第5話 会話の爆弾
海空姉さんに夜通しゲームに付き合わされ、フラフラになりながら俺は登校した。
ひそひそと内緒話をするクラスメイトの視線の大半が俺とその隣の笹篠明華に集まっている。
今日も今日とて金髪美人な腐れ縁こと未来人、笹篠明華は泰然と背筋を伸ばし、スマホでゲームをしている。
すれ違う人の九割が振り返り、残り一割が隠し撮りをしようとするような金髪美人だけあって、クラスメイトの視線なんていちいち気にしていないのだろう。
小心者な俺とは違うのだ。
なので、俺は笹篠に声をかける。
「笹篠、まずは昨日のことを謝りたい」
「謝る? 私、白杉に何かされたっけ?」
「告白の件、断るにしてもあの態度はダメだなって反省したんだ。ごめん」
「あぁ、そういうこと。白杉はそういう仁義を通すよね。好きだよ、そういうところも」
スマホの電源を落とした笹篠が俺に向かって微笑むと、クラスメイトがわずかにざわめいた。
聞き耳を立てられているから、聞かれないように声を小さくしてるんだけど、表情は読み取られるよなぁ。
「笹篠、この教室の空気、入れ替える手立てとかないかな?」
「私がフラれたって泣けばいいわよね?」
「やめて。俺のメンタルを殺しに来ないで」
笹篠にそんな理由で泣かれたら、学年の大半を敵に回しかねない。
「冗談よ」
くすくす笑う笹篠はふいに教室を見回した。
ただそれだけの動作で、教室中の視線が背けられる。
教室をぐるりと見まわして最後に俺を見た笹篠は、唯一目を合わせた俺に対するご褒美とばかりに微笑んだ。
「はい、これでしばらく大丈夫」
「陽キャやべぇ」
「これはカリスマよ」
そんな台詞をサラッと言ってしまえるのが笹篠の美人たるゆえんである。
「でも、一時間目が終わって休み時間に入ったら元の木阿弥よ。この空気を換えるとすれば根本治療が必要ね」
「どんな?」
「一つ、私と正式に付き合う」
「ごめんなさい。少なくとも今は無理です」
それに、付き合ったら別の形の視線が向けられるんじゃないかな。殺意で研ぎ澄まされた、刺すような視線とか。
「二つ、慣れる」
「空気変わってないよね、それ」
「三つ、考える」
「丸投げじゃん。まぁ、困ってるのは俺だけみたいだし、自分で考えるべきだとは思うけどさ」
実際、俺が慣れるか、みんなが飽きるまで待つしかないんだろうな。
「ところでさ、白杉は今週末って暇よね? 勉強会しない?」
「何で暇って知って――あ、知っているよな、そりゃ」
未来人だしな。
うん? ということはもう一人やってきそうなのが……。
「――白杉巴先輩はいますか!」
元気な声に呼ばれたかと思うと、上級生の教室だというのに気後れもせずに入ってきた迅堂春の姿が目に入った。
そりゃあ、来るよね。
「先輩、週末にはバイトがありますよ。では、お昼にまた来ます!」
しゅわっち、と敬礼した迅堂は週末にバイトの予告を入れると颯爽と教室を出て行った。
途端にざわめきに包まれる教室。向けられる視線。
元気な後輩が空気をかき混ぜてカオスにしていきやがった。
笹篠が俺を横目でにらむ。
「へぇ、そうなんだぁ。へぇ、若い子がいいかぁ」
「誤解だよ……」
二股男のレッテルはこうして張られていくのか。
笹篠が机と椅子を寄せてくる。
「あの子は誰よ? バイトって喫茶店の話よね?」
「ははは……」
言えない。あいつも未来人です、なんて言えない。
言ったらシュレーディンガーのチェシャ猫で笹篠の記憶と人格が吹っ飛んでしまう。
「怪しい……。この時期の喫茶店バイトは白杉一人のはず。あれは客?」
「飛び入りのバイトだよ。バタフライエフェクトじゃないかなぁ?」
「うーん、因果関係が見えないわ。バタフライエフェクトって、日本語訳すると風が吹けば桶屋が儲かるって意味よ? 因果関係がなければ違いは起きないはずなんだけど」
「目に見えるものがすべてじゃないってことだよ」
怪しむ笹篠が真実にたどり着かないことを祈っていると、教室に担任が入ってきた。
笹篠が席を戻しながら俺を見る。
「今日、私も喫茶店に行くから」
「別に、俺は浮気しているわけでも何でもないよ?」
天秤にかけているなんてこともなく、どちらもきちんと断っている。
それより、迅堂は宣言していた。
お昼にまた来ると。
昼食は針の筵の上で食べるはめになりそうだ。
※
やってまいりました、お昼時!
えぇ、もうやけくそですよ?
「役者は揃ったわね。この舞台で大根振りを晒すがいいわ」
「ふふふっ、幼稚園時代、おままごと界のアドリブ女王と謳われたこの迅堂春がお相手しましょう!」
なーに、この状況。
俺の隣には席を寄せてきた笹篠明華。俺の正面にはお弁当を持って乗り込んできた迅堂春がいる。
そして、教室中から向けられる好奇と嫉妬の視線。
まぁね、未来人を名乗る不思議ちゃんであっても、笹篠明華は美人女子高生だし、迅堂春も元気いっぱいな子犬系後輩で可愛い。
それが俺みたいな平均ちょい上の雰囲気イケメンを囲めば誰だって好奇心に突き動かされますよ。
しかも、二人がシュレーディンガーのチェシャ猫で記憶と人格を吹っ飛ばされないよう、会話のかじ取りを俺がしないとならない。
なんで俺は教室でお昼を食べながら、二股男の修羅場を観察する目を向けられつつ、爆弾処理してるんですかね?
「私は笹篠明華。あなた、一年よね? なんで平然とこの教室にいるのよ?」
笹篠が年齢マウントで教室からの排除を狙うと、迅堂はふっと肩をすくめた。
「この学校の生徒だからですよ。先輩に会いに来るのにちょうどよくお昼ごはんという理由もあったからです」
台詞を用意してあったのか、すらすらと語っているけど多分アドリブだな。
迅堂が早々にお弁当の蓋を開いた。既成事実を作って居座るつもりだろう。笹篠も、今日のところは排除できないと判断したのか、お弁当の蓋を開ける。
俺も松瀬本家で用意してもらった弁当を開けた。
「そもそも、この迅堂春、ある意味、年齢では先輩よりも上――」
「迅堂は自分で弁当を作ってるのか?」
未来人的言い回しをサラッとするんじゃねぇ!
記憶と人格が吹っ飛ぶだろうが!
台詞を遮られた迅堂は首を傾げつつ、自分の弁当を見る。
「詰めたのは自分ですけど、作ったのは母ですよ。あ、せんぱーい、手作りお弁当が食べたいなら素直に言えば良いのに。作ってきますよ?」
何を勘違いしているのか知らないけど、他人の気も知らないで……。
笹篠が自分の弁当を俺に寄せてきた。
「私が自分で朝に作ったお弁当よ。食べなさいよ。自分用に作ったけど、手を抜いたりしてないわ」
「笹篠先輩、今日の白杉先輩のお弁当を見て、それを言い出せるのってすごいですね」
今日のお弁当は松瀬本家のお手伝いさんが作ってくれたものなので、見た目、栄養バランス、味に至るまで完璧である。
紅白なます、大学芋、菜の花のお浸し、さわらの塩焼き。バランスがいいうえに大学芋のおかげで腹にもたまる和の良メニュー。
笹篠がちらりと俺の弁当を見る。
「まぁ、私も気後れするけど、白杉も男の子だからね。味が濃い目のモノも欲しいかなって。ほら、豚の照り焼きあげるよ」
「ありがとう。大学芋いる?」
「白杉先輩、躊躇なくいきましたね」
「男子高校生たるもの、肉を食べる機会を逸してはならない」
笹篠がくれた豚の照り焼きは弁当箱に詰めやすいよう、小さめに切ってあった。後からショウガパウダーを振ってあるのか、しっかりした味ながらしつこく無くて食べやすい。
「これは中々……美味い」
笹篠って料理ができたんだな。
「ぐぬぬっ、アドリブ女王の力をもってしても、いまから手料理を召喚するのは難しい……」
「俺を餌付けしようとするなよ」
貰えるものは貰ってお返しもするけど。
笹篠が勝ち誇ったように迅堂を見る。
「今日の白杉が本家から弁当を持ってくるのはリサーチ済――」
「迅堂も料理はできるのか?」
笹篠、お前も不用意に未来情報を持ってることをひけらかすなっ!
こいつら、『シュレーディンガーのチェシャ猫』の話を知らないのか? 未来人の必須教養じゃないのかよ。
それとも、俺が海空姉さんに騙されてるのか?
いや、海空姉さんは悪戯好きだけど、人命にかかわるタイプの嘘はつかないんだよな。
迅堂は俺の質問に視線をそらした。
「計量とか、面倒だから目分量でやっちゃいますけど、ほぼ失敗しないです」
本家のお手伝いさんが作った弁当を前にすると下手なことはいえないのか、元気でお調子者の迅堂も歯切れ悪く答えた。
笹篠がふっと笑う。
「料理は愛情。手間を惜しむなんて愛情が足らない証拠よね」
「なっ!? 笹篠先輩は自分用にお弁当を作ったんですよね? 自己愛の塊じゃないですか!」
「愛してもない自分を好きな人に認めてもらおうだなんておこがましいわ。だから、自己愛も大事よ」
「くっ、それっぽいこと言われた!」
さわらは旬だけあっておいしいなぁ。
「白杉先輩、今日のバイトでコーヒーを淹れてあげますよ! 一日の目覚めに毎日飲めるようなコーヒーを! 安心してください。マスターに教わったので淹れ方もばっちりですから」
「あら? 昨日からバイトを始めたのよね? それでばっちりなんておかしくない?」
「笹篠先輩とは生きている時間が違――」
「迅堂ってラテアートもできる?」
未来人暴露に繋がりそうなので話を急遽、軌道修正。
「ら、ラテアート? ふふふっ、何を隠そうこの迅堂春、美術の成績はいい方です。お題はありますか?」
「じゃあ、猫で」
「可愛いお題がきましたね。いいでしょう、くりくりお目々の猫ちゃんを披露してあげますよ」
「私もやるわ」
明らかに経験がなさそうな笹篠が自信満々に言い切った。
まさか、と思う間もなく笹篠は笑う。
「練習してきた。白杉の好みの絵柄も研究したわ。みら――」
「同じお題だとつまらないから笹篠のお題は犬な」
ナチュラルに未来人カミングアウトしようとするなよ!
この二人、本当に『シュレーディンガーのチェシャ猫』の話を知らないのかもしれない。
教えるべきか?
いや、教えたら、当然「何でそんなこと知ってるの?」という疑問が出てくる。芋づる式に海空姉さんに繋がって、それこそ『シュレーディンガーのチェシャ猫』で全員の記憶と人格が吹き飛びかねない。
えっ、詰んでる?
もしかして、俺にフォローしてもらうために海空姉さんはシュレーディンガーのチェシャ猫の話をしたんじゃ……。
俺の死因って、過労からくる不注意でのトラック事故だったのかもな。
気を揉む食事が終わり、迅堂が席を立つ。
「それじゃあ、バイト先でのラテアート勝負で目にもの見せてやりますよ。芸術だけに!」
「負けた方が『自分のほえ面』をテーマにしたラテアートを相手に奢るってことでどうかしら?」
「望むところです! それじゃあ、次の時間は体育なので早めに失礼しますね」
言葉通り、颯爽と教室を出ていく迅堂を見送り、俺は安堵のため息をつく。
乗り切ったぜ。
でも、バイトでのラテアート勝負があるんだよな……。
それよりも差し迫った問題があるとすれば――教室中からの視線だ。
「完全に二股男扱いが定着したわね。これで他の虫が寄ってこないから、ある意味、迅堂さんに感謝しておかないと」
「無実なのに……」




