消耗の美学。
戦闘シーンがあるエンターテイメント作品においては2つの美学があるといわれる。
1つが「破壊の美学」
もう1つが「消耗の美学」だ
1つ目は何と言っても、主役側の施設、組織、武器、道具、そして「大切なもの」が破壊されるカタルシスが視聴者を惹きつけるというもの。
破壊の美学のために作られたガンダムであるビルドファイターズが名作だったように、昨今のロボットアニメは割とこれをガン無視している作品が多い。
ことガンダムなんかかなり勘違いされていると言える。
初代ガンダムは無敵のようにも思えるが割とダメージを受けている。
本当に無敵のように凶悪化するのは後半に至ってだが、後半になると敵に性能的に追いつかれてやはり被弾はそれなりにしているものだ。
だが、それでもやっぱり一連のガンダム作品は一部シーンを切り取っただけでは「無敵」っぽさのイメージは拭えない。
しかし通しで見るとあまりそれを感じない。
その「無敵感」が薄れる要因があるのだ。
それこそがもう1つの「消耗の美学」である。
戦闘物の作品をやる上で、「名作」とされる作品は大体これがきちんと演出されていると断言しておく。
これを適切に取り込めば「主人公が俺tueeee」するような作品に感じなくなるのだ。
代表的な作品といえば「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」などだろう。
劇中、νガンダムは正直言って圧倒的な強さ。
だがなぜか「スーパーロボット」としてのイメージは全くない。
ZやZZとはまるで違う。
なぜなのか?
それは劇中どんどんνガンダムは消耗していくからだ。
後半の最期の戦闘シーンをみてみよう。
出撃時はフル装備のνガンダム。
クェスとギュネイに遭遇すると、νガンダムはいきなり虎の子のフィンファンネルを1発使う。
これは消耗品。
迂闊に使えない。
だがこのフィンファンネル1つで最初の邂逅は見事に切り抜ける。
そこから今度は敵の集団が波状攻撃を仕掛けてきて、さらにクェスとギュネイの連携攻撃を受ける。
その際、デコイを駆使しつつνガンダムはさらにフィンファンネルを2つ追加。
その後、クェスとギュネイの挟み撃ちに合うことでさらに2つ追加し、この時点で4つを使い切る。
その上、ビームガン内臓のシールドはギュネイに破壊されて実質丸腰に。
しかしここで機転をきかせて何とかギュネイを撃破する。
実際はギリギリのせめぎ合いな演出がとられている。
ギュネイを撃破したことでクェスを振り切ることに成功したアムロは次にシャアと戦うことになるわけだが、この時点でシャアの消耗はアクシズを狙った核ミサイルをファンネル4機で迎撃していて実際はアムロの方が不利なのだが、やはり宇宙世紀最強クラスのパイロットだけにものともしない。
ぶっちゃけシャアはアムロに対しては苦手意識があるのか、他のパイロットと戦うよりもどうも弱い感じがする。
ここでνガンダムはバズーカを遠隔射撃し、シャアの乗るサザビーの盾を破壊するが、それまでに4発射撃していたバズーカの装弾数は5発だったようで、最期の1発を放ち、νガンダムの武装はバルカン、メインのビームサーベル、予備のビームサーベル、そして主武装のライフルのみ。
サザビーは内臓の腹部のメガ粒子砲があるのでかなり有利ではあるのだが、νガンダムはかなりの消耗具合である。
しかしアムロ自体はあくまで作戦遂行ばかり考えているので、シャアが用意していた戦艦の核爆弾の爆発を利用して見事に振り切ってしまう。
一連の状況の中、ブライトはアクシズに到着し、ロンドベルは陣を張る。
その間νガンダムはアクシズのノズルを一基停止させ、その際に決着をつけたいシャアが怒涛の勢いで5秒で5機のジェガンを撃墜しながら追撃してくるわけだが、この追撃でシャアは2個あるうちの大型ビームサーベルを1個消耗してνガンダムのビームライフルを破壊。
νガンダムはさらに武装が減る。
どう考えても普通ならアムロが負けそうなのだが、すぐさまデコイを射出し、サザビーの身動きをとめ、さらにそこに生じた隙を突いてサザビーのビームライフルを破壊。
お互いにビームサーベル同士による攻撃になるが、サザビーはこの時点で傾向型のサーベル2本、大型1本、腹部メガ粒子砲一基があり、まだ有利。
だがνガンダムはいともあっさりとバルカンで腹部メガ粒子砲を封じてしまう(もしくはパワーダウンした)
その後、ギラドーガからビームマシンガンを奪うが、これもすぐサザビーに破壊される。
最終的に互いに武装が無くなって肉弾戦になっていく――
というわけだが、お互いの機体は大破せずとも30分かけて丁寧に消耗していくので本当に引き込まれるわけだ。
まさに消耗の美学といえる。
消耗の美学のもう1つの例といえばもののけ姫だろう。
最初はフル装備だったアシタカだが、中盤以降、劇中どんどん武装を消耗しておく。
一応言っておくと、ミノなどは残っているし、弓もオッサンに渡しているので全て失ったわけではないが、刀剣や頭巾のようなものなど、どんどん消耗していっているのは事実。
これもやはり引き込まれる要因だろう。
宮崎駿監督もまた消耗の美学は心得ているようで、戦闘重視の作品ではどんどん消耗していくパターンが多い。
ラピュタを見てもパズーは父親の形見であるゴーグルなどを失っていくわけだし、靴なども脱ぎ捨てていくためどんどん貧相な見た目になっていく。
まあ実は企画時にはこの時の格好が海賊服の予定もあったが、それだと締まらないな。
ハウルの動く城でも城自体はどんどん崩壊していくわけだし、失われていく消耗の美学みたいなモンはきちんと備えている。
筆者が一連の描写で思うのは、戦いというのは消耗するものなのだから、それを描けば俺tueeeみたいな印象は払拭できるだろうということ。
なんていうかさ、昨今の戦闘作品ってそういうのないんだよね。
ロボット物だといきなり機体が大ダメージうけて崩壊していくパターンばかり。
数分で一気に丸腰になるって全然引き込まれないわけよ。
攻殻機動隊みたいに光学迷彩捨てた後に残弾確認して、その上でなんとなく空を空しく見上げるみたいなシーンがいいんじゃない。
なんで最期の数分前まで全力全開で、武装も完全な状態な作品が近年はこんなに多いんだろう。
最終話を戦闘回にもっていくなら、30分かけてこれまで活躍してきた武装が無くなっていく方が引き込まれるだろうよ。
そこに駆け引きがあるからカタルシスが生まれるわけだし、そういうのを意識すべきなんだよ。
とりあえず装甲板を破壊しときゃいいかみたいな演出は駄目だ。
まず弾が無限みたいな描写の時点で駄目だ。
F91のようにあっさり武器を捨てて、逆にそれで最終決戦前に拾って増やすみたいな展開の方が面白いだろうと。
筆者がガンダムUCの戦闘シーンを褒める一方で100点を与えないのはここにある。
劇中、ユニコーンが全然消耗しないんだこれが。
武装が余ってんのに使わないから違和感しか感じないわけ。
アレの全体的な内容は80点以上だが、ラストの展開は完全に失敗。
なんで1話のスタークジェガンの戦闘で消耗の美学を見せつけておきながら、ラストにそれが出来ないんだか。




