第106話 正体(4)
「壁・・・・・・・・・?」
突如として自分の前に立ち塞がった闇を見て、巫女はそう言葉を漏らした。
「いったい何を・・・・・・・」
巫女にはスプリガンの意図が分からなかった。何せ相手は目的不明、行動不明の怪人だ。そんな人物の意図をいったいどう推し量れというのか。
だが、それから少しして闇の壁はまるでそれがなかったかのように、消え失せた。
そしてスプリガンの姿も。
「逃げた・・・・・・・・?」
その事実に巫女と呼ばれる光導姫の少女はどこか拍子抜けした。
(あれがスプリガン・・・・・・・)
黒ずくめのその姿と金色の瞳が巫女の脳裏に過ぎる。闇の力を持つ謎の怪人。その人物が先ほどまで自分の視界に存在した。
「・・・・・・・1度、ソレイユ様にご報告しなければ」
闇奴化していた人間を介抱して、巫女は変身を解除しようとした。
だが、何の前触れも無く、世界が夜に包まれた。
「なっ・・・・・・・!?」
一瞬前までは空は晴天だった。しかし、今は夜になった。としか言いようがなかった。
空に瞬くは満天の星空。輝くは真紅の満月。
まるで幻覚を見ているかのような光景。理解が追いつかない状況。
(これはいったい・・・・・・!?)
変身を解除するどころではない。巫女は最大限の臨戦態勢を取り、周囲を警戒した。
「あら残念。光導姫だけかしら」
その空間に自分とは違う少女の声が響いた。
気がつけば、自分から離れた場所に1人の少女がいた。
ブロンドの髪を緩くツインテールに結った少女だ。纏っている衣服は豪奢なゴシック服。まるで人形のように可憐さが感じられる。
「闇奴の気配がしたから、目的の人物がいるかもしれないと思ったけど、無駄足だったわね」
その少女は軽くため息をついた。この異常な状況で少女のそのような仕草はひどく場違いなように思えてならない。
「あなたは・・・・・・・!」
巫女の瞳に白いオーラのようなものが揺らめいた。少女がただ者ではないことは今の発言とこの状況から分かることだ。
巫女は少女の正体が何であるのかを探ろうとその眼を凝らした。
そして巫女は少女の正体に気がついた。愕然とした。冷や汗が頬を伝う。それほどまでに、その少女の姿をした者は驚くべきものだった。
「うん? あらこれは意外ね。その眼――あなた聖職か神職にでも携わっているのかしら?」
「あなたのような者が何の用ですか・・・・・・・!?」
動悸が激しくなる。この少女がその気になれば、自分は殺されてしまうかもしれない。自分の目の前にいるのは正真正銘、規格外の化け物だった。
「【あちら側の者】よ・・・・・・・!」
「そう呼ばれるのは久しぶりな気がするわね」
ふふっと真紅の月の下、少女は笑った。
「別にあなたに用はないの。ただ、もしかしたら会えるかもと思って来ただけ。はあ、こんなことなら、わざわざ私の世界を展開する必要はなかったわね。これ使うと疲れるし」
星空を見上げ、シェルディアはそう呟いた。この空間を維持するのは、シェルディアといえ容易なことではない。
(会える・・・・・・? この化け物は誰かを探している?)
シェルディアの言葉から巫女はその目的を推理しようとしたが、いかんせん情報が少なすぎるためそれ以上のことはわからなかった。
「さてと、無駄足だと分かったことだし私はお暇させてもらおうかしら」
「っ・・・・・・・・」
シェルディアが背を向けた。完全に無防備だ。今ならば――
巫女が周囲の札から光を放とうとしたその時、振り返らずにシェルディアが言葉を発した。
「やめておきなさい。見逃してあげたのに、わざわざ死にたいの?」
その静かな声音に巫女の動きが止まった。否、止めさせられた。
それは圧倒的な死の重圧。殺意などは生ぬるい純然たる生物としての恐怖。とても少女の姿からは想像もできないような気配を全身から発しながら、少女は言葉を続ける。
「少し力があるからって、たかだか人間ごときが私に勝てるはずがないでしょう? わきまえなさい、人間」
「は、はい・・・・・・・・・・・・」
巫女と呼ばれる少女は、そうとしか言えなかった。それ以外の言葉を述べたり、攻撃すれば自分は間違いなく死ぬという事が本能で理解できた。
「よろしい・・・・・・・・・・・・じゃあね」
シェルディアは許しの言葉を与えると、そう言って自分の影へと沈んでいった。
それと同時に景色が晴天に戻る。まるで何事もなかったかのように。
「・・・・・・・・・・・・もう、今日は何だって言うのよ」
緊張から解放された巫女はその場にへたり込み、本心を1人吐露した。




