第92話、前世で苦手だったからこその反動の欲望、その名は
SIDE:ラル
さんざんばら、ルキアに対してローサはサーロであることを訴えてはいるのだが。
あまり聞き入れてはもらえないようで。
だったら自分はどうなのだろうかと。
『オレは男だ』と、告白し迫ったら信じてもらえるのだろうかと。
ラル的によこしまな考えに至った時。
りん、と鈴を鳴らして。
金と白金……稲穂色の毛並みの、何だかとても珍しい色合いの猫の姿を発見する。
猫は船にはつきものだと言うし、此度の冒険に付き合ってもらっている船員さんの飼い猫だろうか。
あるいは、その内の誰かの従属魔精霊なのか、しっぽをゆらりと上げて生簀らしき場所へと向かわんとする。
その、金と白金の縞々な猫を。
ラルはこれ幸いとばかりに、気配と魔力を消しつつ追いかけていく。
もちろん目的は、げっと……ではなく、思う存分、唯我独尊なもふもふ堪能である。
この世界で従霊道士、いわゆる魔物、魔精霊使いにはまだお目にかかったことはないが。
故郷では数多くいたし、ラルの大好きな姉にとってみれば正にたった一ひき、自分だけの大切な想い人が、世界を癒すために生まれてきたような真白の猫で。
正直憧れていたのだ。
ないがしろにされて(ラル的思考)鬱憤が溜まっていた、と言うわけでもないが。
そんなわけでラルは、自身の欲を満たすべく。
音もなく猛然と、その哀れな……稲穂色した猫に忍び寄っていく。
(ふむ。猫さんらしく、お魚を狙っているんだね)
この船の護り猫であるのならば、食べ物はもらっているだろうから、きっと猫の狩猟本能が刺激され日向ぼっこがてら生簀にやってきてしまったのだろう。
その気ままな行動が、オレの本能すらも刺激してしまったのさ。
……などと、顔にまったくもって似合わない台詞を心うちでしたからだろうか。
消しているはずなのにその気配のあまりの派手さに、こっそりついていったつもりがあっさりと気づかれてしまって。
「みゃっ」
「わっ、しまった」
稲穂色の猫は、一声鳴いただけで、後ろにいた何やらキラキラした凄いのを目の当たりにしたことで固まってしまって。
自身の失態を嘆くのとほぼ同時に、しかし隙は今この瞬間しかない、とばかりにラルはしゃがみこんで両手を伸ばす。
いつも、と言うか今まではそうやって無遠慮にもふもふしたいと近づくばかりか故あってラルの方が逃げ出すくらいだったから。
そうは言いつつも、慎重に、壊れ物を扱うように優しく。
それが功を奏したのか、みゃふっと再び声を上げ、びくっとなって背中の金の毛がぶわっとなったが。
逃げ出すこともなく、これみよがしに腕の中に抱え込み、もふもふを堪能するラル。
先にも述べたが、ラルは救世するものとしてあるだけあって。
その身に莫大な魔力を秘めており、人や魔精霊を含めたあらゆる生き物を畏怖させてしまう事が多かった。
親友のひとりであった、姉の大切な人……猫も、始まりはむしろそちらの方からもふもふされに来てくれたのに、姉が怒り出してからはそんなそんな機会もなくなっていたから、それはもう随分と久しぶりなのである。
リルの、ほんわかぷにぷにな感触にも負けない心地よさ。
当の猫は大人しいもので、暴れるようなこともなく、ラルに抱えられされるがままで。
……これはもしかしなくても、憧れていたその先にもいけるのではないかと思い至ってしまって。
「では、失礼して」
「みゃっ!?」
おもむろに仮面を外すラル。
思い起こせばまともにラルさまのご尊顔を拝見したのはこれが初めてかもしれないと。
ますますかちこちに固まってしまう中、よりにもよってそんなラルの顔がどんどんだんだんと近づいてくるのが分かって。
何かとんでもなく大変なことが起ころうとしていると。
いっそう縮こまって、その身をプルプル震わせていると。
「すとーっぷ! ストップですわっ!! それ以上は後生です、やめてくださいあれもこれもしんでしまいますっ!」
「……えっ?」
「みゃふん」
その、本当に寸前のところでローサがどこからともなく飛び出してきて、ラルの背中にひっしとしがみついてきて。
なにげにローサからの初めての接触。
冗談ともつかぬ言葉を受けて、ラルが目を瞬かせていると、少しばかり重くなる腕の感覚。
思わず手を離すと、稲穂色の猫……ではなく、イゼリが尻餅をつく形でまろび転がって。
「ごっ、ごごごごめんなさーいっ!」
「あっ」
そのまま生簀に落ちそうになるのを、正しく猫のようなしなやかな動きで飛び越えつつ回避し、
名残惜しげなラルを置いて顔を真っ赤っかにして船室の方へと逃げていってしまって。
「かはぁっ!?」
「リーヴァおねえちゃん!? ど、どうしたのっ」
さっきどこかで聞いたばかりな気がしなくもない、乙女が発するにはラルもアイもびっくりするくらいの断末の声を上げるリーヴァがアイに解放されているのが見えて。
「……えっと」
「んもう、ラルさまってば! やっぱり素顔を見せるの禁止! 後、素のラルさまをさらけ出すのも禁止ですっ!」
「あ……うん」
そんな、気絶するくらいオレの本性と素顔はあれなのか。
ラルは、大分勘違いしつつ、へこみながらも。
それでも確かにその方が楽だからなぁと、渋々自分自身を納得させるラルなのであった……。
※
とはいえ、欲望のままに『吸おう』としてしまったのは確かである。
誤解……でもないのだが、とにかく言い訳を、フォローをしなくてはと。
ラルは、すっかりお節介焼きの悪友どころか彼女みたいなポジションに落ち着いてしまったローサと。
ある意味生まれたてで色々なことに興味の尽きないノアレをお供に。
イゼリに宛てがわれし部屋へとやってきた。
「イゼリサーン? 入ってもよろしいですカーっ。何せレミラ姉さんもコウモリ種になれるとイウのにまったくもって見せてくださらないのデ、ワタクシとっても興味があるのデス」
「……っ!?」
ラルがいきなり声をかけるのもあれなので、とりあえずノアレにお願いしたらこれである。
恥ずかしいのか、部屋の中でばったんばったんしている気配。
どうも居留守を使う気配はなさそうだったので、ローサはラルに目配せし、やっぱりラルさま自身で声をかけるべきだと伝えて。
「イゼリさん、ごめんなさい! なんて言えばいいのか。その、怖がらせてしまってすみませんでしたっ。
……ええと、とりあえずそれだけは伝えたかったんだ。改めて本当にごめんっ!」
ふためと見れぬ顔を晒し、尚且つ必要以上に近づいて、あわよくば『吸おう』だなんてとんでもない。
これからはあまり近づかないようにしますから。
なんて意味合いが含まれていたかどうかはともかくとして。
そう扉越しに伝えた後、しゅんとしつつそのまま立ち去ろうとしたのが功を奏したらしい。
再びバタバタと音がして、扉を開け放って駆け寄ってくるイゼリ。
「いややっ、ちょっと何かよく分かんないけどっ、た、ただびっくりしちゃっただけだからっ。
さぁさ、どうぞどうぞっ! お菓子もあるよっ。もふもふでもなんでも、おっけーだからっ!」
天の岩戸に隠れてしまった神様を飛び出させるための一番冴えたやり方。
ラルがそれを自覚していたかは定かではなかったが。
思わずローサが唸るほどの手腕に、ノアレはこれこそがオシてダメならヒイテみな、ですカ、なんて感心したように呟いて。
かくして、イゼリの部屋に招かれてのお茶会……どうやら、この船自体魔法学園ヴァレンティア虎の子のマジックアイテムらしく。
【時】属性の力によって、部屋の一つ一つも拡張されているようで。
四人で備えつけの丸テーブルに陣取っても余裕があるほどの広さがあった。
「それで、ええと。ボクの一族、故郷について知りたかったんだっけ」
「ええ、そうですね。これから立ち寄らせていただくわけですから、一族特有のマナーなど、教えていただけると助かりますわ」
冒険者ギルドにて、共に仕事をこなすこともあったから。
【月】の一族についてはある程度ローサも頭には入っていたわけだが。
その辺りのことを突っ込むことはなく。
その代わりにと、一緒にギルドにて活動していた時と比べると、随分と変わり果ててしまった……
イゼリにとってみれば違和感しかないサーロ、いやローサの様も。
それこそそう言う種族なのですと黙認してくれて。
「ええと、ボクらの一族は月の光を浴びて動物に変わることのできる『ライカンスロープ』を祖先に持つんだけど。今はけっこうそのへん曖昧なんだ。ボクの場合、元気がなくったり弱ったりすると猫の姿にかわっちゃうんだよね」
どうも聞くところによると、イゼリは先ほどまで船酔いをしていたらしい。
猫になってしまえば、気持ち悪いのも安らぐようで、とりあえず猫になって陽にあたった方がいいだろうと思って外に出たら、
本能で生簀に惹かれ、その流れでラルさまに捕まってしまっただけで。
別に取り立てて獣化できることを隠していたわけでもないらしい。
「ほほぅ。それじゃぁなるほど。変身したい時に変身できるのかな」
「レミラ姉サマも夜、月が出ている時に変わるソウですから、やはりあの月に根源が住んでいルと言うのはタシカなのかもしれまセンね」
しかし、二人の興味は【月】の一族の来歴よりも、猫なイゼリをもふもふしつつ堪能することができるのかどうかの方が大きいらしい。
さりげなく話題を変えんとするつもりだったのに、全然うまくいっていないようで。
ローサは、一つため息をつくと。
そんな今にももふもふ調査をしに突貫しそうな二人を抑えて、言葉を紡ぐ。
「今のうちに聞いておきますけど、【月】の一族の獣特徴、耳や尻尾はみだりに触れてはならないのではなくて?」
「あ、うん。家族や大切な人にしかさわらせちゃいけないとは言われてるね」
「やはりそうですか。ラルさま、ノアレさん。これから『フーデ』へ降り立って無闇に人の尻尾や耳に触れてはいけませんよ。モフモフ禁止です」
「えー、それはタイヘン残念ですネ。実地調査しようと思ったですのニ」
「うぅ、そうだよね。危なかった……」
それじゃあ『吸う』なんてもっての他じゃないか。
やっぱりこんな自分は金輪際イゼリに近づくべきではないのだ。
それじゃあ、ごちそうさまでしたと。
再びラルは立ち上がりそのままお暇しようとして、イゼリに再度止められる。
「いえっ、だから大丈夫だよっ。さっきは心の準備ができていなかったというか、びっくりしちゃっただけだから。もふもふっていうか、今度また猫になった時は、梳いたりとかしてもらってもいいし」
「えっ? い、いいの? すい……じゃなかった。もふもふしちゃっても?」
「う、うん」
「ワタシとしましては、ハイ。ノミ取りなどでしたらお任せくだサイ」
「うん、いいよ。ちゃんとお手入れはしてるから、虫はいないと思うけど」
「それじゃあわたくしもっ」
「……っ、さ、ローサさんはダメっ」
「うふふ。分かってますわよ。流れに乗って言ってみただけですわ」
まったくの冗談と言うわけでもなかったけど。
家族以上の存在として扱われるのは、本性を知っているイゼリにしてみれば、恥ずかしいことだったろう。
「で、では早速。実は櫛、持ってきてるんだ」
「よ、よろしくお願いしますっ」
もふもふしたかったという以上に、ラルの姉とその大事なパートナーとのやりとりに憧れがあったのだろう。
加えて、家族のように仲の良い人と認められたようなものだから、きっとラルのその仮面の下は、一生記録にとっておきたいくらいのいい笑顔をしているはずで。
やっぱり、仮面は外しておいてもらえば良かったかと、少しばかり後悔するローサなのであった……。
(第93話につづく)




