キングクリムゾン現象の多い昨今の漫画やアニメ
今回は裏話というか、時系列と説明、演出の大切さについてのお話。
昨今の作品にやたら多いのは、筆者が勝手にキングクリムゾン現象と名づけている演出の飛びや矛盾。
キングクリムゾンとは当然にしてジョジョ第五部のスタンドの能力のこと。
こいつの能力は劇中「過程を吹き飛ばし、スタンド能力者の望んだ結果だけを残す」という単純な時間飛ばしではない凶悪な能力なのだが、
視聴しているとわかるが、一部の演出家はやたらとこういう演出を多用するのことに改めてこの作品を通して警笛を鳴らしたい。
まず時系列の大切さについて。
なろうで小説を描く者なら、その大切さは理解していることだと思う。
自分の頭の中では恐らく、文面に書いている以上に様々な展開が浮かんでいることだろう。
問題はそれをどこまで描写するかだ。
例えば筆者が何度も苦労しているのは「どこまで描写すればいいのかがわからず単調な内容が続いてしまう」という弱点があり、それで何度か小説を削除している。
2万時もかからないと思っていた序章が細かく描いたら13万字に至ったのが初投稿作品だったりする(10万字到達の時点で全然先に展開を進められないので削除してしまった)
それこそ筆者の場合は主人公やヒロイン、敵がどこのタイミングで風呂入ってトイレ行ってまで考えていたりするが、そんなものは細かく描写できない。
しかし圧縮した内容にする場合、必要なもの以外全て削ぎ落とす事になる。
恐らく……いや恐らくかどうかは不明だが、キングクリムゾンはこういった時に発動してしまうものだとは思う。
通常ならばね。
しかし筆者が問題視している演出家はどうも「なんとなく」でそういった展開を入れているようであり、その部分についての説明を問われると避けることが多い。
まずは具体的にキングクリムゾン現象の例を示すことからはじめよう。
一番わかりやすいのが「ブブキ・ブランキ二期」の「1話」だ。
意味不明すぎる。
まず1話。
一期の終盤、主人公一行はあるものを失う。
それは「オウブの胴体」
合体のために一番重要な部分だ。
このため、彼らは合体できなくなってしまった。
二期の一番最初の話は「それの回収」と思われ、どういう展開になるのだろうと期待される。
そうすると台湾で観光旅行していて「あ、もうだめだこのアニメ」と思うんだが、筆者はその程度では見放さないでとりあえず1話は見てみるタイプ。
そうするとメンバーの副リーダー的なヤツが言うわけだ「俺達はオウブの胴体のためにこんな所まできてるが、羽を伸ばしすぎた」みたいな話を。
そこで前回との繋がりを感じることが出来る。
そのままストーリーは進んで一気に中盤以降まで話を飛ばすが、
中盤以降、突如として黒いオウブが出てくる。
初見で見た人間は「なんてこった、胴体が回収されてしまった!敵に落ちたか!」と思うかもしれない。
だが次の瞬間主人公が現れるとこう叫ぶのだ「みんな!合体だ!」――と。
そして本当に合体して戦闘に入ってしまう。
これがキングクリムゾン現象である。
劇中どこにも「回収」した演出はなく、「回収シーン」もない。
しかも主人公は明らかに数分前ぐらいまでにオウブの胴体が無いことで葛藤している様子があった。
にも関わらず、何の説明も脈絡もなくいきなり失った胴体が復活して合体する。
あえて言おう。私はこういう演出がたまらなく嫌いだと。
いいか、こういう展開だと王道展開は5パターンぐらいあるはずだ。
1つ目、本当に黒いオウブは敵が回収したもの。
2つ目、黒いオウブは敵が建造したもの。
3つ目、黒いオウブに呼応し、胴体が出てくる。
ここで敵が「計画通り」となるが「何てことだ!」となるかみたいな展開が王道的だ。
4つ目、絶体絶命のピンチに仲間の心が1つになり、オウブの胴体が浮上
5つ目まさかの炎帝登場。以降、二期の主人公機へ。
上記の展開だが、1つ目はまあ主人公側に戻っていくんだろうなとやや凡庸な展開だ。
それ以外はまあ演出によりけりといった所。
しかし一方で本編は何1つ説明がなく復活したことが問題だ。
そのために台湾きたんじゃなかったの?
何のために台湾きたの。
合体シーンを見たときに筆者の中にはマガジンのような大きな文字で「!?」が浮かんでいたが、その後はもう「?」マークが周囲に形として現れそうなほど意味不明だった。
これがキングクリムゾン現象の一例。
これ以外にも多数例がある。
で、突然描写が飛ぶというのは、2007年以降のライトノベルアニメなんかに極めて多い。
何の脈絡もなく異世界に飛ぶとか、何の説明も何もなく突然よくわからない敵が登場する。
それが本編がカットしたことで発生したならいいが、大体原作自体そういうものだから正直いって「アニメ化する上で何か設定つけろよ」と思うものだ。
そこは改変じゃないだろと。
ブラックラグーンみたいに原作に丁寧に肉付けすればもっと評価されるだろうと思う作品画たくさんある。
というか肉付けされたからあれは名作になったんじゃないかな。
しかしそういうのがないと、なんていうかそれがあまりにも世界観に合わないというか、そもそも世界観もこれといったイメージが出来上がっていない作品だと違和感しか浮かばないような演出となる。
文字通り「作者が望んだ結果だけが作品に反映されていて、過程が完全に吹き飛んでいる」
例えばこれがどういう違和感かというとだ、ジブリ作品、特に宮崎駿は展開を早めるために暗転や場面転換を駆使しているが、それで例えればむちゃくちゃすぎることを平然とやっているということだ。
紅の豚でいえば、豚がマンマユートを倒してガキンチョが上に乗って飛行艇で金貨を積載したゴムボートを曳航したシーンの後に暗転したらいきなり「ローンをしょった空賊なんぞ絵にもならねえ!」とか言い出す展開になるような感じだ。
「おい豚どこ行った」とかになるが、そのまま「アメリカ野郎きてるか?」なんて展開になったら「いやアメリカ野郎って誰だよ!」ってなる。
ここで重要なのは、ここにいきなり飛ぶというのが作品が完全破綻するレベルの展開じゃないことだ。
マンマユートはつい2分ほど前に船体の後部が破損、次の展開に出てきたときは修理されてペンキ代が無く、後部は銀色の地がむき出し。
こういった状況から「ああ、修理代稼ぐためにまた活動してんのか」と思えなくもない。
しかしいくらなんでもこれじゃ主人公がおざなりだし、意味不明すぎる。
いきなりエース級がでてくるわけだから。
いわば筆者が今回を通して言いたいのは、「こういうのをやっていないか周囲に確認とってから実際に製作してほしい」ということだ。
宮崎駿監督の場合はこういう事に陥らないようにタイムスケールを書き、それぞれがその時間帯何をしているかメモで記している。
本編中で映像として映し出されるのは「その時スポットライトを当てなければならない所に対して」である。
もののけ姫なんかをみるとわかりやすいと思う。
そして展開の切り替えが極めて秀逸だ。
実際の紅の豚ではポルコ本人は飛行艇のエンジンの調子を見ている。
カーチスが一気に降下し、敵に接近した瞬間に一瞬でスポットライトが切り替わる。
そしてラジオでその後の展開が語られた後に、「次はお前だ!豚出て来い!」といったコメントをアメリカ野郎など全員がいるカットで出すことで「アメリカ野郎が襲撃してくる」というフラグを立てる。
その上でアメリカ野郎は言うわけだ「1対1だ!」と。
この裏では実は周囲を説得して1対1にすることを望み、周囲が背中を押していてカーチス自体も意外と空族連合を気に入っているという話があったりするのだが、これらはそこまで重要シーンではないのでカットされている。
ちなみにアメリカ野郎と空族連合との契約は「豚を落とすまで」だったりする。
あの豪華客船の時の護衛だけじゃないんだよね。
そのために空族は多額の資金を支払っており、カーチスは豪華客船と合わせて豚の飛行艇の建造費を余裕で支払える額の金額を手に入れているわけだ。
ケチだと豚は言った一方、ケチになった原因が実は豚そのものにあるというのが実に秀逸だ。
そしてそれで彼らを撃退して豚が稼いでいる額はそこまでではなく、カーチスは1発の仕事で豚の飛行艇代のローンを全額支払える金額を手にしているわけだから、実はカーチスの方が賞金稼ぎとしての才能は上だったりする。
この辺りは宮崎駿本人が話を残しているので資料を集めてみるといいかもしれない。
おっと、話が逸れてしまったが、いわばこういう丁寧な展開こそ本当にアニメに求められるものだ。
しかしそれが出来ない脚本は少なくとも数名いる。(4人ぐらい)
その中でも有名なのが○野さんだろう。
吉○さんというとPxivの大百科に書いてあるのがシンプルだが、それ以上にキングクリムゾンの能力者として名高い。
トリニティセブンなんかを見てみればよくわかると思う。
原作で説明があった部分を飛ばしまくったアレなんかは、いきなり場面が変わって「んだよこれ……わけわかんねえ」なんて事が頻発している。
説明が必要なところで説明がなく、必要ない説明を入れるからそうなる。
あの人の場合、オリジナルだといきなり説明も無く敵が出てきたり、敵の集団が出てくるなんてパターンがかなりあるかな。
何の伏線もないから凄いぞ。
どこぞのクソゲーオブザイヤーで「次の瞬間東京スカイツリーらしき場所から浅草寺に移動した」とかいう部分が叩かれたが、割と普通にアニメ本編でそれが頻発してるタイプだから。
アクセルワールドの3話あたりがそうだった気がする。
まぁ原作物にシリーズ構成としてクレジットされたらご愁傷様だと思うが、流石にあまりに批判され、その上で売り上げも上手く出せなかったからか最近はあんまり出てこなくなってきたような気がする。
一昔前はバッシングも酷かったね。
もう1名は今度ルパンの5thシリーズを担当する人ね。
コレもそういうタイプだ。
コードギアスなんかを見てみたらわかると思う。
筆者がコードギアスをあまり好きになれないのもコレが原因。
こっちの方は本当に付け焼刃的後付けが多く、「いやなんで突然裏切ったんだよ」ということが多い。
ゴットバルト卿が裏切った時に当時「うおおおお!」とか叫んでいたネットの状況を見て筆者はむしろ違和感しか感じなかった。
「なんで名声や純血主義に拘ってた男がいきなり願えるんだ?」と。
そこに至る伏線が殆どない。
確か主人公の母親が殺された際に近くにいただけだ。
いただけで心情も何もわからない。
こういうのも筆者は好きになれない。
一応言うと筆者は「ギャグ展開」とかは嫌いじゃない。
シリアス作品で「ギャグにしか見えない突発的な展開が極めて苦手」なだけだ。
ギャグ展開といっても「キャプテン翼」みたいな本人達は真面目にやってるタイプで見ているとオイルが沸騰するような展開になるタイプは除外している。
しかもキャプテン翼は演出がギャグってるだけで、翼と日向によるツインシュートを受け止めかねない伏線はちゃんと立てられている。
ネタにされるがミューラー君は大岩を素手で叩き割ったりして練習しているシーンがあるからね。
アレは本人達は真面目にやってるタイプである。
そもそもサッカーボールでコンクリを吹き飛ばすようなのが日本代表レベルなんだから当時世界最強と言われたドイツのキーパーならそれぐらい出来ないと駄目だろう。
そういう世界観だと納得できる。
しかし例えば、ミューラー君がサイコキネシスの使い手で、あのシュートを手をかざしただけで空中停止させたらどうだ?
きっと「ないわー」と思うだろう。
キングクリムゾン現象とはまさにそういうものなのだ。
「突発的に登場し、過程を全て吹き飛ばして作者の望んだ結果だけを突然描写する」
これ本当に止めた方がいいよ。




