お前の理解が足りていない ― わたりかAS
本編「わたくしの理解が足りないのかしら」はこちらです。
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「ジルベール閣下、急ぎ大ホールまで来てください!」
王太子宮の首席補佐官室へジルベールの許可も待たずに飛び込んできたのは、春からジルベールの部下として配属されることになっている若い学生だった。
「どうした、騒々しいな」
騒々しく入ってきた学生を一瞥して再び書類に目を落としたこの男性がノア・ジルベール。
宰相であり公爵家当主の父を持つ23歳。
最高学府を卒業し、18歳という若さで王太子宮へ勤めだした彼は、すぐにその才覚を発揮し、23歳になった時点で首席補佐官の地位を手にした。
父が宰相だという血筋ではなく、自身の力で手にした地位だ。
現時点では次世代の宰相候補の筆頭として目されている人物だ。
「王太子がやらかしました!」
「すぐ行く!」
瞬間、ジルベールは書類から顔を上げ部屋を飛び出した。
彼が首席補佐官に就任して以来、彼の仕事を邪魔する唯一の存在がある。
それは彼が仕える王太子アーロンだ。
(またあの馬鹿がやらかしたか。今日の仕事は王の名代だから言われた通りに言われたことだけやれと言ってあったのに)
この日、大ホールで開催されていたのは王主催となるアカデミーの学年末パーティだ。
国の将来を担う若者達を労うとともに、卒業が認められた学生を王が称える席である。
そして、本日、帝国の公使との会談が入った王の名代として、学生相手に準備した原稿を読むだけの仕事をアーロンに割り振っていた。
だから失敗することなどないはずだと考え、溜まった書類を片付けていたのだったが――
(予想の上を行く馬鹿だったということか)
王太子宮内にいた武官と文官に付いてくるように指示を出しながら大ホールへ向かったジルベールは壇上で偉そうに立っている王太子アーロンの姿をみつけ、その側に駆け寄る。
「殿下、何事です!」
「おお、ジルベールか。いま、この悪女を糾弾していたところだ」
「この悪女? ああ、ようやく殿下もキャサリン嬢の本性に気が付いたのですね。一時の気の迷いだとは思っていましたが、どうなることかと心配しておりました」
アーロンの傍らにはここ数か月、なぜか王太子の周りをウロチョロしていた女。
子爵家の人間としてアカデミーに入学していたが、子爵家先代の後妻の連れ子であり、その血筋は一代限りの騎士爵の子。成人と同時に平民籍になることが決まっている人間だ。
当然、王太子に近づく以上、身辺調査は済んでおり、政治的な背景は無し。特に犯罪組織などとの関与も認められないため、学生時代なら国として注意する必要は無いだろうという判断の下、様子見となっていた監視対象である。
日頃の言動についての報告を見る限り、それなりに野心は持っているようであり、将来の愛妾の地位でも狙っているのだろうが、王太子宮としては身分として釣り合わない以上、彼女の卒業を持って金銭的な解決を図る方針になっていた。
そして視線を動かすと二人の前には王太子の婚約者でもある隣国の皇女エリザ・ウィルガードと侍女であるアリス嬢の様子を窺った。
(まぁ、殿下は王子に興味は無いだろうしな)
日頃からエリザが婚約者でもあるアーロンに興味を持っていないことは知っていた。
むしろアカデミーで過ごすほとんどの時間、アーロンの存在が思考の隅に浮かぶことはなかっただろう。
下手をすると王宮内ですれ違っても、エリザはアーロンのことに気が付かないのではないだろうか。そんな話すら出ていたくらいだ。
とりあえずこれ以上の騒動になる前にアーロンを連れ出せばいいだろう。
そう安心したジルベールは王太子の次の言葉に困惑する。
「何を言っている。悪女と言えばエリザに決まっているだろう」
(はぁ?)
人は想定外の言葉を聞くと脳が止まる。
若き首席補佐官ジルベールは口を大きく開け、ぎごちなくエリザを見つめ呟いた。
「エリザ殿下がですか!?」
ジルベールと目が合ったエリザが苦笑を浮かべながら頷く。
(ちょっと待て、婚約者であるエリザ殿下に対してこの馬鹿は「悪女」と言い切ったのか?)
外交問題になる。
それも特大級の。
王国と隣国の間で30年間、綿密に準備してきた一大イベントが、その成就目前に崩れ落ちる。
ジルベールの脳裏に、走馬灯のように幼少の頃の父との会話が過った。
『ちちうえ、ぼくはおうたいしのほさかんになるの?』
『そうだ』
『いやだ、ぼくはちちうえみたいなさいしょうがいい』
『ノア、それは出来ないんだ。ノアが大きくなったら、この国は帝国の一部になるから』
『でもさいしょうがいいんだ』
『ノアは王太子の補佐官となり、帝国の一部になった王国を王太子とともに守ってくれ』
『うわああん! さいしょうがいい! おうこくはまもるぅぅぅ』
(いかん、腑抜けている場合で無い! 俺は王国を守らなければならない!)
「エ、エリザ殿下。これは何かの間違いで……」
まだ今なら誤魔化せるのではないか。
聡明なエリザ殿下であれば、なかったことにできるかもしれない。
「ジルベールさんでしたわね。宰相令息の。ええ、わたくしもそうは思うのですが、どうも話が噛み合わなくて」
(よかった。エリザ殿下もこちらに合わせてくれるつもりだ)
「ジルベール、俺はこいつに婚約破棄を言い渡した。そして国外追放にすることに決めたのだ」
「はぁ?」
今度は声が出てしまった。
ジルベールとエリザ。
暗黙の了解でこの場を収める方向に話を進めようとしたのをぶち壊してくるアーロン。
そしてさらに畳みかけるように、
「ジルベール、俺はこいつに婚約破棄を言い渡した。そして国外追放にすることに決めたのだ」
などと言い出す。
エリザの目がすぅっと細く閉じられた。
まるでこちらを値踏みするような視線。
そしてその背後からアリスの視線が更に強くなる。
ジルベールとしては、こちらの方が怖い。
「さっそく、この女をつまみ出せ!」
「何を馬鹿なことを!」
「貴様、王太子の俺に向かって馬鹿とは何だ」
思わず口に出してしまった。
いや、馬鹿に馬鹿という分には何の問題も無いだろう。
むしろ、単なる事実の指摘。
周囲を見回すと、まるでそこにいないように息を殺している学生達も、微かに頷いた。
そうだよな。
馬鹿に馬鹿というのは何の問題もないよな。
そうジルベールの中で不敬が正当化されていく。
だが現実逃避をしたジルベールへ、今度はエリザが追い打ちをかけてきた。
「ジルベール様、安心しました。やはりこの国の文化でも、これは『馬鹿なこと』なのですね。まだわたくしの知らない言い回しがあったり、ニュアンスがあったのかと心配しておりました」
「も、申し訳ありません。これは何かの間違いです。おい、殿下を別室にお連れしろ。またすぐに陛下へお伝えするのだ!」
言質を取られた。
アリスからの圧力が弱まったことで、ジルベールは己の失態に気が付いた。
「もう結構ですわ、ジルベール様。これが言葉通りであり、わたくしの理解が足りなかった訳では無かったということが明白になりました。ですので我が国としては取るべき道はただ一つです」
「そんな、殿下、お待ちを……」
「いえ、待ちませんよ」
そう言って、エリザはアーロンを見つめ優しく微笑む。
「アーロン殿下」
「なんだ!」
「婚約破棄、謹んでお受けします。また国外追放についても異論はございません」
「そうか、やっと思い知ったか。そうだ。お前のような悪女がいなくなれば、俺は堂々とキャッシーと結婚ができるのだ」
「ちょ、ちょっと待ってください、エリザ殿下」
駄目だ。
この終わり方は、我が国にとって一つも利点がない。
ジルベールの背中に冷たい汗が流れる。
「殿下、私、嬉しい」
「お前は黙っていろ!」
「怖い!」
突然しゃしゃり出てきたキャサリン嬢を怒鳴り付けてしまった。
女性を怒鳴るなど紳士にあるまじき行為だが知ったことではない。
ジルベールは今をどう収めるかに全力を尽くさねばならないのだ。
「俺のキャッシーに失礼な態度を取るな」
「うるさい!」
ジルベールはアーロンを殴り倒した。
「な、何をする。お前ら、ジルベールが乱心した。拘束しろ!」
「王太子はもう駄目だ、取り押さえろ!」
こいつを幽閉し、陛下とともに皇女へお詫びをするしか方法が無い。
もう婚約破棄は避けられないだろう。
もちろん、こちらの有責であり、全てが水泡に帰すかもしれない最悪な状況だ。
それでも何とか誠意を見せて――
ジルベールがエリザに視線を合わせないようにしながらも事態の収拾を図ろうとするが、
「ねぇ、茶番はもう良いかしら?」
それほど大きな声ではないにも関わらず、ホールに響くエリザの声で、それが無駄であることを知った。
「アーロン殿下、改めて貴国の通告を受理いたします。わが帝国は王国からの婚約破棄を受け、30年前に締結した両国の停戦条約が暗黙的に破棄されたものと理解いたしました」
「はぁ?」
「また、わたくしの身柄は国外追放を受け外交特権を失いましたので、こちらも条約通り48時間以内にこの国から退去いたします。合わせて公館は閉鎖、特命公使を残し外交部も引き上げます」
「おい、ジルベール、この女は何を言っているのだ」
「お前は黙っていろ、エリザ殿下、お待ちを、これから陛下が参りますので!」
「さらに、この国から外交部が引き上げ後、72時間以内に貴国の武装解除、王城の開城を求めます」
「そんな」
絶望的な通告だ。
この場において逆転するための手が無い。
それでも首席補佐官として、父と約束したこの国の未来のためにも足掻かなければならない。
「くそ、離せ!」
エリザの最終通告に対して押さえ込んでいた者の力も緩んだのか、アーロンがその手を振り払い、立ち上がった。
「お前達、何を腑抜けたことを、悪女を追放するだけのことじゃないか」
「馬鹿は黙っていろ、お前が何をしたか解っているのか!?」
「また馬鹿と言ったな、ジルベール! もう許さんぞ!」
「うるさい! 今の話を聞いていなかったのか?」
「ああ、エリザのはったりにびびったのか? こいつは、この国を追われれば居場所も無いからな。こんな脅しにビビるなんて、お前達、いくら剣を鍛えようと根性が無いな」
「居場所が無い? エリザ殿下は帝国の皇太女だぞ」
「だからなんだ、俺は王太子だ」
(ちょっと待て)
ジルベールの言語処理能力がまたフリーズした。
(おれはおうたいしだ)
帝国の皇太女、すなわち次期女帝となるエリザを前に「おれはおうたいしだ」との言葉。
「おれはおうたいし」という言葉に何か俺の知らない重大な意味があるのだろうか。
静寂が大ホールを包む。
アーロンはその様子を見て、勝ったとでも思ったのか、得意げな表情を浮かべていた。
その表情にジルベールの怒りは頂点に達した。
「ちょっと、お前、こっちに来い!」
「ジルベール、貴様、重ね重ねの無礼、もう許さんぞ」
「良いからこっちへ来い」
思いっきり殴りつけてから、アーロンを隅へ引きずり、事情を説明する。
「王太子は、あくまでも帝国の属国でもあるこの国の王位継承者。それもお前に関しては、エリザ殿下との婚姻までの仮初めの地位だ!」
「何を言っている」
「本当に知らないのか? ここまで馬鹿だったとは……。いいですか、30年前に軍部の暴走により我が国から一方的に仕掛けた戦いは、初戦で大敗を喫してしまった。そして攻め上がってくる帝国軍の前に、焦土戦で国土と民を損耗させるよりはと、孫の世代、すなわち殿下の代で、王家と皇家を婚姻により結び併合されることを条件に休戦したんです。習ったでしょ?」
「30年も昔の話だぞ!」
「我々は生まれていませんが、先日、退位された先王の時代です! この国の上位貴族であれば知らぬ者はおりませぬ」
知っていても識らない。
知識と理解は別のもの。
こいつの理解の足り無さが招いた悲劇……いや、もう喜劇としか言えないような事態。
ジルベールは力なく笑った。
その様子を見ていたキャサリンはようやく事態を理解したのか、エリザの前で土下座をして詫びを入れている。
「あのクソ女にエリザ殿下のことを何て説明していたんだ」
「またクソと言ったな」
「うるさい」
ジルベールはもう一度殴る。
「誰かジルベールを」
「うるさい!」
さらに殴る。
誰も助けに来ないことをようやく理解したアーロンはジルベールに怯えながらも答えた。
「押しつけられた帝国から来る婚約者がいる。どうやら向こうが私に一方的に惚れているらしい。だが、私は興味が無いのでずっと無視をしている」
「皇女だということは?」
「ああ、女だてらに勉強しかしない役立たずのようで、帝国に居られなくなった皇女なんだろうと……」
キャサリンの立場では両国の複雑な事情など知るよしも無い。
あえて戦争の傷は隠し、民衆に本当の敗戦を隠し、屈辱的な条約を隠し、笑顔を浮かべたまま緩やかな国家間の統合を目指していた、この30年。
王太子の説明で政略的な要素が少ないとなれば、その座を狙ってキャサリンが動いたのもわからなくは無い。
だが、王自らが行う王太子教育の中で王太子は教わっていたのだ。
自分の立場を。
両国の関係を。
「誰ですか、そんな馬鹿なことを吹き込んだのは」
その問いは無視された。
なぜなら、アーロンがキャサリンが涙ながらに土下座していることに気が付いたからだ。
「おい、キャッシー、またエリザに脅されたのか。この悪女め、もう許せ……うわ」
ジルベールはもう一度殴ろうとしてその拳を止めた。
なぜなら周囲にいた文官、武官達が一斉に飛びかかってアーロンを組み伏せたからだ。そしてそのまま大ホールから連れ出す。
「エリザ殿下」
大きく息を吐くとジルベールはキャサリンと同じように床に平伏し、エリザに許しを請うた。
大ホールに残っていた他の全員も同じように平伏する。
「どうか、どうかご寛恕を。国をまとめるにも時間が必要です」
「そうね、ジルベールさん達の顔とお世話になったアカデミーに免じて、こちらも妥協するわ。1ヶ月、わたくし達がこの国から出た日から1ヶ月以内で決めなさい。服従か、滅びを」
1ヶ月。
たったそれだけの期間で、もう一度、この国を少しでも好条件で帝国に編入してもらうための準備をしなければならない。
やるしかない。
俺はこの国を守ると決めたのだ。
ジルベールは大ホールから颯爽と出て行こうとするエリザを追いかけ、改めて丁重に声を掛けた。
「殿下」
「まだ何かあるかしら?」
エリザは振り返らない。
「王太子アーロンは廃嫡とします。どんな反対があろうと、陛下を排除してでも廃嫡します。その上で王家の血筋から新たな王を立て、そのものと新たに縁を結んでいただけないでしょうか?」
「ふふふ。まだ、わたくしの理解が足りないのかしら。王家にはもう私と釣り合う男性はいなかったのでは無いかしら?」
「はい、王家直系のものはおりません」
「それならこの話は無理ね」
「縁を結ぶのはエリザ殿下とではありません」
その言葉にエリザは振り向いた。
「どういうことかしら? やっぱりこの国の言葉は難しいわね」
「遠縁になりますが王家に連なるもので、まだ独身の男がおります。婚約者もおりません。そしてその能力は折り紙付きです。きっと帝国のお役に立ちます」
「ふふ、そんな言葉だけじゃ、わたくしは動きませんよ」
「そ、それに、深い愛情もございます。わ、私とアリス様の縁をどうか結ばせてください」
「アリス、どうかしら?」
「家格は釣り合いますね」
「それだけ?」
「……エリザ様、揶揄わないでください」
「あなたのそういう顔を見る日が来るなんてね、今日は楽しいわね」
そう言って、エリザはもう一度ジルベールを見る。
「二人の馴れ初めをこと細かに話しなさい。両国が再び縁を結び、緩やかな帝国による併合を目指すには、信頼が必要です。王家にはそれがありませんでした。ですが、あなたがアリスを愛すると言うのなら、その馴れ初めをつまびらかに話しなさい。それが条件になります」
「はっ」
「その上で、アリスの返事をもって最終的に決めるわ。ああ、まずは王家を潰してきなさい。報告を待ちます」
「ありがとうございます。アリス様、少々お待たせしますが、必ずお迎えに上がります」
半月後、王は王太子の廃嫡および自らの退位を宣言した。
王座についたのは宰相の息子であるノア・ジルベール。
その傍らには婚約者となった帝国侯爵家令嬢のアリスの姿があった。
さらに半月後、ジルベール王は再び来訪した帝国皇太女エリザの前に跪き、王国の帝国への編入を申し出た。
その後、密室の中でエリザ、ジルベール、アリスの会談が持たれ、約3時間ほど経ってから涼しい顔のエリザと顔を真っ赤に染めたジルベールとアリスが現れ、編入が承認されたことを宣言した。
ジルベールは帝国侯爵の地位を賜り、王国だった地域の一部に封ぜられ、これをもって王国はエリザの宣言に従い、婚約破棄騒動からちょうど1ヶ月をもって滅亡した。
読んでいただき、ありがとうございます。
誤字脱字のご指摘もありがとうございます。
おかげさまで、本編「わたくしの理解が足りないのかしら」が、『耳で聴きたい物語』コンテスト2022 女性主人公編の1次選考を突破することができました。この後は読者投稿で大賞が決まります。是非応援のほど、よろしくお願いします。
詳細は以下のページから。
https://blog.syosetu.com/?itemid=4371
キャサリン視点を公開しました(6/4)
わたしは理解しました! - わたりかAS2
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