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童話短編など

孤月の吸血姫

作者: 楓麗
掲載日:2021/12/05

 夜空に浮かぶ天満ちる月。


 紅く染まるその姿は血染めの女神が微笑むかのように妖艶で美しい。


 古城より紅き月を眺める少女もまた、瞳を真っ赤に染め上げて儚げに微笑んだ。




「今宵は月が綺麗……貴方も、そうは思いませんか?」




 黒いドレスに身を包んだ少女は、夜風に小さな声を乗せて背後へと振り返る。


 静かに椅子の上に腰を据えた老年の男は狂おしいほど美しい月夜を仰ぐこともなく、ただ少女の呼びかけに弱々しく頷いた。




 男は既に歩くことも許されず、口を利くことすらままならない。


 シワだらけの身体は今まで重ねてきた年の数だけ深くなる。


 呼吸も既に虫の息。


 胸を打つ鼓動も耳を澄ませても聞き取ることが困難なほど弱り切っていた。




 ただ少女に抱いてきた長年の想いだけは色褪いろあせることなく、少女から差し出されたか細い手に触れる。




「私とあなたの大好きな月、私たちをめぐり逢わせてくれた祝福の輪。今もこうしてあの時と同じ姿のまま、微笑みかけてくれます」




 少女の声を耳にした男は物言わぬまま、少女に触れた手をさらに震わせていく。


 生きとし生ける者、死は必ずや平等に訪れる。


 しかし、老いはいつでも平等に訪れるとは限らない。




 まさしく、瑞々しいほどの『若さを保った少女』と『老いに老いた男』が非常な現実を知らしめていた。




 人間と吸血鬼、両者は決して相容れぬ存在。


 人間が吸血鬼になることは可能だろう。だが、その逆は不可能に等しい。


 生まれ持った定めを背負う吸血鬼が肩の荷を下ろすことは、まさに種の死と直結する。


 故に少女は吸血鬼の女王として、全ての吸血鬼の始祖として吸血姫であることを選んだ。




 同時に少女は吸血姫として、最後まで彼を人間として愛することを誓った。


 眷属としてその首筋に紅い口づけを付けることなく、彼を人間のまま愛し寄り添い続けることを望んだのだ。




「あなたと出逢ってもう七十八年と九ヶ月の月日が過ぎ去りました。あの頃と比べると、あなたはこんなにも老いてしまった……」




 少女は悲しみの笑顔をこぼす。


 過去の日々を懐かしむかのように、愛しい想い人の元へ身を寄せる。




「ですが、私は決して後悔などしていません。たとえ、私を置いてあなたが変わり果てた姿になってしまおうとも、私の愛があなたの想いを永遠に繋ぎ止めてみせます」


「ぁぁ……」




 男の頬に小さな雫がこぼれ落ちる。


 間もなく訪れる死が二人の仲を別つとしても、二人が交わした絆はどこまでも固く揺るぎない。




「ほら、見てくださいな。これほど綺麗な月夜はそう見られませんよ? それこそ、私とあなたがめぐり逢えたあの時以来の美しさ……」




 少女は最期の最後まで愛する想い人に語りかける。


 何もかも無駄な行為であったとしても、少女は最期の時まで普段通りの立ち振る舞いを演じ切ろうと試みた。


 それが男と交わした約束だから。


 少女も大切な約束を果たそうとする。




 誓いを頑なに守る吸血鬼として。


 何より男を愛する一人の女として……。




「あぁ……きれ……い……だ……」


「……今まで素敵な時間をありがとう。もしも再び廻り逢うことを許されたのなら……今宵浮かび上がる月の下でまたお逢いしましょう……」




 少女の胸に抱かれ、男は眠りにつく。


 決して終わりのない眠りの始まり。


 少女はただ子守唄に身を任せて、深い眠りに落ちた想い人を抱き締める。




 孤月が微笑む月明かりの下、吸血姫の少女は今も古城に独り佇む。

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