第37話 ワルター・フィッツ
迅堂がすぐにカウンター横の電話で救急車を呼び始める。冷静で迅速な対応、流石に場慣れしているだけある。
俺はカウンターから出て扉の横の消火器の上、AEDを手に取りながら大塚さんに詳細を聞く。
「いま、家狩さんは!?」
「テントで横になってる。頭を打ってるかもしれないし、動かすのはまずいだろうと思って、俺が知らせに来た。小品田の奴が寝ちまったからバンガローに届けて戻ってみたら焚火の横に倒れてて――」
「分かりました。迅堂、救急車が来たらテントへの誘導を頼む。俺は先に行って、応急処置ができるか見てみる。大塚さんも一緒に来てください!」
結構飲んでいたし、アルコール中毒か?
それとも食あたり?
あるいは――チェシャ猫か?
脳裏をあの伝言がよぎる。
『――家を狩られた時、投げるなら西だ』
まさに、いま家狩さんが狩られたのか?
何を西に投げればいい?
ちらりと迅堂を見るが、電話で救急車を呼んでいるだけだ。
あの伝言がさしているのは今じゃないのか?
管理小屋を出て、一直線に家狩さんのテントに向かって走り出す。
「大塚さん、家狩さんはどれくらい飲んでました?」
「本数は数えてない。ビール缶は三本かな。そのあと、ウイスキーをちまちま飲んでた」
人によっては倒れる量だけど、映画上映会の時にはそれ以上に飲んでいたように思う。
「他に倒れる原因に心当たりはありますか? 頭痛を訴えていたとか、脱水症状とか」
「いや、普通に話していただけだから何とも」
「自覚症状はなかったのかもしれないですね」
夜のキャンプ場を駆け抜けて、家狩さんのテントが見えてくる。
くすぶる焚火から離れたテントの中に家狩さんが寝かされている。焚火のそばに倒れていたという話だったけど、引きずった跡があることから大塚さんが移動させたのだろう。
「焚火の火の粉が掛からないように移動させたんだが」
「英断ですね。焚火を消しておいてください」
大塚さんに焚火の処理を頼みつつ、家狩さんの意識の有無を確認する。
意識はないが、呼吸はしているし乱れもしていない。脈が少し早いが、他にこれといった異常もない。
頭部に外傷はなし。酒を飲んでいたとのことだから嘔吐して喉を詰まらせないように顔を横に向けておく。
「何か食べてましたか?」
「売り場で買ったおつまみとか、持ち込んでいた缶詰とか」
「缶詰は今日開けたものですか?」
「目の前で開けてたよ」
「食中毒でもないみたいですね」
なんていうか、ただ寝ているだけに見える。倒れていたってことなら、気絶なのは間違いないし、俺の素人判断はあてにできないけど、これ以上の処置は何もできない。
大塚さんから聞き取り調査をしていると、救急車がやってきた。迅堂の案内でテント前に到着した救急隊員が家狩さんに駆け寄り、いくつかの確認をしている。
「そこの方は患者のお知り合い? それともキャンプ場の責任者ですか?」
救急隊員の一人が大塚さんに声をかけてくる。
大塚さんは一瞬迷ったようだが首を横に振った。
「一緒に飲んではいましたが、一昨日知り合ったばかりで素性もろくに知りません。そっちの子がキャンプ場のバイトの子です」
救急隊員が俺を見る。
「当キャンプ場のオーナーである斎田の親族です。ここでバイトをしています。斎田は家庭の事情で不在です」
「そうですか。付き添いに一人来ていただきたいんですが」
付き添いか。
確かに、同じ利用客である大塚さんを付き添わせるかはともかく、キャンプ場の関係者が付き添わないのはまずい。
だけど、よりにもよって今夜か。
そもそも、家狩さんが倒れた理由が不審すぎる。
でも、立場上、俺か迅堂のどちらかが付き添って、片方がキャンプ場に残らないとならない。
家狩さんは未来人疑惑が濃厚だ。迅堂を付き添わせてチェシャ猫が発動したら目も当てられないが、ここに残してもあるいは……。
仕方がない。確実に未来人との接触が必要になる付き添いを俺がするべきだろう。チェシャ猫のせいで迅堂に相談できないのがもどかしい。
俺は迅堂を振り返った。
「俺は病院に付き添うから、迅堂は斎田さんへの連絡をお願い。後は任せる」
「了解です。病院に着いたら連絡をください。斎田さんに迎えに行ってもらうので」
斎田さん、朝までに間に合うかな。
病院に走り出した救急車の中で、俺は大塚さんから聞き取った情報を救急隊員に伝える。スマホの機能で録音していたのもあって無理なく答えることができた。
「アルコール中毒かと思ったけど、どうも違うね。持病はある?」
「そういった申告はありませんでした。滞在時の受付をしたのも俺ですけど、何も言ってませんでしたね」
救急隊員もアルコール中毒ではないという見解か。
その時、家狩さんの財布から身分証を探していた救急隊員が眉をひそめて声をかけてきた。
「患者の身元が分かりました。ただ――」
俺をちらりと見た後、救急隊員は質問してくる。
「この人は家狩、と名乗ったの?」
「はい。利用者名簿にもそう書かれてます。家狩用さんです」
まず間違いなく偽名だけど。
案の定、救急隊員は身分証に書かれている本名との違いに疑問を持ったらしい。
「この人の本名、どうやらワルター・フィッツというらしいよ。帰化もしてないみたいだ」
偽名とかすりもしてないな。
山の麓の病院につくと、いくつかの検査の後で個室に案内された。
「検査の結果ですが、酔って寝ているだけですね。血中のアルコール濃度もそれほど高くはありません。酔っている以外はいたって健康そのもの。簡単には死にはしませんよ、この人」
と、医師のお墨付きが出たものの、倒れた原因が不明なため容体がいきなり悪化する可能性もあるとのこと。
ひとまず様子を見るために個室に案内されたわけだが、この人の身寄りがないのが問題だった。
緊急連絡先などはキャンプ場の利用者名簿や身分証にも記載がなく、誰かがついていないとまずいだろう。
というわけで、俺は居残りである。
医師を見送って一段落ついたので、俺はキャンプ場の迅堂に連絡する。
「――そんなわけだから、心配はいらない」
『よかったです。というか、家狩って偽名なんですか?』
「らしいな」
知ってたけどさ。
むしろ、なんで迅堂が知らないのかと思ったけど、今までの世界線ではワルターさんと迅堂は交流がない。受付すら俺が済ませていたから、名前を知る機会もなかったのだろう。
迅堂は他の世界線における偽名も知らないはずだ。知ってしまえばチェシャ猫が発動しかねない。
まぁ、それよりも重要なことがある。
「迅堂、周りに注意してくれ。絶対に誰かと二人きりにはなるな」
『まだ丑の刻参りの犯人も捕まってないですし、一人になるつもりはないですけど、二人きりってどういうことです?』
他の未来人の存在やチェシャ猫論を知らない迅堂が不思議そうに問い返してくる。
俺は質問には答えずに続けた。
「斎田さんがこっちに来たら、俺もすぐにキャンプ場に戻る。とにかく注意してくれ」
今がまさに『家を狩られた時』だとすれば、何かが起こる。
気がかりなのは、伝言が俺に向けられたものだということだ。
迅堂では俺の代わりに行動できず、事態が打開できない可能性が高い。
スマホを切り、家狩さん改めワルター・フィッツさんを見た時だった。
ワルターさんが瞼を開けた。
「……ここは?」
左右をきょろきょろと見回して病院だと気付いたのだろう、ワルターさんは眉間にしわを寄せて体を起こす。
訝しそうに俺を見るワルターさんに、俺は静かに問いかける。
この状況なら、不自然な質問ではないはずだ。
「家狩さん、というかワルターさん、俺のことは分かりますか?」
俺の質問に、ワルターさんは状況が飲み込めたのか、若干緊張した面持ちで俺をじっと見つめ、首を横に振った。
「いや、知らないね。私はなぜ、病院にいるんだい?」
「あなたはキャンプ場の利用客です。同じ利用客の一人である大塚さんが倒れているあなたを発見し、救急車にてこの病院へ運び込みました。お酒を飲んでいらしたのでアルコールの影響はありますが、体に異常はありません。私はキャンプ場のバイトで、あなたに付き添ってここにいます」
大まかな事情を説明してから、俺はダメ押しに質問をぶつける。
「今日が何月何日か、お分かりですか?」
「七月十二日だろう?」
間違いない。
ワルター・フィッツさんはチェシャ猫に狩られた。




