第4話、夜を駆ける怪人となって、ひとを思いやれる少女の鏡となる
『お~い。そこのきみ。青い髪のお嬢さん、きこえますか?』
「……っ!」
どんな自分で語り出せば良いのか。
未だラルの中で確たるものがなくて。
ほとんど手探り状態で。
それほど勢い込んだわけでもなかったのだが。
視えるだけあって、やはりその魔法による声も届いていたらしい。
びくりと飛び上がる程に驚いて目を見開く少女。
見た目から判断するに人間族のようではあるが。
肩まである波打つ青い髪を鑑みるに、ラルをラルとして形作る魔力構成とは対極に位置する、【水】や【氷】の魔法が得意そうに見えたため、警戒されてしまったのか、なんて思っていたが。
「めがみさま……」
『……え?』
何やらかつて故郷で嫌がらせ半分で言われた事のある言葉の一つが聞こえてくる。
見えているだろう事は分かっていたが、まさかそこまではっきり見えるのかと驚こうとして。
それって自分は女神的な何かですと言っているようなものだと気づいて、慌てて自分を否定するラル。
むしろ、自分の夢叶えるに値しなかっただろう見た目に嫌悪していたのは事実で。
そんな曖昧な呼び方をされるのは勘弁して欲しい。
そう思い、改めて姿を現しまずは自己紹介を、なんてラルが思った時だ。
めがみさまと、ラルにとっての禁句をうわ言のように繰り返していた女の子が、火が付いたように泣き出したのは。
「……わああ゛あ゛~んっ! ご、ごめんなさいめがみさま~。わたしがたすけてなんてい゛ったからぁ~っ」
『……っ』
泣き出したのは、泣きたいくらい辛い事が、助けて欲しい事があった……からじゃない。
彼女は、自分のせいでラルが自分と同じ立場になってしまったと嘆いている。
まさか、出会って間もないにも関わらず、そこまで思われるなんて思いもよらないラルである。
女神なんかじゃない、自分の役目を投げ出して逃げ出したただの愚か者に。
そんな気遣いをくれるのか。
……この状況で、火の魔精霊に魔力に愛された自分が熱くならないでどうする。
かつての自分を思い出し、少しばかり戻るラルの生気。
それとともに、この世界での『自分』が明確に固まっていくのを感じていて。
「……何をおっしゃいます。気高き『水』に愛されしお嬢様。『私』がここにいる事にあなたが憂う事など何一つありはしません」
素面じゃ言えない台詞だから、ラルはかつてのように白い……口元以外を隠した仮面をつける。
ラルの故郷……巷では、『夜を駆けるもの』なんて呼ばれている者が必ず身につけているというアイテム。
必要に迫られ、自らを隠し偽る時。
ラルはこの仮面をつける事でなんにだってなれた。
世紀の大義賊にも、国を救う英雄にも、ニヒルと胡散臭さに凝り固まった水先案内人にも。
此度は、尊き心を持つ少女のための騎士か、あるいは忠実なる執事か。
仮面だけでなく、極彩色のマント付きで現れたラルに、泣いた烏……少女もびくりと泣き止み、突然の闖入者に、牢にいた女たちの幾人かが反応する。
ざわつき、不安と……一抹の期待が集まってくる。
しかし、一度役に入ってしまったラルは、先程までの人生投げやりさなど微塵も見られず。
堂々と周りをスルーし、まさしく今のラルを『召喚』した少女に対し、今一度声をかけた。
「私はラル。しがない火の眷属にございます。名を。お嬢様の名を頂きますれば、神にも悪魔にも、ランプの精でさえなりえましょう」
もはやラルには、何やってんのオレ、といった思考すらない。
これももしかしたら、現実からの逃避なのかもしれないが。
「あ……わ、わたしはアイです。……ええと、んと。さっきのめがみさまですか?」
「女神等と云った高尚なものではございません。アイさまの祈りにより異世から呼び出されし火の霊にございます。……どうやら何かにお困りの様子。アイさま祈りに従い、その憂いを払う機会を私にくださいますよう、どうか」
敢えてのくどい言い回し。
とりあえず女神と呼ばないでと訴えさえ理解してもらえれば良かったのだが。
ラルに言いたい事が、少女は分かったのだろう。
かと言って許容できない、とばかりにその海のような瞳を見開き、駆け寄ってきた。
「だめだよめがみさま! ここは女の人をさらったり人のものをとったりする悪い人のアジトなの! 見つからないうちにはやくにげっ……!」
コツコツコツと。
やけに響く足音が、少女……アイの言葉をせき止める。
びくりと縮こまり震える仕種。
それが、その場にいる他の者達にも伝播し広がっていくのがラルにも分かって。
一体どんな『悪い人』がやってくるのかとラルなりに身構えていると。
現れたのは野盗にしては仕立てのいい服を着た、中肉中背の男だった。
顔の前面にかかる突き出た髪が、『黒色』に見えてびくりとなる。
牢屋にいる女性達に黒の髪を持つ人はいなかったので、希少という意味ではラルの故郷とさほど変わらないのだろう。
黒色の髪は。
魔法を、魔力を、世界を構成する十二の根源において『闇』に愛されしものを表す。
『闇』は、希少な属性でしかも強い。
故に、牢にいる女性達は、見ただけである程度その男の恐ろしさを理解できていたわけだが。
仮面の従僕になりきっているラルが恐れを覚えていたのは、黒の色が今絶対会いたくない、逃げてきたばかりの人物の色だったからに他ならない。
『彼』は黒の色を持ちながら、特に闇の根源に愛されていたわけでもなかったが。
裏を返せば常識に囚われない特別な人物だったとも言える。
何せ、たくさんいた彼の弟妹で誰一人彼と同じものはいなかったのだから。
故に、ラルはほとんど反射的な行動で。
びくっとなって逃げ腰になっていたわけだが……。
(第5話につづく)