一話・影
心というものは、不思議なもの。
触れられなければ、見ることすら出来ないもの。
それらを概念としてしか今まで僕は認識していなかった。
──でも僕はこの目に見えてしまった。
◆◇◆
『1日前』
12月24日 午前0時 T市某コンビニ
就職に失敗し、途方に暮れている僕はコンビニで手をさすりながら、一つ年上の真嶋先輩と業務に徹していた。
「暇だぁねぇ~」
ご自慢のアフロ頭を揺らしながら、先輩は話しかけてきた。
「そうですね…」
深夜帯のシフトだと、客はあまりこないので暇になる。
それを狙ってこの時間にした、といっても過言じゃない。
……だって面倒くさいからだ。僕は日中は小説家を目指すため、時間を掛けてコツコツと作品を作る。夜中になっちゃ、集中できないし。
小説家を目指すためには作品を沢山書くのが必須で、ひたすら日中筆を走らせている。
「カゲちゃんよ、俺にまたアレ見せて?」
「いいですよ、今回は楽しみにして下さい。クライマックスシーンですから。」
カゲちゃん、というのは僕のあだ名だ。影山という苗字からとった簡単なあだ名。あだ名で呼ばれたことがなかった僕からしたら凄く嬉しかった。
「アレすげぇ好きなんだよなぁ、才能あるんじゃね?」
「ありがとうございます……」
アレ、というのは僕の小説の【夜の機械少女】だ。
僕の試作品でもあって、ある賞に出そうかと思っている。
「さーて、あともうちょいで俺ら交代だから頑張るか~」
背伸びと欠伸をしながら真嶋先輩はそう呟き、商品の陳列を整えていく。
僕はレジに戻り、右のほうに目を向けた。
「雪降ってる……。」
外は、粉雪がパラパラと舞っていた。
目の前にある廃れた公園が更に汚く、何故かより一層惨めに見える。
「カゲちゃん、またよそ見してたけど大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっと疲れてるだけですから。」
そう言って、僕は目頭を押さえる。
その姿を見て先輩は僕に声を掛けた。
「ほーん、そうかい。そういえばさ、今日クリスマスイブじゃん。今日来た客さん何人だっけ?」
「もう五時間ぐらい経ちますけど誰も来てませんね……」
「おかしくないか?夜中とはいえ一人も来ないってのは……」
「なんかあったんですかね、一応ニュース見ときますね」
スマホを手に取り、ネットニュースに目を通す。
◆◇
『T市内で無差別殺人。犯人は現在も逃走中』
『犯人の特徴は黒く、それ以外の特徴と移動手段等は不明』
『T市の東区市役所付近で目撃情報あり。周辺にいる方は直ちにその場から離れて下さい』
◆◇
「えっ?」
あまりの衝撃に咄嗟に声が出る。
(市役所付近ってここじゃないか…?確かこのコンビニの直ぐ後ろだったような。)
「どした?なんかあったのか?」
「あ、いや。近くで事件が遭ったらしくて、無差別殺人らしいんです」
「えぇ!?おいおい、まじかよ…」
「どうします…?」
「どうするって、逃げるしか…」
そのあとに冷静な口調で先輩は僕の肩に両手を乗せ、こう言った。
「……いや、こういう時に焦っちゃいけないんだ。逆にここから動くことで危険になっちまう。」
「は、はい…そうですね」
確かに一理ある。無防備に逃げるだけじゃ一方的に犯人に何されるか分かったもんじゃない。
《シニタイ……》
「え?」
声がしたと思い後ろ振り向く。
何もいない。でも確かに声がしたはずだった。
苦しい声を叫ぶその声が。
「聞こえる……」
「は……?何が?」
「いや、『死にたい』って……」
「なんだか不気味だなぁ、お化けは信じないタイプだぞ俺は」
蛍光灯が点滅する。別に壊れているわけじゃない。
ついこないだ治したばかりで、すぐ壊れるなんてあり得ない。
「カゲちゃん、行くぞ、なんか嫌な予感するからな。」
「何なんですか?さっきから声するし……」
「いいから!」
そう言うと強引に僕の腕を掴み、コンビニを出る。
外は寒く、足が急に重くなったように凍える。
粉の雪が鼻の上に張り付き、雫となってゆっくりと伝って落ちていく。
いつも生え盛る雑草たちが、少し萎れたようで、点滅している電灯と相まって更に惨めに見えてきた。
幼少のころはそんな風には見えなかった────はずなのに。
僕の人生の半分以上はここの公園だったともいえるのかもしれない。
僕の親はとてもじゃないけどまともとは呼べなかったから。
『奏ッ!何回言ったら分かるんだ!』
『今日一日帰ってくるな!出てけ!』
これが父の決まり文句だった。
母が亡くなってから変わってしまった父は僕には愛をくれやしなかった。
むしろ逆の物を僕に授けたのかもしれない。
『奏くん!おいでよ!』
この公園で言ったあの子は今何をしているんだろうか。
今の僕を知ったらなんて思うんだろう、惨めだと軽蔑するのかな。それとも同情するのかな。
《……イタ》
突然声がする。
その声はか細く、耳を劈く音がする。
鼓膜を引き裂くような雑音、頭を割られたような痛みが走る。
「ッ!」
視界が眩み、脳天が震え、足下がふらついてくる
前方を見ようにも見えない。
僕の右隣には真嶋先輩とみられるものが横たわっていた。
《シ………》
かすかに声がすると思い、どこにいるのかと力を振り絞りながら見渡してみる。
だが辺りには黒い霧。ただそれだけ見えただけだった。
「うぅ……」
僕はあまりにも頭が痛いので、膝をついてしまう。
体が引き締められたように痛み、吐き気を催す。
頭が狂ってしまったのかサイレンのようなものが刺激してくる。
《シ……イ…》
だんだん声が近づいてくる。
そして黒い霧をかき分け、二メートルほどの人型をした細長いものが僕の目の前に立っていた。
人のように指が枝のように分かれているわけではなく、鋭利な槍のような構造になっている。
それはこちらを見るそぶりをすると顔と思しき部分が変曲し、笑ったように見せた。
◆◇◆
【同時刻】──T市交番──
「何?犯人が消えただと?」
「はい、どうやら目撃者は『瞬間的に消えた』と言っています」
「…どうせ悪戯のつもりだろう。たまにいるんだよ、そういう馬鹿が」
「…という目撃情報が数十件あるんですが、部長……」
部長は黙り、ゆっくり言葉を口にする。
「『マインドウォーカー』だ。」
「え?あのよくわからない集団ですか?……まさか協力すると?」
「その通りだ、川田。俺らじゃ何もできないだろう」
「しかし、マインドウォーカーというのは反社会勢力と交流があると聞いていますが……」
「なら我々で対処するしかないのか……」
「───俺らに任せろ。お前らじゃ歯が立たない」
警官二人の前に立つ一人の男がいた。
鍵のキーホルダーのような物を首から下げ、真っすぐ部長の方を見据える。
「き、君は、誰かね?」
「『マインドウォーカー』の竜崎 令だ。心影を消しに来た。」
◆◇◆
【T市某公園】
そうして部長のパトカーで現場まで急行することになった。
運転席には部長である原田、助手席にはその部下の川田、そして後部座席には『マインドウォーカー』を称する謎の青年、竜崎を乗せて。
三人が乗ったパトカーは公園の直ぐ近くに停止する。
辺りには黒い霧が発生しており、動物の遺体から出るような悪臭が漂っている。
「ここだ…黒い霧が発生しているのは…。」
「わかった。」
青年は車から出ると、黒い霧に向かって歩き出す。
何の躊躇もなく淡々と。
「あの男、大丈夫なんですかね……。」
「分からん……。だが頼るしかない…今はな…。」
竜崎は公園の入り口に立つと、周りを舐め回すように眺める。
黒い霧は公園の全容を包み込むように肥大化していく。
(黒霧か…邪魔だな…。まずは視界不良であるこの状況を打破するか)
その黒い霧を見た竜崎は思考を重ね、右手に力を込めて、目をゆっくりと閉じ、
右手を前方に掌を広げて突き出すと同時に、言葉を呟く。
「……『心剣』」
呟いた筈の言葉が周りに響き渡り、突き出した掌から光を放たれた。
同時に肥大化していた黒い霧が溶けるように光に押し負け、縮小していく。
「な、なんだあれはっ!」
パトカーに乗っていた部長は黒い霧を晴らした男に目を奪われ、声を漏らす。
「あれが、マインドウォーカー………か。確かに噂にはなっていた。心の影を討伐する男がこの街T市に住んでいると…まさか本当になんて思いも…」
その黒い霧が晴れると、竜崎は三つの物体を視認することができた。
(一人は倒れているアフロの男、もう一人は根暗そうな冴えない男…。)
(もう一つは……)
(─────────ロストか。)
その黒い背の高い物体は瞬時に竜崎を見て、口と思しき部分を変曲させ、気味の悪い笑みを浮かべた。