第18話 変わる名前
迅堂と懐中電灯などの備品を持って吹奏楽部が泊まっている旅館を後にする。
俺は迅堂、陸奥さんと仲良く手を繋いでゴールなんて茶番の代わりに手に入れた平穏な夜明けにほっと溜息をつく。
同時に息を吐きだした迅堂と声が重なり、顔を見合わせて笑った。
「第二関門突破です。情報は一切得られませんでしたけど」
「まぁ、そう言うなって。生きて夜明けを迎えられたんだからさ」
「これからも大変なんですけどねー。でもとにかく、いまは眠いです」
「帰ったら交代で仮眠を取るか。斎田さんもいるから片方が起きていれば十分だろうし」
迅堂の言う通り、情報は得られなかったがおそらくは正解と言える世界線に乗ったと思う。
迅堂が未来の俺から伝えられた言葉『家を狩られた時、投げるなら西だ』の意図は分からないが、昨夜の状況を改善するものではなかったように思う。
つまり、この言葉を使える状況が未来で訪れる。そこまで、迅堂を生存させることが一つの目標だ。
「迅堂、例の伝言を俺から受け取る直前の世界線では何月何日まで過ごしたんだ?」
「教えたいのは山々なんですけど、未来の先輩からは絶対に教えるなって言われてるんですよ」
「バタフライエフェクト、とか? でも、死ぬ直前に気にしても仕方がないよな」
自分が死ぬ、または迅堂が死ぬ未来を回避するのなら、むしろバタフライエフェクトを起こさなくてはいけないはずだ。
「不思議ですよねー」
迅堂も首をかしげる。
バタフライエフェクトを起こしたくないのなら、迅堂に伝言を託した俺は未来を変えたくなかったことになるんだよな。まぁ、迅堂が伝言を持って過去に飛んだ時点でバタフライエフェクトは起きていると思うけど。
というか、伝言の相手が俺だけとは限らない。
迅堂本人に何らかの役割を任せている可能性もある。
うーん、情報が足らない。
悩みながらもゆっくり坂を下っていく。
早起きのキツツキが木を叩く音が山の中から聞こえてきた。
「先輩、杖突って妖怪を知ってますか?」
キツツキの音で思い出したのか、迅堂が話題を振ってくる。
レンタル屋の店主が話していた妖怪だ。
「さぁ、しらないな。名前の響き的に、キツツキに関係してそうだけど」
この世界線ではレンタル屋に行っていないので、知らないふりをする。
すると、迅堂は得意そうに人差し指を振って講釈を垂れた。
「杖突は高知県の妖怪で、天狗の一種です。この音を聞くと死んでしまうとの言い伝えがある怖い妖怪なんですよ」
「縁起でもないな」
「私たちはこうして生き残ってますけどね」
明日死ぬかもしれないけどな。
白み始めた空を見上げる。台風が発生したとはいえまだ海の上だから、ここまで影響は届いていない。
「先輩、第一関門のカラスの時とは違って、第二関門は全く情報がないです。昨夜限定で起きる事件なのかすら分からないくらいです。経験上、今日を越えれば数日間は大丈夫ですけど、警戒は怠らないようにしてください」
真剣な顔で忠告する迅堂に頷き返す。
俺も自分や迅堂の命がかかっている以上、油断するつもりはない。
※
意気込んではみたものの、何事もなく八月の十日を迎えた。
肝試しの夜から三日ほど、キャンプ場には閑古鳥の代わりに陸奥さんたちの演奏が響いていたが、それも昨日までのこと。
今日からは旅館の宴会場を使って本格的な全体練習が始まるとのことで、陸奥さんたちはキャンプ場に来なくなった。
「売り場のお得意様だったんですけどね」
ただで使わせてもらうのは気が引けるからという理由でアイスやらジュースやらお菓子類やらを買っていく陸奥さんたち吹奏楽部の面々とはもう顔見知りである。互いの名前も知っている。
斎田さんがノートパソコンで表を作成しつつ、笑う。
「寂しいのかい?」
「失って気付くものがありますよね」
「先輩、私はここにいますよ。失ってないですよ!」
「はいはい、迅堂は静かにしてようね」
「扱いが軽い!」
抗議の声を上げる迅堂に苦笑して、斎田さんが話題を変える。この人も迅堂の扱いを覚えてきたな。
「今夜はキャンプ場に泊まれるけど、明日は無理だから足りないものがあるなら今日のうちに言ってほしい。車を出そう」
「このキャンプ場バイトも五日目ですもんね」
着替えなどは洗濯機があるから問題ない。迅堂は下着類を干す場所に困ってバンガローを借りていたけど、着替えそのものは足りている。
充電器や各所に置いてある懐中電灯の予備電池なども今朝に確認してるから大丈夫。
あれこれと思い浮かべてから、俺は問題なさそうだと迅堂を見る。
「何かある?」
「そうですねー。私も特にないですけど、しいて言うなら先輩とデートがしたいですね」
「なにもないそうです」
「デート、デート!」
「そうかい? なら二人とも何か思いついたら、明日の朝までに言ってくれれば買ってくるから遠慮なくね」
「せんぱーい!」
腕を引っ張ってくる迅堂の頭に手を置いてなだめる。
「ちょっと大人しくしてなさい。夜に構ってあげるから」
斎田さんが管理小屋に泊まるから、俺や迅堂はバンガロー泊まりだし。
迅堂は俺を見上げてキョトンとした顔をした後、若干顔を赤らめながらスマホを取り出した。
「いまの台詞、録音したいのでもう一度」
「は? なんで――いや、そういう意味じゃない!」
自分の不用意な発言が招く誤解に気付いて、慌てて否定した直後、管理小屋にぞろぞろと若い男女四名が入ってきた。
以前の世界線で見たことがある。大学生グループだ。
これ幸いと、俺は「いらっしゃいませ」とあいさつする。
「ご予約の小品田様でしょうか?」
斎田さんが応対している間に、俺は利用者名簿を準備する。阿吽の呼吸でバンガローの鍵を取り出した迅堂が俺にさっと渡してきた。
受け取った俺は斎田さんに名簿と鍵を渡して、火の始末の仕方などが書かれた地元消防団お手製のパンフレットを準備する。
その間に、迅堂が大学生グループの女性二人に声をかけ、いくつかの注意事項を説明していた。
斎田さんが立ち上がる。
「お客さんをバンガローに案内するから、ここをお願いね」
「わかりました」
小品田さんたちを連れて、斎田さんが管理小屋を出ていく。バンガローに案内するだけならそんなに時間はかからないだろう。
なんとなくほっとする。前回、迅堂と迎えられなかったこの時間がちゃんとやってきたのだという実感が今さら沸いた。
そういえば、この後は予約なしの突発客が来るんだったな。
ちらりと迅堂の様子を伺うと、さりげなくキャンプ場内の地図を出していた。突発客にスペースを選んでもらうためだろう。
俺も利用者名簿をしまう手を止めた時、管理小屋の扉が開く。
「Oh 若夫婦!」
俺と迅堂を見るなり、大仰に驚いた来訪者は彫の深い俳優のような西洋人、国兎さんだ。
迅堂が胸を張る。
「分かる人には分かっちゃうんですね。私と先輩の未来が!」
いや、お前が未来人だろ。
心の中でツッコミを入れつつも、接客モードに思考を切り替えて利用者名簿を開く。
「こちらにお名前をお願いします」
「はいはーい。名前、名前っと」
ボールペンでさらさらと名前を書き、利用者名簿を俺に差し出したタイミングを見計らって迅堂がキャンプ場の説明を始める。
俺は利用者名簿をカウンター裏に仕舞いこもうとして、視界に入った文字に硬直した。
利用者名簿の最後の記載、本来国兎と書かれているはずのその場所に全く別の名前が書かれていた。
――波理否。
ハリーナ、当て字か?
以前の世界線では国兎信と名乗っていたのに、なんで?
明らかに偽名だ。だが、なぜここで偽名を使う必要がある?
それ以前に、なぜ偽名が世界線ごとに違うんだ?
迅堂と笑顔で話すその西洋人を見る。
まさか、この人――未来人か?
俺の視線に気付いたのか、国兎信改め波理否は慣れた様子でウインクを飛ばしてきた。




