第176話 それはとても簡単なことで(4)
「――正直とんだ期待外れね。フェリートにもレイゼロール様にすら勝利した人物だと聞いて、興味を抱いていたのだけれど」
「・・・・・・・・・・・そうかい」
失望を露わにしたキベリアの言葉に影人は片腕を押さえながらそう答えた。
力が使えないという状況が影響し、今の影人は控えめに言ってもボロボロだった。
(左腕は完全に逝ってるな。麻痺して使い物になりゃしねえ。後は右足の火傷、その他もろもろの切り傷刺し傷・・・・・・まあ、生きてるだけ奇跡か)
自分の身体状況を把握しながらも、影人は未だに自分の意識を侵食しようとしてくる見えない悪意との綱引きを続けていた。現在は4対6で悪意が優勢といったところか。
悪意の侵食度が高まったからか、影人はより近くから悪意の意志を感じていた。「体をよこせ」「このままじゃ死ぬぞ」「お前じゃどうせ勝てない」そんな声が自分の内側から聞こえて来る。全く、うるさいったらありゃしない。
「飽きてきちゃったわ。そろそろ殺してあげる」
キベリアの周囲に控えていた炎、水、雷の騎士がそれぞれの得物を影人へと向けてくる。炎の騎士は燃え上がる剣を、水の騎士は水の滴る槍を、雷の騎士は雷鳴の轟く矢を。
(ははっ・・・・・・やべぇ)
結局、突然力が使えない事はバレていないようだが、このままではそんな事は関係なく死ぬ。
死の実感がいよいよ自分に迫って来た。
(恐いな・・・・・・・)
そして影人は素直にそんなことを思った。
(・・・・・・そりゃそうだ。人間誰しも死ぬのは恐い。ああ、いま俺は死ぬのが恐い)
そんな時、ふとシェルディアの言葉が脳内で思い出された。「自分の心と向き合いなさい」それは何故か自分の中から離れなかった言葉。だが、こんな時になってようやく影人は理解した。なぜその言葉が頭の中から離れなかったのかを。
「6の鋼。それとあなた達、行きなさい」
影人がそんな事を考えている間にも、キベリアは殺しの算段を整えていた。キベリアの周囲からおよそ100本ほどの鋼鉄の短剣が出現し、それらは全て自分へと矛先を向けていた。
そしてキベリアの命令を受けた炎の騎士と、水の騎士は影人めがけて近づいてくる。遠距離武器を持っている雷の騎士だけは、動かずに今にも雷弓を引こうとしていた。
「くくっ・・・・・・・何だ、簡単じゃねえか。俺は、ただ意地を張ってただけだ」
思わず笑ってしまった。シェルディアは最初から言っていたではないか。強がらなくていいと。ただ自分の心と向き合うだけでいいと。頭の中から離れなかったのは、それが答えだったからだ。
「? 急に何かしら」
「別にお前には関係ねえよ。――ただ、俺はバカだと思っただけだ」
突如として笑い出し、意味の分からないことをのたまった自分にキベリアは訳が分からないといった感じの表情を浮かべていた。その反応は正しい。自分だって今にも殺されそうな敵がおかしな様子になったら、そんな表情を浮かべるだろう。
(そうだ。自分の体が何かに乗っ取られた事に気がついたとき、俺は恐がってたんだ。ただ俺は若さからそれを認めずに意地を張ってた。今だって、必死に強がっちゃいるが、俺はこの悪意が恐いんだ)
客観的に考えてみれば、突如として自分の体が得体の知れない何かに乗っ取られたと分かれば、恐いに決まっているのに。今だって自分の意識を侵食しようと何かに、自分は冷静に抗ってみせているが、本当は泣きわめきたいのだ。
恐い。もう嫌だと。
(まずは認めた。なら次はどうするか。決まってる。やられっぱなしは俺の性に合わねえ。反撃してやる)
反逆の意志が自分の中に芽生える。そして自分に腹が立った。なぜ、自分はこんな訳の分からない悪意にただ耐えようとしていたのか。
「・・・・・・・気味の悪い男ね。死んで」
キベリアのその言葉で、鋼の短剣は全て自分へと飛来してきた。雷の騎士も雷鳴の矢を放つ。そしてすぐそこまで近づいてきた騎士たちは、片方は燃える斬撃を、もう片方は水に濡れた刺突を繰り出してくる。
数秒後には自分は死んでいかもしれない。だが、影人は死ぬ気などはさらさらなかった。自分はまだ諦めていない。
(意識を強く細く鎖のように1本だけ残す。――後はしばらく俺の体をくれてやる。まずはお前の正体を知らなきゃならないからな)
影人は強気な笑みを浮かべ、自分の意識を悪意へと明け渡した。