第36話 猫が鳴く
夜が明けた。
無駄にテンションを上げたのが致命傷になったのか、迅堂は夜明けと共にリビングのソファに丸まっている。
寝息を立てる迅堂の横で、俺は一人でガッツポーズした。
鬼門ともいえる十一日の夜が明けた。丑の刻参りの儀式は明日で終了する。
今夜にでも消防団に丑の刻参りの女を捕まえてもらえればいい。逆上して襲い掛かってくる可能性があって怖いけど、どのみち明後日には陸奥さんが逆恨みで襲撃されてしまう。
こちらから仕掛けた方が優位に立てるだろうと思う。人数的にも、心構えの上でも。
後は情報が全く存在していないもう一人の犯人だ。笹篠を殺害した何者かはどういう理由で動いたのか。丑の刻参りの女並みの半ば無差別殺人だと手に負えないんだけど。
迅堂が起きるまでに朝食の支度を済ませ、風呂を沸かしておく。台風の中を頻繁に見回って雨に打たれたせいで、少し体が埃っぽかった。
諸々の作業をしているうちに時間が経ち、午前八時を回る。売り場を開けると、ご近所のご夫婦が犬の散歩中だった。
「あ、ちょうど開いたのかしら? 買い物しても良い?」
「大丈夫ですよ」
「助かるわ。ここ、犬を入れても大丈夫だから重宝するのよね」
そういう需要もあるのか。まぁ、朝の忙しい時に犬の散歩と並行して買い物ができるのは楽だよね。
お客さんの相手をして送り出し、キャンプ場の方を見る。
異常はない。ここからだとバンガローなどは見えないが、煙が上がっている様子もない。
本当に乗り切ったんだな。五日から始まったこのバイトも随分と長くやっている気分だが、残すところ後三日。
……って、結構長いわ。気合を入れなおそう。
「迅堂、そろそろ朝ごはんにしよう」
リビングに戻って声をかけると、半覚醒状態の迅堂はスマホを探すように手をふらふらさせた後、クッションの間に挟まっていたスマホを見つけ出して引っ張り出し、時間を確認した。
「私どれくらい寝てました?」
「大体、三時間ってところかな。もう少し寝ていてもいいけど、朝ごはん食べて、風呂に入ってこい。流石に埃っぽいだろ」
「寝ぼけていておぼれそうなので、先輩に背中を流してほしいです」
「なら、朝ごはんを食べているうちに目を覚ませ。油揚げの味噌汁と焼き鮭と浅漬けだけど」
そんなに手の込んでいない料理で済まないけど、俺も眠い。
迅堂と食卓に着き、箸を持つ。
「交代で寝ますか?」
「そうだな。午前中は迅堂が寝ていればいいよ。何かあったら起こすから」
「了解です」
朝食を食べ終えると、迅堂はすぐに風呂に入って部屋に引っ込んだ。
午前中、俺は眠気と戦いながら管理小屋のカウンターに座り、まばらに来る客の相手をする。
朝刊やネットのニュースを見る限り昨夜も事件は起きなかったようだ。
笹篠の話ではレンタルビデオ屋の店長も標的になる場合があるらしいが、何らかの事情で深夜まで店を開けていない限り丑の刻参りの女とは出くわさない。そう簡単には巻き込まれないはずだ。
一安心しつつ、迅堂が起き出してくるまで状況把握と整理に努める。
新しい情報は何もないことから考えることもそう多くはなかった。
「先輩、おはこんにちはです」
「起きたか」
午後一時前、迅堂がカウンターに俺を呼びに来た。
「素麺をゆでたので、寝る前にいかがですか?」
「助かる。寝不足もあってあんまり食欲がな」
「同じですね」
苦笑した迅堂と共にリビングへと戻り、素麺を食べながら業務報告をする。
「――と、連絡事項はこんなものだな」
「本当に平和な夜だったんですね。となると、今夜を乗り切れば事件解決ですね」
明るい顔で気合いを入れ直している迅堂には悪いが、丑の刻参りの女とは別の犯人が気になって仕方がない。
目的すらさっぱりだからな。
とにかく今はひと眠りして夜に備えようと、俺は食器を片付けて部屋に入った。
※
疲れがたまっていたらしくすんなりと夢の世界に入った俺が目を覚ましたのは、もう日も暮れかけた午後六時半だった。
熟睡したおかげで疲れも取れて、思考も明瞭だ。
ベッドから起き出して両手の指の軽いストレッチをして体を覚醒させる。
スマホをポケットに入れてリビングに出ると、換気用に開けられていた西側の窓から何やら盛り上がっている女性の声がした。
小さな窓なので覗き込むよりは外に出た方が外の様子が把握できるだろうと、寝癖を直して売り場の方に出る。
「おやおや、寝起きかい?」
ビール缶を片手で持ち上げて、俺に声をかけてきたのは小品田さんだった。売り場に置かれたテーブルについて、大塚さんと家狩さんの三人で飲みながらマニアックなボードゲームらしきものを遊んでいる。
男三人だけだから、外から聞こえてくる女性の声は同じ大学生グループの与原さんと難羽さんかな。
カウンターに迅堂がいないってことは、外か。
「君も混ざるかい? ルールは簡単だけど」
「いえ、迅堂から業務の引き継ぎを受けてきます」
これでもバイトなので。
文字通り命がけで日々を過ごしているから忘れそうになるけど、真面目にお仕事しないといけない立場である。
「皆さんも明日ご帰宅ですよね。飲み過ぎて車を運転できないなんてことにならないよう、気を付けてくださいね」
「分かってるよ。だから今から飲んでいるのさ」
その理屈は分からん。
外に出てみると、貸し出し用の道具類でバドミントンをしている迅堂たちがいた。
迅堂は一人で与原さんと難羽さんを相手に圧倒的な強さを見せつけている。テニスでもそうだけど、何度も時間を繰り返しているせいで経験値が半端じゃないな。
肩で息をしている大学生二人が膝に手をつく。
「これが現役女子高生の実力だというのか……」
「いや、マジ、強……」
春頃、テニスコートにいた俺も同じことを思ったなぁ。
ちょっと懐かしく思いつつ、俺は三人に声をかける。
「そろそろ暗くなってきたので、片付けてくださいね」
「はーい。先輩、先輩、今夜はホラー特番を地上波でやるそうですよ。見ましょう!」
元気な返事をして、迅堂が駆け寄ってくる。いまだに余力を残している迅堂を見て、大学生二人が唖然としていた。
管理小屋に戻った俺たちを見て、小品田さんたちが立ち上がる。
「そろそろテントに戻ろうかな」
家狩さんが首を回して肩の筋肉をほぐしながら呟く。
台風が過ぎたこともあり、家狩さんはテントを立て直したようだ。
売り場の壁掛け時計を見た大塚さんが家狩さんに声をかける。
「ゲームも中途半端だし、もう少し飲みましょうよ」
「いいね。バンガローかい?」
「そちらのテントで。学生にはテントって高いし、場所も取るので手が出なくて、憧れてるんですよね。色々聞かせてくださいよ」
「ピンキリだからね。安いものだと数千円で買えるけど、狭いしすぐに壊れる」
話しながら出ていく三人と外で待っていた女性二人が各々のテントやバンガローに帰っていくのを見送って、俺はカウンターに座った。
ノートパソコンを開いて斎田さんからメールが入っていないかをチェックして、業務報告を迅堂と話し合って書き上げて、送信する。
「これで終わりっと」
「実に平和な一日でした。今夜も平和でありますように」
「それはできない相談だな」
丑の刻参りの女を捕まえるためにいろいろと画策しないといけないし。
大石さんからもらった消防団のパンフレットを横目に、俺は夕食の準備をするべくリビングへと戻った。
丑の刻参りの女が動き出すタイミングなどを考えると、二時過ぎに消防団へ不審火の通報がてら丑の刻参りをしている何者かがいるという話を伝えればいいだろう。
夕食を食べて、迅堂が見たがっていたホラー特番を見るためソファに並んで座る。
時計は午後十時過ぎを指していた。
なんだか、タイムリープをするようになって時刻を確認する癖がつき始めた気がする。これって未来人あるあるなのか?
などと思っていると、管理小屋の呼び鈴が鳴らされた。
こんな時間に誰だろうと思いつつ、ソファを立って足早にカウンターへ向かう。
「なんでしょうね?」
後ろからついてくる迅堂が不安半分、警戒半分の面持ちで呟く。
俺も警戒しつつ、廊下を抜けてカウンターへ出るための扉を開けた。
カウンターに置いてある呼び鈴を鳴らしていたのは焦った表情の大塚さんだった。
「大塚さん、どうかしたんですか?」
「――家狩さんが倒れた!」




