第38話 判断ミス
ナースコールで看護師と医師がやってくる。
ワルターさんは一種の記憶喪失であると診断された。
日本に親族がいるとのことで連絡もつき、俺は連絡先だけ教えて病院を出る。
すぐにスマホを取り出して、迅堂に連絡を取る。
……出ない。
舌打ちして、別の番号へ掛けながら、駅へ走り出す。
数回のコール音の後、『もしもし』と電話口から声がした。
すぐさま、スマホに問いかける。
「斎田さん、いまどこ!?」
『病院に向かっているところだけど――』
「予定変更、そのままキャンプ場へ向かってください。俺はタクシーで向かいます!」
『えっ? なんでわざわざタクシーなんて。僕の車に乗りたくない? そんなに運転荒いかなぁ』
「とにかく、キャンプ場へ向かってください。迅堂と連絡が取れないので気がかりなんです。急いで!」
『……彼女が心配かぁ。わかる。うん、わかる。じゃあ、キャンプ場に向かうよ』
通話を切って、タクシー会社に連絡して空いた車を回せるかを尋ねる。
すぐに手配してくれるとのことで、俺は大通りでタクシーが来るのを待ちながら迅堂にメールを送った。
「気付いたらすぐに連絡してくれよ……」
ストーカー彼氏かと弄られそうだが、別に構わない。
ワルターさんがチェシャ猫に襲われた時、未来人である迅堂と俺は一緒に管理小屋のリビングにいた。
つまり、第四の未来人があのキャンプ場にいる。
しかも、その未来人は自分以外に未来人がいる可能性に気付き、実質的に抹殺する方法であるチェシャ猫論にも気付いた。
未来人は多くの場合、目的を持って過去に戻って来ている。そして、それが成功しないときの原因として他の未来人の介入を疑えば――春の宮納のように排除に乗り出しかねない。
おそらく第四の未来人は倒れたワルターさんの第一発見者である大塚さんだ。
妙だとは思っていた。
バンガローに放火される時刻と丑の刻参りの女が接近する時間の食い違い。
大塚さんだけが助かり、なぜか反応がなかった小品田さん。
与原さんは言っていた。大塚さんは睡眠薬がないと眠れないと。
小品田さんは一服盛られて意識がなかった可能性がある。
普通なら、警察による捜査で司法解剖でもすれば睡眠薬の痕跡が出ると思うが、何しろあてにならない。
加えて、丑の刻参りの女の存在もある。警察の目があの女に向かえば冤罪での逮捕も狙えるだろう。
やってきたタクシーに乗り込む。
「斎田キャンプ場までお願いします」
「あぁ、あのキャンプ場か。昔、雑誌に載ってたよね」
タクシー運転手は斎田キャンプ場のことを知っていたらしく、すんなりと車を出してくれた。
スマホを確認する。迅堂からの連絡はいまだにない。時刻は午前零時を回っている。
嫌な予感がする。
「お客さん、大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」
「ちょっと嫌な予感がしていて」
「怖いなぁ。霊感とかあるの?」
「実感しかないですよ」
「その返しは初めて聞いたよ」
山に入り、暗い上り坂がタクシーのヘッドライトに照らされる。
夜道だけあってあまりスピードを出せないタクシーにもどかしくなりながらも到着を待っていると、スマホが着信を知らせた。
「もしもし?」
『巴君、いまどこ!?』
「タクシーで山に入ったところです。今、スーパーの前を通りました」
『迅堂さんはキャンプ場にいるはずだね?』
「そのはずです。……何かあったんですか?」
瞼の裏に燃えるバンガローが映し出される。
この嫌な予感を具体的な実感にする、斎田さんの言葉に予想がついた。
『バンガローが燃えている。消防署に連絡もしてある。そのあたりの道は狭いだろう。消防車の邪魔にならないようにしてくれ』
「――運転手さん、火事が発生して、この辺りを消防車が通るそうです」
運転手に伝える。
車内の冷房が効きすぎているのか、手足の先が冷たい。
『迅堂さんはこちらで探しておく。巴君も見かけたら連絡してくれ』
「分かりました」
通話を切り、窓の外を見ながら額に手を当てる。
……失敗した。
完全に判断ミスだ。
迅堂をワルターさんの付き添いに送り出すべきだった。
チェシャ猫で記憶と人格が吹き飛んだワルターさんとの会話であれば、迅堂は確実に無事だったはずだ。
確証がなかったとはいえ、賭けるべきだった。
キャンプ場に到着すると、すでに消火活動が始まっていた。
バンガローが一棟燃え上がり、夜空を焦がすように火が高く昇っている。
俺はタクシーを降りて周囲を見回し、斎田さんを見つける。小品田さんを除く大学生グループ三人もそばにいた。
俺は斎田さんに駆け寄る。
「状況は?」
「小品田さんが中にいるようだ。迅堂さんの方は分からない。さっき、大塚さんがバンガローの個室の片方から窓をくぐって出てきたんだけど、火に気付いて慌てて出てきたとのことで中の様子は分からない」
迅堂の姿がない?
「小品田さんを助けるためにバンガローの中に飛び込んだ可能性は?」
「あるね。消防隊員にも話したけど、あの状態では手が付けられない」
苦い顔の斎田さんが言う通り、バンガローは派手に燃えている。中に残されている小品田さんは助からないだろう。
だが、迅堂が中に飛び込むか?
「消防署への連絡は斎田さんがしたんですか?」
「あぁ、そうだよ」
おかしい。
火事に気付いたのなら、迅堂は真っ先に通報するはずだ。人命救助をするとしても、通報の後だろう。何度もバンガローの放火事件を見てきた迅堂が優先順位を間違えるはずがない。
通報していないのではなく、できなかったと考えるのが自然だ。
チェシャ猫で昏倒させられたなら、つじつまが合う。
だとしても、犯人が迅堂をバンガローの中に放置する理由があるか?
チェシャ猫で記憶や人格が吹き飛ぶと知らなければありえるな。
知らなければ、チェシャ猫を発生させるために自分が未来人であると明かした時点で迅堂そのものが脅威になるとみるだろう。
ワルターさんの件はここで話さない方がいいな。
俺は消防団員を見守る振りをしてその場を離れる。
時刻は午前一時前。このままだと不謹慎なセリフを『ラビット』が口にしてしまう。
スマホの音量をゼロに設定し、スピーカー部分を指で押さえこむ。
自動で起動したラビットが登録されたセリフを読み上げた。
このセリフは大塚さんに使うのだろうけど、困ったことにいまだに決定的な証拠自体がない。
加えて、大塚さんが犯人だったとしてもその動機が未来人になる前に抱いた物なら、バンガローへの放火や小品田さん殺害は食い止められないかもしれない。
……小品田さんに関しては、切り捨てるのが合理的な判断だ。
だが、非合理な選択で成功を成し遂げるまで挑戦できるのが未来人の特権だ。
「……やるなら全力で」
それが最も悔いの残らない選択だと俺は知っているのだから。
放火の現場を押さえたい。それも、迅堂抜きで。
俺はワルターさんが倒れる前、午後九時に設定して『ラビット』を操作する。
ひとまず、ワルターさんを助けよう。
『――ロールバックを行います』




