第9話、同じような言葉なのに、それはどこまでも魂に沁みて砕かんとする
「頃合かな。……うん、ありがとう。エクゼリオ様方」
それは、正しくも心込められし言霊のように。
「何をっ!?」
ヴォトケンが訝しげな声を上げる暇もあらばこそ。
刹那、ラルを覆っていた闇色の蛇たちに変化が起こった。
まずは身震いし、蛇の喰らいついていた牙が外れ、拘束が緩む。
放った魔法がそれを受けた相手の事を聞いている。
信じられない光景に、ヴォトケンや盗賊たちが固まっていると。
闇色の蛇たちはぐるりとヴォトケンたちの方へ振り向いて、鎌首もたげて威嚇の声を上げ、向かってくるではないか。
「てめぇら、回避だぁっ!」
「きっ、きさまらっ、まっ」
やはり、忠義を持って従っていたわけではないのか。
あっさりとその場を離れ、逃げ出す盗賊たち。
ラルは、彼らを追わなかった。
それよりも、初めて見る【闇】の魔法が、どんな効果を及ぼすのか、興味津々だったからだ。
自分では体質的に効果が得られなかったため、放ったご本人に感想を聞こう、という算段である。
「おい、嬢ちゃん! 何ぼけっとしてる!」
「え? わわっ」
しかし、ラルはそれを目にする事、叶わなかった。
元盗賊の頭であろう髭もじゃおじさんが、あっという間に闇に飲まれて見えなくなったヴォトケンを脇目に、その丸太のような腕で思わず素の声を上げるラルを抱えるようにして部屋を飛び出したからだ。
残念だとは思ったが、ラルは抵抗しなかった。
ラルに対して悪意があるのならば、ラルの体質的にそうやって抱える事などできないはずだからだ。
もしかしなくても見かけによらすお人好しらしい髭もじゃおじさんは、あの闇の魔法を受け入れるとどうなるか知っているのだろう。
ラルは抱えられたまま、髭もじゃおじさんにその事を問いかけようとして。
「……~~&%#ギョウオォォゥッッッ!!」
この世のものとは思えない。
なんて表現をしなくてはならないような、聞くに耐えない悲鳴が木霊した。
この世のものではないラルですら、びくりと震えるくらいの、聞いてはいけない類のそれ。
未だ間断なく聴こえてくる事から、殺傷能力こそないようだが。
安易に自分で体験してみようと考えなくて良かったと思える位には、悲惨さに溢れている。
一体どのような効果を及ぼせばあんな事になるのか。
怖いもの見たさでますます知りたくなってしまうのは、ラルの魔法を扱うものとしての悪い癖なのかもしれなくて。
「……今の魔法の効力が一体どんなものなのか、ご存知ですか?」
「ああ、あれは……アむごっ!?」
「バカモンがぁ! こんな小さな娘に余計な事言うんじゃねえ!」
「へ、へいっ。すいやせんでしたぁっ」
抱えられたまま、それでも問いかけたら、髭もじゃおじさんが生まれてこの方幾度となく聞かされてきた大人の言い訳に先が封じられてしまう。
少し前なら、反発もしただろうが。
ラルは肩をすくめて、それ以上詮索するのを止める。
実際のところ、仮面をつけていても小さくなってしまっているのは確かであり。
悪意のかけらも感じさせない髭もじゃおじさんが、ラルの事を思ってそう言っているのはよく分かったからだ。
(髭もじゃおじさん、あんまり盗賊とかむいてないんじゃない?)
とは言え、あの【水】の精霊に愛されし少女を含め、幾人もの娘達が捕らえられていたのは確かなのだ。
それでも彼らは、この件に関してはあのだんだん目も当てられない叫びが弱々しくなってきたヴォトケンと名乗った男に脅し唆された可能性もあるが……。
ぐるぐると思考が回り、そこでラルは髭もじゃおじさんの名前すら聞いていない事に気がついて。
取り敢えずそこから始めようか、なんて思い至った時だった。
「……っ!」
それまで中空を転々として纏まりのなかった【風】の魔精霊が、急激に活発化し集まりだしたのは。
【火】や【闇】の魔精霊がラルにとって家族同然であり、今や自身の一部であるとするならば。
その風の魔力は、相性もよく大好きなもので。
だからこそ、ラルが故郷から逃げ出した原因でもあって。
そんな風の魔精霊が、ラルの方を……正確にはラルを抱えていた盗賊達に。
攻撃性を持って意識を向けている事に気づかされて。
ある意味逃げ場を失ったラルに生まれた感情は、とめどない反骨心であった。
「な、なぬっ!?」
驚く髭もじゃおじさんを尻目に、その腕からするりと抜け出し一歩前に出るラル。
「……【闇】よ! 言の葉、呪いの拒絶を願う! 【エクゼ・リオミット】っ!!」
杖などの媒体や、文言呪文を唱えなくとも魔法を扱えるラルにしてみれば。
それらを扱う事はこれすなわち本気になる必要があると意味していて。
盗賊たちがラルの突然の行動に固まる中。
マントや仮面と同じくどこからともなく取り出したるは星型の可愛らしい発動体をつけられた小さく細い杖。
闇の精霊を呼び寄せ、闇色の靄を形作るその魔法は、一瞬ヴォトケンの闇の魔法を想起させるが。
魔力が見えるものからすれば、集まってきた魔精霊の数も多く、より精錬されているのが分かった事だろう。
実際、盗賊たちが泡食って逃げ出すよりも早く。
生まれいでた闇の靄……ヴェールのように広がったそれは。
すぐそこまで這い寄っていた風の魔精霊によって作られた不可視の風の刃とぶつかりあって、激しく空気が軋み、暴れる音がする。
それは、闇の魔精霊と風の魔精霊のぶつかり合いによるお互いの非難の声。
何が起きたと慌てふためく盗賊達の中、ラルは仮面の下で顔をしかめていた。
(……かなりの使い手だな)
しかも、受けた感触で、異世界まで逃げてきた原因となったものの魔力に酷似している事に気づかされる。
(もしかして、ここまで追いかけてきて、もう見つかっちゃったのか?)
思わず、盗賊達と一緒になって逃げ腰になるラル。
傍から見れば、ついさっきまで敵対していたなんて到底思えないだろう。
まぁ、元々お互いにそこまでの気持ちはなかったかもしれないが。
「いやぁ。まさか防がれるとは思わなかったけど。……見つけたよ、迷子さん」
「……っ!」
そして、聞こえてきたのは。
どこか面倒そうな、だけど敵意もなにもない、こちらを気遣うような安堵の声。
いつだって耳にしようと、追いかけ続けていた声。
いっしょにいられる事、叶わないと知って。
二度と聞きたくないと思っていた声で。
「あっ」
気づけばラルは逃げ出していた。
アイの事も、ヒゲもじゃおじさんの事も。
つけていた仮面の事すら忘れて。
自らを分解し、炎の魔力と同化させ、大地に、世界に染み入るように……。
SIDEOUT
(第10話につづく)