第二話:とある少年は歌う。「名だたる物を追って輝く物を追って人は氷ばかり掴む」
5月14日(木) 晴れ
我が輩はクマである。名前はまだない。考え中である。とりあえず月島 真昼を名乗っている。
我が輩は起きた。しかしもう一度寝た。朝の微睡みというのは何物にも代えがたい格別な物であり至福の一時でありながら『これから起きねばならない』という憂鬱な時間でもある。これが休みの日であれば寝覚めがよいから不思議だ。
我が輩は布団が好きだ。どのくらい好きかと言うと夏場だろうが問答無用で布団を使う。あの重さと自然な暖かさが堪らないのである。
しかし時間という暴君はそんな我が輩が布団と枕と戯れるのを許しはしない。泣く泣く我が輩は瞼を擦り伸びをして布団と枕に別れを告げるのであった。
ねむいのう……
二階にある真昼殿の部屋から階段を降りて右手の“りびんぐ”と呼ばれる共用スペースに入る。“りびんぐ”の意味を正確に把握しようと真昼殿の携帯電話に付属している英和辞書に“りびんぐ”と打ち込むと意味は“生活”、“活発な”とあった。なるほどこの場所は真昼殿のように動きはしないが生きているのか。
「お疲れ様」
労ってみたが返事は返って来なかった。薄情なやつである。
“りびんぐ”には真昼殿の母上殿が居た。40いくつかである彼女の目は睡魔にどんよりと濁ってはいるが嫌な感じではない。年の割りには小綺麗だと我が輩は感じた。
シャワーを浴びて食パンを焼き、たっぷりのマーガリンを塗って食べる。真昼殿はいつもそうしているらしいが我が輩はマーガリンがあまり好きではない。蜂蜜を切らしているのだ。
“がっこう”は疲れるがなかなか楽しいところだ。と、我が輩は思う。真昼殿は時折「ただ生きているだけだ」と溢したが、ただ生きているだけ 上等である。
我が輩は最近英語の教師が日本語が大分ダメなことに気付いたのである。『蔑視』のことを「さっし」と読み『狩猟』のことを「かりょ」とかなんとか言っていたのであった。overhuntingを訳すときに「過度の狩猟」と訳し「乱獲でいいやんw」と生徒に突っ込まれていた。
しばらく観察した結果、特に漢字に弱いようである。とはいえ我が輩も英語が凄まじくダメなのだがクマであるからしてそれくらいは許容範囲であろう。基本的な知識は真昼殿の物のはずなのだが……
ともかく日本人で教師である以上は“狩猟”ぐらいは読めてほしいものだと真昼殿は考えていたようだ。
しかし、英語教師よ。漢字を指摘された腹いせにクラス1英語が苦手な生徒に長文を訳させるのは止めよ。我が輩すさまじく泣きそうではないか……
放課後である。特にやることがないため我が輩は帰宅の準備を整えていると携帯電話が振動した。何事かと思い折り畳み式の電話を取り出す。
長瀬殿からであった。電話に出ると木曜日に予定していたカラオケに行く約束が“あるばいと”のシフトの関係で急遽今日にしようということになった。我が輩に特に断る理由はないため了承した。
室内温度27度という春とは思えぬ凄まじい熱気の中で我が輩と長瀬殿はしばらくジュースやアイスクリームを摂取していたが、とうとう耐えきれなくなりエアコンの設定温度を下げた。しかし一向に状況は改善されない。
そろそろフロントに苦情を申し出てやろうかと思い出した頃にようやく長瀬殿がエアコンの電源が入っていないことに気づいたのであった。
我が輩はそこで2時間半に渡り時間の許す限りで声を枯らした。真昼殿のいつも聴いている『中島みゆき』という女性の物を歌ったときは長瀬殿が奇妙な顔で苦笑いしていた。次点で頻度の多い『BAMP OF CHIKEN』とやらも歌いそれでそこそこ盛り上がれたのだった。
その後、飲食店にて雑談をかわしたあと長瀬殿と別れ帰宅したのである。
真昼殿は体格(178cm57kg)のわりには大食らいであるゆえに晩飯のざる蕎麦も綺麗に平らげて我が輩は自室にてテレビに向かったのであった。
◇今日の真昼殿◇
窓の近くの床に手足を投げ出し日溜まりの中で気持ちよさそーに寝ていた。
ぬいぐるみを辞める気はまだ当分ないらしい




