第19話 シンパシー
病院の空き部屋を提供してもらって警察からの事情聴取を受けて、俺は部屋を出た。
「――君が白杉君かな?」
男性の声に顔を上げる。身長百七十センチの俺でも見上げる形になることに驚いた。
金髪の外国人男性だ。スーツを着ていて表情はやや険しい。
警察官が俺の前に進み出た。
「笹篠さん、彼は被害者ですので」
笹篠……。
「こちら、笹篠明華さんのお父さんです」
警察官が紹介してくれる。
俺は頭を下げた。
「すみませんでした」
笹篠の父は少し怯んだような顔をした後、頬を掻いた。
「君を責めようとは思ってない。頭を上げてくれ。娘に怒られてしまう」
「あの、明華さんは……?」
手術室に担ぎ込まれるところまでは見送ったが、俺はそのあとずっと事情聴取を受けていた。手術の結果は聞いていない。
笹篠の父は口を閉ざして、首を横に振った。
「駄目だった。刃物が斜め下から突き上げるように肋骨の下に潜り込んだようだ。肺と大動脈、胃の上部を斬られていてね。病院に運び込まれた時点で重度の出血性ショックで間に合わなかったそうだ」
歯を食いしばる。
笹篠を抱き上げた時に大量の血が付いた服は警察の厚意で着替えさせてもらってあるが、血臭は消えていない。そんなものが笹篠との最後の繋がりになった気がして、怒りが沸いた。
「そこのベンチで話そう」
病院の外に置かれたベンチを指さされ、俺は一つ頷いて笹篠父の後に続いた。
警察官が心配そうについてきてくれる。
並んでベンチに座ると、笹篠父は言葉を選ぶようにしばし無言で空を見上げた。
「娘が、今日、嬉しそうに家を出てね。父としては複雑な気持ちもあったんだが君のことは聞いていたから、顔を合わせたら髪がくしゃくしゃになるまで撫で繰りまわして留飲を下げてやろうとか、まぁ、そんなことを思っていたよ」
「俺のこと、ですか?」
「あぁ」
笹篠父は頷いて、空を見上げたまま苦笑する。
「球技大会に娘とペアを組んでテニスに出て、優勝したんだろう?」
「はい、昨日のことです」
「それ以前から、練習もしていただろう?」
「親戚のテニスクラブで」
笹篠父は何度か頷く。
「娘は君にシンパシーを感じていたようだ」
「シンパシー?」
「あの子は負けず嫌いで、チームスポーツが嫌いだ。そんな娘が君とはペアを組むという。白杉君は本気で取り組むと分かっているから、だと。これはすごい事なんだよ。娘は君を同類だと認識し、シンパシーを感じて、信頼したんだ。君はどうだい?」
笹篠父の言葉に納得する。
笹篠も同じことを言っていた。シンパシーだとか、信頼だとかは言っていないけど、俺が本質的に負けず嫌いで勝負に全力な姿勢を評価していた。
俺は――
「俺は、笹篠さんほどじゃないですけどチームスポーツは好きじゃないです。頑張って練習しても、周りがサボっているのを見てしまうともやもやする。傲慢だってわかってますけど、自分だけが頑張っているような気分になる」
だから、正直に言うとペアでのスポーツだってそんなに好きなわけでもない。
でも、笹篠は俺をペアに誘うとき、本気を出すかどうかがペアを選ぶ条件だといった。
「笹篠さんは一度も練習で手を抜きませんでした。勝つために本気になってました。二人でテニスをやっている時、確かに二人で頑張っている感覚があって、すごく楽しかったです」
「そうか」
笹篠父は空を見上げたまま呟いて、立ち上がった。
「娘は最後に良い恋をしたようだ。君が気に病むことはない。悪いのは犯人だ」
そう言い残して歩き去る笹篠父を見送る。
あの人、ずっと顔を上に向けていた。
涙をこらえていたんだろう。
娘が殺されても、現場に居合わせた他人を気遣える笹篠父を尊敬する。
両手を握りしめ、俺は地面を見下ろした。蟻が食料を探して歩きまわっている。
交通事故を回避して、油断していた。
命を狙われるのはあれっきりだと思っていた。そうでなくても、迅堂が言っていた一学期末から夏休み中の焼死が次のターニングポイントだと思っていた。
甘かった。
今の状況は、誰も経験したことがない世界線だったんだ。何が起こるか、誰も事前知識を持っていなかった。
警察官が同僚に呼ばれて病院の中へ戻っていく。
ふつふつと湧き上がる通り魔への怒りを抑え込みながら、考える。
笹篠は明らかに通り魔を知っていた。
この世界線に来てから、笹篠は未来をやり直していたのだろう。
だとすれば、通り魔は俺か笹篠を狙っている。
しかも、笹篠の言動を見る限り、道順を変更しても通り魔と出くわしているようだ。
「先回りされている……」
後を付けられていたのか?
今となっては分からない。
そもそも、なぜ俺と笹篠を狙った?
俺がトラック事故で死亡した後に通り魔が出現したとは、笹篠や迅堂、海空姉さんは言っていなかった。
トラック事故を俺と笹篠が回避したことが通り魔出現の条件になっている?
犯人には明確に、俺か笹篠を殺害する理由があったのか。
動機は何だ? 誰が利益を得る?
「……旅館」
笹篠は言っていた。俺が死んだ未来で、旅館は経営を続けていたと。
迅堂は言っていた。俺が生きた未来で、旅館の休業を親族の会合で決めたと。
不思議に思っていた。旅館の存続が俺の生死と関わっている理由が。
トラック事故のあの日、親族会議で議題に上がっただろう。
旅館への資金援助案だ。
もしも、俺がトラックに轢かれていたらどうなった?
会議の決定権を持つ海空姉さんは――俺を見舞いに来たんじゃないか?
当然、俺の父も親族会議を欠席するだろう。
あの日の親族会議で、父は資金援助に即座に反対意見を述べた。海空姉さんも反対派だった。
その二人が欠席すれば、あの資金援助案は通ったんじゃないのか?
旅館の経営権を持つ竹池のおじさんを含め、宮納さんたちも賛成派だったのだ。議決権を持つ海空姉さんが居なければ多数決になり、資金援助案が通った可能性は高い。
今日の行き先も旅館だ。そして、旅館で俺は――経営資料を手に入れる予定だった。
あの旅館には何かがある。
俺はスマホを取り出す。
どうする?
「考えるまでもないか。――全力だ」
過去に戻り、先手を打って旅館の経営資料を探し出す。
海空姉さんから、過去に戻る方法は聞いているんだから。
だが、いつに戻ればいいんだ。
今日の朝ではおそらく間に合わない。通り魔がすでに張っている可能性が高い。
訪問当日である今日よりも前に電撃的に訪問するべきだ。
昨日か?
いや、球技大会で体力が限界だ。何かあった時に取り返しがつかない。それこそ、通り魔が居たら逃げ切れる自信がない。
だとするとそのさらに前日、木曜日か。
球技大会の前であれば、通常はテニスクラブに向かうから誰も旅館への電撃訪問は予想できない。
決める。日付と覚悟を。
『――ロールバックを行います』
俺は初めて、自分の意志で過去へと飛んだ。




