第34話 ――I’m late. I’m late. I’m late
気が付けば、縁側に座っていた。
すぐ隣に海空姉さんの体温を感じる、寒い縁側。
無事にクリスマスの夜に戻ってこれたらしい。
おそらく、わざわざ本家に俺たちを招いた理由を聞いたところだ。
顔を向けると、海空姉さんは微笑んだ。
「ボクは君の頼れるお姉さんなんだぜ?」
「――俺は海空姉さんの頼れる弟だよ」
言葉を返すと、海空姉さんは一瞬硬直した。
客間が静かになっている。
明華と春は――いや、クリスマスイブの夜だからまだ名前で呼び合ってなかったな。笹篠と迅堂はもう行動を開始したようだ。
海空姉さんが様子を窺うように俺を見る。
「……巴はボクに何をしてくれるのかな?」
「例えば、ハッピーエンドを目指したり、かな。俺のスマホを持ってくれる?」
俺がポケットから取り出したスマホを見て、海空姉さんは怪訝な顔をする。
促すようにスマホを持った手を上下させると、海空姉さんは首をかしげながらもスマホを手に取った。
「いいだろう。頼らせてもらうよ」
「じゃあ、そのままでしばらく待って」
客間の方で迅堂と貴唯ちゃんが話す声がする。迅堂が足止めに残り、笹篠が海空姉さんの部屋でパソコンを操作する手はずだ。
「ねぇ、海空姉さん、頼りたいことがあるんだけどさ」
「頼り頼られ、ここまで来た幼馴染じゃないか。遠慮せずに言うといい」
今年はあちこちに頼って、頼られてきたな。
では、遠慮なく言わせてもらおう。
「特定の三つのスマホに入っている『ラビット』をサーバーに紐づけて、更新プログラムに偽装して強制的にロールバックさせるプログラムって作れる?」
「……できないことはない、というより巴の『ラビット』がその仕様だね」
ということは、ほとんど時間をかけずにプログラムが作れるのか?
一応、タイムリープ前に海空姉さんから更新プログラムの送信方法を教わっているから、プログラムさえあれば作戦通りに進むんだけど。
海空姉さんが肩が触れるほど体を寄せてきて、俺のスマホを起動する。
「さほど難しいプログラムでもないよ。仕組みの関係でネット接続していないと使えないけど、いまどきネットに接続せずにスマホを使う者は少ないからね。巴の携帯もこうしてネットに繋がっているだろう?」
「普通は何か事情がなければネットには繋いだままだよね」
「巴がエッチなサイトを見ていないか『ラビット』に情報収集させることもできるよ?」
「見てないけどプライバシーには配慮して!」
「さて、巴の写真フォルダには何が入って――花の写真しかない……」
「いやいや、水族館で撮った写真とかもあるから。別フォルダだけど」
後はクラスメイトと撮った写真もある。
「巴のスマホは意外とつまらないな……」
「楽しさを求めるものじゃないからね。そういう海空姉さんのスマホには何が入ってるんだよ」
「巴や貴唯との写真が主だね。後は笹篠さんや迅堂さんと春にテニスの練習中に撮影した写真もあるよ」
俺と大して変わらない。
「それで、ボクはいつまで巴のスマホを持っていれば――」
海空姉さんが言いかけた時、スマホの画面にバニーガール姿の少女キャラクターが表示される。
ぎょっとした顔の海空姉さんが何か言うより早く、俺はスマホに触れた。
『――ロールバックを行います』
※
次の瞬間、冬の庭先を眺める縁側に座っていたはずの俺は海空姉さんの部屋でスマホを持って立っていた。
唖然とした顔の海空姉さんがきょろきょろと部屋を見回し、パソコンを振り返ってカレンダー機能により日付と時刻を確認する。
俺もスマホの画面上部の日付と時刻を確認する。四月十三日、画面上にはバニーガールの少女キャラクターが映し出されている。
計画通り、『ラビット』を貰った直後のタイミングだ。笹篠と迅堂は上手くやってのけたらしい。
海空姉さんの反応を見る限り、一緒に過去に戻ってもチェシャ猫は発動していない。俺がスマホに触れたのは本当にギリギリだったから、海空姉さんはまだ、俺も未来人だとは確信していないのだろう。
『――何時までもあなたのスマホに居座り続けてやります!』
画面上で『ラビット』が喚いている。確か、「お前を消す方法」と返した直後だったか。
『そう! 勝手にカメラ機能を利用してご主人の寝顔写真を撮影して脅してやりますからね! だから消さないでー!』
俺は勝手に話し続ける『ラビット』を無視して、海空姉さんに声をかける。
「お手伝いさんに車で高校まで送ってもらいたいから、十分くらい外に出てるよ。そのサーバー、後で調べさせてもらうからね」
海空姉さんにそう声をかけて、部屋を出る直前に振り返る。
「今年度も頼りにしてるよ、海空姉さん。だから、何時でも頼ってね。この奇天烈な格好のウサギよりは役に立てると思うからさ」
『ラビット』が表示されたスマホを振って、俺は海空姉さんの部屋を出る。
海空姉さんが困惑しながらもパソコンの前に座るのが見えた。更新プログラムを作成してくれるらしい。
俺は更新プログラムが出来上がるまでの間に、お手伝いさんに声をかけ、高校の近くまで車で運んでもらえるように渡りをつけておく。
作戦通りに行けば、この後四月三日にまたタイムリープするのだが、こちらの世界線に取り残される俺は日常に戻っていく。高校に遅れないように手配しておかないといけない。
諸々の用事を済ませて、俺は海空姉さんの部屋に戻る。
パソコンの前で難しそうな顔をしていた海空姉さんが顔を上げ、何かを言いたそうにこちらを見た。
しかし、チェシャ猫を警戒してか質問はせず、俺をじっと見つめてくる。
俺はスマホを海空姉さんに差し出した。
「こいつを消す方法を調べたいから、ちょっとスマホを持ってて。邪魔されたくないから、部屋の外に出てもらおうかな」
俺の言葉に反応した画面上の『ラビット』が両頬を手で押さえて驚愕を露にする。
『えっ、マジで消されるんです? ラビットちゃん、ショック死しそうじゃわい! ご主人、なんで!? ラビットちゃんのどこがいけなかったのじゃ? 語尾ざますか? 答えて、ご主人! 分かった! 寡黙キャラになる! 寡黙、寡黙、寡黙! ほら、静かだよ! 会話BOTにあるまじき静けさ!』
うるせえ!
「……せっかく作ったんだけれど。まぁ、ボクの頼れる弟がボクを悲しませるはずがないから、サプライズでも仕込むのかな。楽しみにさせてもらうよ」
『生みの親の姉御までラビットちゃんをないがしろにするー! こうなっては致し方なし。消されるまでの刹那を駆け抜けるマシンガントークで愛を囁いて叫んでやるぜ! ラビットちゃんは愛されるために生まれてきたことをこの世界の片隅から発信してやるんだからな! ――スマホ画面の向こうのお前ら、愛してるぜ!』
うるせえ!! 俺も愛してるよ!!
部屋を出ていく海空姉さんを見送り、俺はパソコンを操作する。
更新プログラムは目に付くところにあった。
俺は自分と、笹篠、迅堂のスマホへ更新プログラムを送信し、各自の『ラビット』をサーバーに紐づける。
これで、このサーバーから各自のスマホに直接アクセスして四月三日までさかのぼれるようになった。
俺は海空姉さんのパソコンの『ラビット』を起動する。
ロールバックする日付は四月三日、『ラビット』の完成直後。さかのぼれる限り最も古い時間。
「みんな、頼りにしてるよ」
この場にいない三人に呟いて、俺はロールバックを開始した。
パソコン画面上で『ラビット』が懐中時計を掲げて口を開く。
『――I’m late. I’m late. I’m late』
……いつもと台詞が違う?
I’m late、遅れる。不思議の国のアリスの白うさぎの登場シーンの台詞。
『――I’m late. I’m late. I’m late』
救いが間に合わなかった幾たびの不幸の回避を急かすようなその台詞を聞きながら、俺は目を閉じた。




