第132話 提督襲来(5)
モスクワ市内のとある小さな3階建てのビル。一見ただの変哲もないビルだが、このビルには地下フロアが存在する。そこに光導姫『提督』こと、アイティレ・フィルガラルガは呼び出しを受けていた。
「突然の招集、すまなく思う。予定などはなかったか? フィルガラルガ君」
「問題ありません。して、用件は何でしょうか?」
イスとテーブルのある応接室のような場所で、アイティレは壮年の男性と面会していた。テーブルの上には紅茶のカップが2つ用意されている。
髪を綺麗に撫でつけた体格のしっかりとしたその男性は、アイティレの問いかけに真剣な声色で答えた。
「話というのは、君が女神ソレイユから受け取った手紙にあったスプリガンなる人物についてのことだ」
「スプリガン・・・・・・・闇の力を扱う正体不明の怪人のことですか」
その名を聞いて、アイティレの表情が険しくなる。その存在を知ったのは、ソレイユの手紙でだったが、アイティレはスプリガンにあまりいい印象を抱いていなかった。
(フェリートとレイゼロールと戦ったことから、闇人ではないという事も考えられるが、闇の力を扱うという点でロクな者ではないだろう)
アイティレはソレイユの手紙に記してあった情報を、ロシア政府の超常情報部へと報告していた。超常情報部とは、光導姫や守護者、闇奴などの情報を取り扱う政府の秘密機関だ。アイティレの目の前にいるこの男性は、その情報部のトップだ。
「ああ。君と同じく男神ラルバから、手紙を受け取った守護者『凍士』の情報にもあったが、スプリガンなる者が出現した場所は日本。しかも、最も目撃情報の多い場所は日本の首都、東京とかなりその出現地域が絞られる」
「・・・・・・・・そうですか」
守護者『凍士』。ロシア語ではリオート・ソルダート、つまり氷の兵士と呼ばれる彼はロシアの守護者だ。だが、アイティレが気になったのはその部分ではなかった。
(私がソレイユ様から受け取った手紙には、スプリガンなる怪人が現れた地域までは書かれていなかった。ラルバ様の手紙に出現した地域も書かれていたのか?)
もしくはそのスプリガンの情報を受けて、ロシア政府がどこからか情報を探ったのか。しかし、途中で考えても仕方の無いことだと気がつく。
自分はただ戦う者。細かな事を考えるのは自分の役割ではない。
「最近は、日本の各地でその姿が光導姫や守護者などに確認されているようだが、東京が奴の出没率の高い地域であることに変わりは無い」
「・・・・・・・・長官、失礼を承知で申し上げます。いったい、何を仰りたいのですか?」
遠回りな言い回しばかりで、アイティレには目の前の男が何を言いたいのか理解出来なかった。
「・・・・・・君のその真っ直ぐさは美徳だな。すまない、どうも私は回りくどい人間のようだ」
自分より年下の少女にそう言われた皮肉からではなく、長官と呼ばれた男は素直に褒めるようにそう言った。
「では、本題に入ろう。――君には日本に留学してもらい、スプリガンと接触してほしい。可能ならば、その身柄の拘束をお願いしたい」
「・・・・・・・・・・・・・・理由を伺っても?」
あまりに突然なその提案に、アイティレは取り乱すことなく対応した。
「もちろんだ。理由は様々あるのだが、主な理由は3つだ。1つは、君が日本の言葉を話せるということ。日本に留学する以上、その国の言語を話せることは必須だからね。2つ目は、君レベルの戦闘能力でなければ件の怪人の相手をするのは難しいということ。女神ソレイユと男神ラルバの手紙には、スプリガンはレイゼロールすら退却させたほどの力の持ち主とあった。にわかには信じ難いが、事実ならば殆どの者がスプリガンの相手にはならない」
そこまで言うと、男は一旦言葉を切って、テーブルの上の紅茶に口をつけた。そして、息を吐くと3つ目の理由を語り始めた。
「3つ目は、君の正義観だ。君の正義観を我々はよく知っている。そして君の正義観で言うならば、闇の力を扱うスプリガンは『悪しき者』だろう? 以上が主な理由だ。・・・・・・・・・・・もちろん、断ってもらっても構わない。無理で急なことは我々も承知しているからね。だが、受けてくれるというなら――」
「お受けします」
男の言葉の途中で、アイティレは答えを返した。
「・・・・・・・・・・いいのかね?」
これには男も驚いたような表情を浮かべているが、アイティレからしてみれば、自分の方から提案してきたのに、何を驚いているのかといった感じだ。
「はい。長官の仰った通り、スプリガンは私にとって『悪しき者』です。であれば、私が日本に赴く理由には充分です。いつ頃起つのですか?」
「あ、ああ。・・・・・・・・・起ってもらうのは、一週間後。滞在期間は1年ほどを目処にしている。留学という形で、日本の光導姫・守護者の集まる扇陣高校という学校に留学してもらうという形になる。君の通っている高校やご家族にはこちら側から連絡しておく。日本での滞在先や費用は全てこちら持ちだ。もちろん、これは歴とした依頼であるから、報酬も用意させてもらう」
「ご厚意感謝します。――ああ、それと長官。先ほど伺った理由はあくまで私に依頼を提案した理由であって、なぜスプリガンを拘束する必要があるのかは伺っておりません。そちらの方を私は聞いたつもりだったのですが、お聞きしても?」
トントンと話が進んでいく中、アイティレは先ほど煙に巻かれた、いや論点をすり替えられた理由を鋭い目つきで質問した。
「・・・・・・・分かったと言いたいところだが、私もあまり理由を聞かされてはいないんだ。この指令は上から仰せつかったものだからね。だが、拘束することが困難な場合は《《滅ぼしてしまっても》》かまわない、と言われたよ」
(殺してもよいと来たか・・・・・・・・ますますきな臭いな)
滅ぼすというのはそういうことだろう。そして、男の言葉を信じるなら、スプリガンを捕える、または殺すのはロシア政府上層部の意向ということになる。いったい何を企んでいるのか。
「・・・・・・・・・そうですか、了解しました。では、お話も終わったと思いますが失礼してもよろしいでしょうか?」
疑問を飲み込んで、アイティレは退室の許可を求めた。
「全く構わないよ。依頼を受けてくれて本当にありがとう。・・・・・・・・でも良かったのかね? 受けてもらってこんなことを言うのは失礼だが、友人やご家族と離れるのはつらいだろう・・・・・・・」
「・・・・・・寂しくないといえば嘘になりますが、留学という理由でなら友人や家族も理解してくれるでしょう。それに日本には前々から行ってみたいと思っていましたし、問題はありません」
「・・・・・・・・そうか、ありがとう。フィルガラルガ君」
「いえ、ではこれで失礼させていただきます」
アイティレはそう言って頭を下げると、応接室を後にした。
壮年の男はぬるくなった紅茶を飲み干すと、先ほどまでアイティレが座っていたイスに焦点を定めて、ポツリと言葉を呟いた。
「・・・・・・・・まだ16の少女に言う内容ではないだろうに」
どこかやるせなさを感じながら、男はため息をついた。
こうして一週間後、光導姫ランキング3位『提督』は留学生として扇陣高校にやって来た。その真の目的を隠しながら。




