裏山のクルマ
祖父の法事で地元に戻った時のことだ。
久しぶりだと集まってくれた幼馴染3人と飲みに行った。
昔からある焼き鳥屋でだらだらと近況報告がてら飲んでいるうちに、そういえば最近、こんな田舎町にも小洒落たバーが出来たという話になり、行ってみようということになった。
ガラガラのバーで、まただらだらと飲んでしばらく経った時。
「あ。この曲知ってる」
いい加減眠たげになってきていたツバサが、ふと眼を上げた。
流れているのは、癖のある女の歌声だ。
外国語の歌だが、英語ではない。
「ピアフだな。
ピアフの『水に流して』だ」
「なんだそれ?」
「古い曲だよ。
シャンソンだシャンソン。
あれだ、『ラ・ヴィアン・ローズ』とか『愛の讃歌』とかああいうの」
関西の名門大学の工学部に行き、地元で一番の大企業に入って、俺たちの中では圧倒的な出世頭のタカヒロが雑に解説する。
「オレも知ってる。
どこで聞いたんだろ」
秋には結婚するというリョウスケが、ふんふんと鼻歌で合わせ始めた。
ツバサも一緒に歌う。
2人とも、適当に合わせられるくらいは耳に馴染んでいるらしい。
俺には、全然覚えがない。
妙な感じだった。
学校でやるような曲ではないし、2人の趣味から外れている。
大昔のシャンソンなんかどこで聴き込んだのだろう。
「あー! そうだ!
裏山のクルマだ、裏山のクルマのラジオでよく流れていた曲だ」
不意にリョウスケが声を上げて、ツバサも「それだそれだ!」と頷いた。
「裏山のクルマ?」
「小学校の裏山に、放置されてるクルマがあったじゃん。
なんつーか、カタツムリみたいなオンボロで、扉とかあけっぱなになってて、結構サビも出てて。
俺ら秘密基地みたいにしてたじゃん。
いや、なっつー……完全忘れてたわ」
「は??」
そんな記憶はまったくない。
俺とタカヒロは顔を見合わせた。
ツバサとリョウスケは、道端に捨ててあったエロ本を持ち込んで皆で読んだとか、家で怒られて家出した時はまずあそこに行ったとか、おやつを持ち寄って備蓄しようとしたら蟻に喰われたとかなんとか勝手に盛り上がっている。
「カタツムリみたいなクルマって……2CVか?」
クルマ好きのタカヒロが、スマホで画像を出して2人に見せる。
こういうやつこういうやつとツバサとリョウスケは頷いた。
「俺はそんなの全然覚えがないぞ」
「俺もだ。
というかあの裏山に、車が置けるような開けたところがあったか?」
小学校の裏山自体は覚えている。
裏山という呼び方をしているが、少し小高くなっている雑木林といったところだ。
フェンスの類も特になかったが、道路沿いは1mほどの擁壁で囲まれている。
学校の敷地の脇から登っていく道があり、その道をのぼってしばらく行くと、頂上らしい頂上もなくなんとなく下りになり、逆側の道路際に降りるまで7,8分というところか。
なんにもないところだが、探検ごっこや昆虫採集くらいはできたので、小学校中学年くらいまでは遊んだ覚えがある。
廃車?が裏山にあったのなら、車が通れるような道がないとおかしい。
しかし、そんな道はなかった気がする。
「これから行ってみるか?
行けば思い出すって!」
「暗くて歩けないだろ」
「小学校の側は校庭のライトが一晩中ついているから、真っ暗ってわけでもない。
スマホで大丈夫大丈夫」
あっという間に行こう行こうという話になってしまった。
小学校は、歩いて10分くらいのところだ。
もう日付が変わる手前だから、蒸し暑さはだいぶ抜けている。
昔は街道筋だった県道には、まばらに商店が並んでいる。
この店は潰れた、ここはまだやっていると教えてもらいながら歩んでいくと、小学校まで来た。
昔はコンクリートの塀に囲われていたが、いつのまにかフェンスに変わっている。
校庭は記憶より狭く、その向こうにだいぶ古びた校舎が見えた。
校舎を眺めながら、そのまま敷地沿いを進む。
「ここか」
記憶の通り、「裏山」の県道沿いの部分は、1mほどの高さの擁壁になっていた。
まずツバサが適当に足がかりを見つけて登り、ぞろぞろとそれに続いた。
今も生徒たちは探検ごっこをしているのか、記憶の通り、踏み固められた細い道が続く。
足元は暗いが、スマホのライトでなんとかなる。
「あれ?」
あっという間に一番高いところに着いた。
ここで道は二手に分かれるのだが、どっちにしても獣道だ。
「言ったろ?
車を放置できるようなところはないって」
「いや、もう少し下ったところに……」
言い訳しながら、リョウスケが右手の道に進む。
登るより下る方が転びそうだ。
スマホを落とさないよう左手で掴んで、足元を照らしながら慎重に下る。
タカヒロが滑りかけて悲鳴を上げたが、誰も笑わなかった。
蜘蛛の糸を払いながら、どうにか降りる。
こちら側は小学校側より暗い。
途中にも、降りきったところにも、開けたところはなかった。
「というか……
さっきの歌を、そのクルマのラジオで覚えたっていうなら、何度も聞いたってことだよな。
ラジオなのになんでそんなに同じ曲が流れてたんだろ」
あ?とツバサとリョウスケが顔を見合わせた。
「いや、ラジオがついてて、ツマミをいじくり回すとたまに曲が流れて来たんだよ」
「なんで?
そんなサビまみれになってる廃車、バッテリーが上がってるに決まってるだろ」
タカヒロが言うと、2人はぽかんとしている。
太陽光発電とか?とリョウスケが首を傾げ、タカヒロが半笑いでそんなわけないだろと突っ込む。
「あーそうだ、あっちだ。
確か川に近い方に……」
2人は、藪をかき分けるようにして、川の方へ向い始めた。
つきあってらんないな、とタカヒロと顔を見合わせる。
「俺ら帰るから。
ほどほどにしとけよ」
おう、とツバサが片手を上げたが、リョウスケは振り返りもしなかった。
次の日は朝から法事で、そのまま東京に戻った。
あの後、どうなったのか気になってツバサにLINEをしたが、未読のまま返事はなかった。
リョウスケもだ。
不安になってタカヒロに電話をすると、別に2人がどうかしたという話は聞いていない、無事だ無事だと笑われた。
翌年の春先、タカヒロから出張で東京に行くと連絡があった。
じゃあ飲みに行こう、という話になって、新宿で落ち合う。
しばらく、どうでもいい話を重ね、だいぶ酔いが回ってからあの時の話になった。
2人とも普通に戻りはしたのだが、リョウスケはどういうわけか結婚を取りやめたらしい。
ツバサの方が深刻で、やたら小学校周辺をうろつき回るようになり、生徒に詰問したりするので不審者として通報され、警察沙汰になったそうだ。
それをきっかけに、ツバサは引きこもるようになった。
一度様子を見に行ったが、世界線がどうとか、わけがわからないことを言って興奮しだしたので、親に帰ってくれと泣かれて慌てて帰ったそうだ。
「ところでさ。
あの後、妙な夢を見るようになったんだ。
廃車同然の、卵色の2CVに4人で座って、馬鹿な話をしたり、ゲームをしてる。
なんとなく、席も決まっていて、ツバサが運転席、リョウスケが助手席、俺が運転席の後ろ、お前が助手席の後ろに座ってる。
小学校3年か4年くらいの頃なのかな……
もちろん、裏山にはクルマを置くところはないし、あの時代に2CVがあんな田舎町に転がっていたわけもないんだが」
言いながら、タカヒロは日本酒を注ぐ。
「凄い、リアルな夢で。
シートの手触りとか、錆びて傾いだドアを開ける感覚とか……
本当にあったことを、もう一度夢に見ているようなんだ」
言葉を切ると、タカヒロは俺の顔をじいっと見た。
「俺は──」
俺もだ、とは言えなかった。
Edith Piaf - Non, je ne regrette rien (Audio officiel)
https://www.youtube.com/watch?v=4r454dad7tc