目的で旅行に行った人々はみな一様に、そこでの定住を決めてしまう。よほど住み心地が良いからなのかは分からないが、どちらにしても怪しいことに変わりはないため、用心しなければならない。なるべく多くのものを旅行鞄につめこんだ。
銃、非常食、無線で遠くからも連絡可能な機器、およそ旅行とは思えないほどの対策をした。さらには未知の病気の可能性に備えて、受けられるだけの予防接種も受けている。薬の国だと知っていても、その国の生き物が人間でない可能性もある。打てる手はすべて打った。
旅立ちの前夜は妻と話しておくことにした。
「本当にあの怪しい国に行くの?」
「怪しいのは怪しいけどね。この一家の今があるのは彼らのおかげだ。お礼も兼ねてどんな国か見てくるよ。」
「そう言われたらそうだけど・・」
もちろん、家族には対策に対策を重ねたことを話していない。そんなことを言うと行かせてもらえなくなる。
「誰かと行く発想がどうして無いのかなあ。」
「ひとりで行きたいから仕方ない。」
「誘ったけど断られただけでしょう。」
「そこはばれてたか。」
何気なく笑ったけれど彼女の顔は一切笑っていなかった。
「危ないと思ったらすぐに帰ってきて。」
静かだけれど、震えるように言い放った。
「わかってる。」
「本当に?」
「自分だって死ぬわけにはいかない。」
「そう言いながらいつも危ない橋をわたるくせに。」
「さすがに今回は例外。中の情報が少なすぎる。」
ここまで注意されるのは珍しかった。
いつもなら言っても仕方ないと「気をつけて」としか言われないのに。
「それだけ誰から見ても怪しい国なんだな。」
そんなことを思いながらその夜は眠った。
次の日私は家族に見送られてその国へと旅立った。
入国時には驚いたことに、薬の国ならではのことが起こった。病気を持ち込まないために。また、かからないために予防薬の服用を義務づけられた。
最初は嫌だったが、なめてみると存外おいしいのできっちり服用することを決めた。
これで準備は完璧だ。あとは一歩踏み込むだけ。そう思い視界に広がったその世界は、
「楽園だー!!」
思わずそう叫んでしまうほど素晴らしい景色だった。
町はお祭りのように活気であふれ返り
誰もが満面の笑みを浮かべ
きれいなお姉さんが踊り子をし
町の中心には巨大な炎が燃えている。
今まで思い浮かべていた想像は覆された。ちゃんと私たちと同じ人間が住んでいる。薬の国と聞いて思い浮かべた陰湿なイメージは壊された。
そんなことを考えていると
「そこの旅の人!」
「私ですか?」
「そうです! 一緒に酒でものみましょう!」
その人は30代ほどに見えた。
「この国はいつもこのようにお祭りなのですか?」
「毎日こんな感じです。実は10年ほど前に全ての労働が自動化されました。だから、機械を管理するする技術者以外は仕事がありません。もちろん最初は戸惑う人のほうが多かったけど、なってみれば毎日こんな感じで・・
でもこれが一番平和で良いと思いますよ。」
「確かにみんな幸せそうです。」
「それにご存じだと思いますが、薬の国なので病気で死ぬこともない。」
「あなたの話を聞くと本当に完璧な国ですね。」
「自分でもそう思います。」
その日は楽しく語りあった。自分の旅の話は外の話を知らない人にすごく受けた。
「そろそろ解散しましょうか。」と
「あのーその前におすすめの宿とか聞いてもいいですか?」
「そもそもこの国に宿はないですよ。」
「え!?」
「実は旅人さんが来ることがほとんど無いので・・」
「なるほど。」
「その・・私の家で良ければ泊まっていきませんか?」
「助かります!寒くはなくても、道端に寝る勇気はなかったので。」
本当に助かった。
発展しているだけあってホームレスのような人はいないし、シャワーを浴びれないと自分だけ体臭が気になる。
仕方ない気はするけど、旅人には不親切な国だ。
そんなことを、考えていると夜はふけていった。
滞在2日目
一日を過ごして気づいたことがある。
まず、本当に労働者がいない。朝起きて普通仕事を始める時間に人々は町に出てきてそれからは夜がくるまで遊び続ける。それでも、事件がおこることもなく、不思議なことに町が汚れることもなかった。
もう一つ人々の容姿が整いすぎている。遺伝なのか、原因はわからないけれど。少し気味が悪い気もしたが、それが普通の容姿だと言われたのでなんとも言いようがなかった。第一普通の容姿を気味が悪いと言うのは失礼にも程がある。
しかし、そんな不思議で怪しい部分が気にならなくなるほど生活は楽しかった。
朝から晩まで祭りを楽しむことができ、疲れたらいつでも昼寝がしほうだい。それが当たり前の世界で、誰もが親切に、私をもてなしてくれる。入国前にあった警戒心はいつのまにかなくなっていた。
その夜、初日に会った男の家に泊めてもらう約束をしていたので、家に帰った。
そして、遊びの気分も抜け落ちたところで、ずっと気になっていたことを聞いた。
「外の国へ旅をしに行きたいと思いませんか?」
「まず外から来る人が少ないので、この国の人々は外へと意識が向きません。興味を持つきっかけがないんです。ちなみに、外から来たあなたは、この国と外の国どちらが良いと思いますか?」
「明らかにこの国です。」
「そう思う理由は?」
「みんなが笑っていて幸せそうだから。これにつきます。」
「私からしたら普通のことなのに」
「そう言いますけど、私たちの国なら絶対に無理ですよ。苦しんでいる人が、少なくともどこかにいるのが当たり前の世界です。」
「そこには行きたくないな~」
「結局そうなりますか。」
滞在3日目
異変は早朝、起きた瞬間から起こり始めた。視界がぐにゃ
ぐにゃに歪んでいる。それに加えて、一番の問題は声が聞こえないことだ。私は一日休むことにした。目を開ければ気分が悪くなり、とても立っていられない。ずっと目をつぶり症状がおさまるのを待った。
滞在4日目
症状が治まった私の前に現れたのは、見たこともない場所だった。起きた場所はたしかに、この国で出会った友人の家のベッドだが、妙にさびれてほこりをかぶっている。それに加えて、窓から見える景色は昨日までいた楽園の面影を残した廃墟だった。
事態がつかめなかった私は、一旦家を出て町を歩いていると、また衝撃的な映像が目に入る。
昨日までは容姿の整った人々だけだったのが、今日見るとやせ細っていたり、太りすぎていたりする人がいて心底驚いた。中にはボロボロの服を身にまとう人もいる。けれど、道行く人に、町が廃墟に化したという意識は無いように見え、その表情は前と変わらない幸せなものだった。
そんなことを思っているとある老人に声をかけられた。
「そこの人。夢からはもう覚めたかい?」
「どういう意味ですか?」
「今あんたの目には、昨日とは違うボロボロの廃墟が見えているはずだけど。」
「たしかにそうですが・・」
「昨日までの街並みは全部、あなたを含めた国民全員が見ていた夢でしかない。」
「まず、どうして僕が見ている景色が変わったと分かったんですか。」
「そんなことは顔を見れば一目瞭然でわかる。基本的に夢の中の人間はよく笑うのに、あんただけは表情が暗かったというだけだ。」
「なるほど。あなたはこの原因を知っているのですか?」
「もう少し人が少ない所へ行こう。」
そう言って私たちはこれまた崩れそうな喫茶店に入った
「では、この原因を説明していただいていいですか?」
「君はこの国に入るに前に薬を飲まされただろう。その薬がこれの原因だ。」
「意外とおいしいやつのことですか?」
「そんなことは聞いてない。」
話を戻された。
「では薬の効果がなくなればこの症状も・・・」
「その逆だ。昨日までは薬の効果で町はきれいで、全員の容姿がやたらときれいに見えていたと思う。で、たった今君が見ている景色はありのままのこの国の姿だ。」
「どうしてこんなことに?」
「長くなるよ?」
「かまいません。」
「10年ほど前にある薬を開発した研究者がいた。その薬は私たちに理想的な世界という幻覚を見せるものだ。その幻覚こそが君が何日間か見たものだよ。」
「幻覚を見ている間、薬を使っていない人と会話はできるのですか?」
「できた。加えて見える景色も、実際のものを美化したものだから生活に支障はない。」
「すごい技術ですね。」
「そのときはだれもがそう思った。機械化が進んでいたから働く必要もなかった。その後全員が薬を使ってこのありさまだよ。」
「機械は現実の街並みの整備はやらないんですか?」
「そうだ。そこだけが、ここの人々の失敗だ。機械が本当に偶然壊れたんだけど・・それを、直す人も幻覚の中だから、現実で壊れているのを直しようがない。」
「正直まだ頭が追いついてませんが。」
「そうかい」
「でも、この国の人たちはよくそんなものを進んでつかいましたね。」
「これは私の意見だけど、みんなやらなければならないことがなくなって退屈だったと思う。だから、すんなりこの薬を受け入れた。」
「結局あの人たちも幸せに生きてますしね。」
「でも薬が切れた後なら、幻覚に戻りたいとは思わないでしょ?」
「それは当たり前です。元の国へ帰らないといけませんし。」
私は別れる最後に気になっていたことを聞いた。
「最後にお聞きしたいんですが、あなたはいったい誰ですか?それに、どうして薬を使ってないんです?」
「私もあなたと同じ旅人だった。今はこの国の最後を見るためにここに残るつもりだ。
2つ目の質問の答えは、じつはここに来る前にさまざまな薬を飲んだ。それが、薬の効果をなくさせたというのが私の推測だけど、実際はよくわからない。」
「ありがとうございました。お気をつけて。」
私はそう言ってこの国を去った。
幻覚を見ている人たちが幸せかは、私が決めることじゃない。けれど、今は早く家族に会いに行きたいと感じる。