第23話 チェシャ猫、誰だ
水曜日の教室。
笹篠が立ち上がりかけるのを俺は止めた。
「ちょっと電話をかけてくる。そこで待ってて」
「うん? どこに電話を掛けるの?」
「海空姉さんとか、いろいろ。迅堂がこっちに来たら二人で待ってて」
「ケンカする前に戻ってきなさいよ」
「高校生なんだから、ケンカしないでよ」
苦笑しつつ、俺は教室を出る。
放課後だけあって、すでに生徒が教室を出て部活や塾、自宅へと散っていく。
深呼吸をして、心を落ち着ける。
トイレ横のデッドスペースに立ち、電話を掛けた。
向こうが通話に出てくる。
「……もしもし、巴君? どうかしたのかい?」
宮納さんの声だ。
推測が正しければ、俺にトラックをけし掛けた張本人のはずだが。
あぁ、今さら思い出した。
「アルバイトの二日目に、宮納さん話してましたよね。『――えぇ、次の日曜日になるので、はい、その時にお願いします……』って。トラックを手配しているとは思いませんでしたよ」
「……何の話かな?」
「宮納さん――俺と同じ未来人でしょう?」
カツン、とスマホが床に落ちる音がした。
どさり、と宮納さんが倒れこむ音がした。
シュレーディンガーのチェシャ猫が発動したらしい。
「宮納さん?」
念のため声をかけておく。反応はない。
俺はすぐに通話を切り、海空姉さんへ電話を掛けた。
「海空姉さん、宮納さんが倒れた。すぐに喫茶店に車を回して、病院に連れて行って」
「い、いきなりだね。わかった。車を回そう」
「俺もすぐに喫茶店に行く。それから、宮納さんのスマホを回収してほしい。海空姉さんとは喫茶店で合流したいから、車は二台回して、一台で宮納さんを搬送してほしい」
「……なるほど。手配しておこう」
スマホの回収に言及したことである程度の事情を察したらしい海空姉さんは、質問も挟まずに承諾してくれた。
俺はスマホをポケットに納め、急いで教室へ戻る。
笹篠と、ちょうど俺を迎えに来たらしい迅堂を見つけて声をかける。
「二人とも、宮納さんが倒れた。今日のテニスの練習は中止で、喫茶店のバイトもなし。俺はこれから喫茶店に様子を見に行ってくる」
「えっ、宮納さんが!?」
迅堂が心配そうな顔をする。
「悪いけど、詳しい話はあと。何かわかったら、電話するよ」
机の横に掛けた鞄を持って、俺は笹篠と視線を交わす。
「また明日」
「うん、また明日」
何かを察したような空気があった。
笹篠が笑う。
俺も笑みを返して、教室を出た。
「――なんですか、今の! なんか通じ合ってる感がありましたよ!?」
迅堂が騒ぎ立てるが、笹篠は余裕を持って立ち上がった。
「いろいろあったのよ」
「詳しい説明を求めます! そうだ、カラオケ行きましょうよ、先輩!」
「いやよ。白杉がいないんじゃ仕方がないから、私は帰るわ」
あれは、未来から戻ってきてるな。
でも、俺を止めないということは成功するんだろう。
あれ?
笹篠はなぜ、帰ってきたんだ?
……今は目の前のことに集中しよう。
学校の敷地を出て、大通りでタクシーを拾い、喫茶店に向かう。
喫茶店の前にはすでに乗用車が二台、停車していた。
俺は運転手にここまでの料金を支払い、すぐに喫茶店の中に入る。
学校を出てから十数分。
笹篠にシュレーディンガーのチェシャ猫が発動した時は目覚めるまで一時間はかかったけど。
喫茶店の中には海空姉さんと本家のお手伝いさんが数人揃っていた。宮納さんの脈などを図っている。
「救急車を手配して。原因が分からないからね。ここの保守に一人残すよ。それから――」
矢継ぎ早に指示を飛ばしていた海空姉さんが俺を見つけて小さく頷く。
「巴の他にも人手が欲しいな」
小さく呟いて、海空姉さんはお手伝いさんの二人に声をかけると喫茶店と宮納さんを残りのメンバーに任せて俺に向き直る。
「旅館かい?」
「旅館だよ。この喫茶店の仕入れ票と在庫管理表なんかもコピーしておいてください。海空姉さん以外の誰が来ても渡さないように」
「巴の言う通りにしなさい。巴、他にないなら出るよ。もう本家で騒ぎになってる」
「分かった」
海空姉さんに連れられて、本家の車に乗り込む。
お手伝いさんが運転席と助手席にそれぞれ座ると、滑らかに走り出した。
「巴、宮納のスマホだ」
「ありがとう。後で処理する」
海空姉さんから宮納さんのスマホを受け取り、カバンにしまう。
パスワードが掛かっていたら面倒だけど、その時はその時だ。悪いが、中の『ラビット』を宮納さんに渡したら元の木阿弥だから、消さない限りはこのスマホを返せない。
「旅館に着いたら、関係者を全員支配人室に集めてから、資料を探したい。特に、食品の在庫と在庫管理表を照らし合わせる」
方針の説明をすると、海空姉さんは納得したように頷いた。
「巴は頼りになるね」
隣町の旅館に到着して、俺たちは車を降りる。
海空姉さんを先頭に、俺は脇に控え、その後ろをお手伝いさん二人が続いた。
「松瀬海空だ。従業員を全て、速やかに支配人室に集めなさい」
海空姉さんは受付の仲居に告げて、お手伝いさん二人を同行させる。
従業員を集めるのはあの二人に任せて、俺は海空姉さんと支配人室に直行して鍵を持ち出すと、裏口にある食材庫へ向かった。
念のため、周囲を警戒しながら食材庫の扉を開ける。
「ふむ、在庫管理表の記載とだいぶ異なっているね」
海空姉さんは倉庫を見回して、スマホで在庫管理表と倉庫内の状況を撮影した。
そのまま、スマホでどこかに電話を始める。
「あぁ、竹池かい? 今すぐ本家に来なさい。話がある」
返事も聞かずに通話を切ると、次々に分家に連絡を始めた。
内容はすべて同じ、
「緊急で親族会議を開くことになった。すぐに集まるように」
ちょうどいいので、俺も宮納さんのスマホを取り出す。
今時、ロックもかけないのは不用心だよ、宮納さん。
トラック事故に見せかけて俺を殺そうとした疑いもあるので一切同情はしないけどね。
スマホのアプリ一覧を表示すると案の定、会話BOTアプリ『ラビット』のアイコンがあった。
「悪いね……」
アプリをスマホ内から完全に消去する。
これで良し。もう、宮納さんはこの世界線で戻ってこれないはずだ。
「支配人室に行くよ。巴、ついておいで」
颯爽と歩きだす海空姉さんについていく。
多分、この旅館も終わりだ。
支配人室にはすでに従業員が集められていた。皆一様に不安そうな顔をしている中で、お手伝いさん二人は平然と入り口を固めている。
「経営資料を出しなさい。本日の親族会議にて精査するから、すべて持っていかせてもらう」
「ちょっとお待ちください!」
「竹池は本家で預かっている」
「いえ、しかしですね」
なおも抗弁しようとする支配人を無視して、俺は海空姉さんに声をかける。
「そういえば、宮納さんが目覚めたって連絡がないね。病院には着いているはずだけど」
「まだ診断結果が出ていないのだろうね」
支配人が青い顔をしている。分かりやすいなぁ。
俺は硬直している支配人を壁際に押しやって、資料棚から参考になりそうな資料を根こそぎ抜き出していく。
「あっ、あ、あの――」
支配人がうろたえているが、知ったことではない。
「この宿泊名簿にある定期的に宿泊している団体は企業名だね。聞いたことがないけれど」
海空姉さんが指摘する宿泊名簿の団体は碁蔵って人の団体だろう。
今になっても謎の多い人物だけど。
俺は食品の購入先が書かれた資料を海空姉さんに見せる。
海空姉さんは宿泊名簿と照らし合わせて、笑みを浮かべた。
「へぇ、食品会社なのか……。竹池の奴、脇が甘いな。仲居を一人連れて行こう。証言が欲しいからね。まぁ、ここまで証拠が揃っていれば、証言の有無にかかわらず結果は見えているけれど」
海空姉さんはお手伝いさんに軽く合図をする。
首肯したお手伝いさんが支配人たちをぐるりと見まわした後、従業員名簿を片手にシフトを確認し始めた。
「巴、本家に戻るよ。今日のうちに片付けてしまおう」
「そうして欲しいね。金曜日には球技大会だし」
「ふふっ、応援しているよ」
※
本家で開かれた緊急の親族会議は緊迫した空気で始まった。
何しろ、つい数日前の日曜日に議題に上がった旅館の資料がずらりと並べられているのだ。竹池のおじさんの険しい顔は鬼のようだった。
「お嬢様、ご説明を求めたい」
「まぁ、そう怒るなよ。こちらとしても緊急だったのでね。調べたことも踏まえていくつか話していこう」
海空姉さんはそう言って説明を始めた。
「まず、旅館だけども、とある食品会社に偽装したやくざのフロント企業と結託し、架空発注を行っていた節がある。これは今も病院にいる宮納の喫茶店でも確認された」
「やくざ?」
竹池のおじさんが眉を寄せる。演技でなければ、初耳だったのだろう。
海空姉さんが鋭い目を向ける。
「発言を許可していない」
「申し訳ありません」
竹池のおじさんが頭を下げる。
海空姉さんは追及せず、話を戻した。
「後ほど、松瀬や各家が経営するすべての店舗を調べ、全体像を暴き出すことになる。だから皆を呼んだ。資料を見てくれ」
資料には、緊急で調べた碁蔵を代表とする食品会社に関して書かれている。
所在地に事務所もないペーパー企業であることや、旅館、喫茶店へ納入したことになっている食品が食材庫に存在していないことなど、架空発注の痕跡が写真や納品書のコピーで証明されていた。
竹池のおじさんが青い顔をしている。
白杉家当主である父さんが発言を求めた。
「この架空発注、目的はやくざの資金洗浄かなにかですか?」
「旅館の仲居から証言を得たよ。やくざは宿泊費として旅館に金銭を譲渡、それを架空発注時にペーパー企業に支払っていたそうだ。旅館は宿泊名簿を埋めて経営実績を作れるし、いくらかの手間賃をもらっていたようだね。実際は他にも迂回経路を作ったうえで金を流していたんだろう」
やくざが絡んでいたから、俺が知らないトラック運転手やら通り魔やらが命を狙ってきたらしい。
依頼人はおそらく宮納さんだけど、未来人としての記憶や人格が飛んだ今、どこまで覚えているのか分からない。
竹池のおじさんが資料を熟読して、盛大なため息をついた。
挙手で発言を求めた竹池のおじさんに、海空姉さんが許可を出す。
「なんだい?」
「我が家の不始末だ。申し訳ない。碁蔵については宮納から紹介された。連絡先も控えてある。全面的に本家の意向に従い、協力させていただく。旅館に関しても同様だ」
「助かるよ。竹池家については最大限にフォローしよう。皆もそれでいいね?」
海空姉さんが親族を見回すと、一斉に頷きが返ってきた。
宮納さんの喫茶店に竹池のおじさんの旅館、二つにやくざの手が入っていた以上は現状で自分の事業にも手が入っている可能性は否めない。
精査する前から竹池家を切り捨てると自分への支援を渋られかねないから、このタイミングでは協力を表明するしかない。海空姉さんはそこまで読んでこの場で決めたのだろう。
「直ちに、各々の事業を精査し、不審点があれば報告をしなさい。それが済み次第、警察と掛け合うよ。巴が日曜日にトラックに轢かれかけてね。それとの関係も調査する必要がある」
俺に視線が集まった。無事だとアピールするため、小さく頭を下げる。
竹池のおじさんが腕を組み、俺を見る。
「白杉の倅がこれを掴んだのか?」
「まぁ、そんなところです」
「お嬢様の右腕だけはあるな。テニスクラブにはこんなことなかったよな?」
「そこまでは調査していないです」
「そうか。ともかく、ありがとう」
お礼を言われるとは思わなかったので面食らう。
今回の件で、旅館は確実に休業することになるはずだ。事が事だけに放置はできないとはいえ、感謝されるとは。
俺の反応に竹池のおじさんは渋い顔をする。
「なんだぁ、その顔は。一族全部を巻き込んだ大ごとを警察の介入前に見つけ出して対処する時間を作ったんだ。いわば尻拭いをさせてしまった。礼を言うのが当然だ」
「……どういたしまして。テニスクラブの方はもうちょっと利用させてもらいます」
「おう、サービスするように言っておこう」
歯を剥き出しにして笑う竹池のおじさんを見て思う。
実は黒幕だった宮納さんといい、人っていうのは分からないものだ。




