第202話 触れてはならぬモノ(5)
「――よっと、ついたぜ。ここが精神世界の奥底だ」
「ここが・・・・・・・・?」
悪意と共に周囲が真っ黒な闇に包まれた空間に降りたった影人は、思わずそう呟いていた。辺りは全てが闇に包まれていた。まるで先ほど戦っていたキベリアに連れて行かれた空間と同じだ。
「ああ。キベリアの異空間に似てるだろ? まあ、それはたまたまだから気にすんな。それより、俺が言ってたあの領域ってのはあれのことだ」
悪意がその細い指を正面へと指さした。するとそこには、鎖で雁字搦めにされた1つの赤いドアがポツンとただずんでいた。影人は何もないと思っていたが、どうやら自分が見落としていただけらしい。
(何だ? あのドア・・・・・・・・・ここにあるのはあれだけか?)
周囲を改めて見渡してみるが、ここにあるのはやはりあの赤いドアだけだ。ここは影人の精神世界の奥底だと悪意は言うが、影人にもあの赤いドアは見覚えがなかった。
「おら、さっさとあのドア開けてくれよ。お前ならあの鎖外せるはずだからさ」
「・・・・・・・・・・俺が素直にお前に従うと思うか?」
少しドスの効いた声で影人はそう言った。先ほど、悪意はあそこに自分の心を折る何かがあるかもしれないと言っていた。なら、あのドアを開ける事は自分にとって明確に不利だ。
「あ? お前に選択権なんてねえぞ。拒否すんなら、てめえの腕引きちぎってあのドア開けるぞ。さっきは許可がどうこう言ったが、別にお前の仮初の肉体のパーツなら開けれるだろうからな」
「分かりました開けます」
一瞬であった。影人は真面目な表情で何度も頷いた。別に影人は幻痛には耐えられるが、マゾヒストではないのだ。どちらにせよ、開ける事になるなら痛くない方がいい。
「くくっ、お利口さんだ。なら鎖は解いてやる。が、分かってんな? 妙な素振りを見せた瞬間――」
「分かってる、別に何も反抗しやしねえよ。反抗したとして結果は目に見えてるしな」
影人を拘束していた鎖が虚空に溶けるように消えていった。影人は自由になった仮初の体を動かすと、赤いドアへと向かっていった。
(つーか、本当に何なんだこのドア? 全く覚えがねえ。この感じだと何かを封じてるのか?)
赤いドアを至近距離から見つめ、影人はそんな事を考える。だが、いくら記憶を掘り返してもこんなドアには見覚えがなかった。
「やっぱ分からん・・・・・・」
影人はそう息を吐くとドアに絡み付いている鎖を外していった。不思議な事に、影人が鎖に触れると鎖は1人でに外れていった。
「・・・・・・・・外したぞ」
「おー、よくやった! やっぱお前にならその鎖は外せたか」
そうして全ての鎖は解かれた。後はこの取っ手に触れてドアを開ければいいだけだ。
影人は何とはなしにドアの取っ手に触れた。触れてしまった。
「っ・・・・・・・・・・!?」
元々ここは影人の精神世界。取っ手に触れるということがきっかけで、影人にはこのドアの奥に封じられている記憶が何なのか分かってしまった。
(最悪だ最悪だ最悪だッ!! バカか俺はッ!? なんで今まで気がつかなかった!? 俺が封印してる記憶なんて1つしかねえじゃねえか! ダメだ、このドアを開けるのだけは絶対にダメだ!!)
仮初の体から冷や汗が滝のように流れ出す。体が震える。それは帰城影人という少年が、全力でこのドアを開ける事を拒んでいる証拠であった。
「? 何だ? さっさと開けろよ」
影人の様子を不審に思ったのか、悪意がこちらに近づいてきた。影人は咄嗟に背を向け、悪意からドアを守るように立ち塞がった。
「あ・・・・・・・? 何のつもりだ」
「・・・・・・・・・・・・聞け、悪意。善意から言う。ここには入るな。入っても俺の心を折るもんなんてない。・・・・・・・この中にはあの記憶がある。つまりあいつの残滓が、影が残ってる。もう1度だけ言う。やめておけ、ここに入れば逆にお前の意志が折られるぞ!」
片眉を吊り上げる悪意に、影人は本気の言葉でそう叫んだ。ここは絶対に触れてはいけない記憶がある場所。
――このドアの向こうは、触れてはならぬモノが存在する影人の禁域だった。




