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作品のイメージを守るために黙秘を貫き、漫画の神様を一喝して考え方を改めさせた大妖怪

昨今、様々なクリエイターが様々な場面で顔を出す。

そういった中では「実はこんなヤツなのかよ……」と思う人間も少なくない。

きっと自分も万が一有名になって表にでてもそう思われるのだろう。


ここで読者に質問を投げかけたい。

「水木しげる先生」といったらどういうイメージを連想するか?


大抵の人間は「大らかそうな好々爺」というイメージを持っているだろう。


残念ながらそれは作者が作り上げたイメージである。

本人自体は妻がゲゲゲの女房における演出がマイルドになっていると言い張るぐらい激情家で情熱家であり、鬼太郎よりも心の中に炎が灯っている人物だ。


だが、なぜこのようなイメージが無いのか?


それは水木先生が、これまで存在する漫画作家の中で最も「プロ意識が高かった人物」だからである。


水木先生はまず、基本的に作品に対するインタビューは受けない。

いつも妻に対応させ、本人はマイペースな人物を装っていて週刊誌の記者などとは接しない。


それはあたかも「猫を被っている」ように思える。


だが違うのだ、これは「作品を守るための鎧」なのだ。


水木先生には実はこんなエピソードがある。

ある週刊誌が奥さんのインタビューを行った際、それに便乗して鬼太郎についての話を伺おうと取材をお願いした。


そのとき彼は「取材費用に億単位で私に払うというならやってもいい。ただし、取材内容の一切の改変を許さない。話した全文を包み隠さず一切の手をつけず公開してもらうがそれでもいいか?」といって記者を一蹴した。


無論これは「断る」というのを遠まわしに主張したのである。

そしてその時に記者にこう伝えたのだという。

「私の言葉によって鬼太郎のイメージが変わる可能性がある。漫画家は漫画の表現だけが全てなので、そのイメージが変わりうるリスクに対する費用は決して安くないよ」と。


つまり、そういうことなのだ。

激情家で情熱家だからこそ、鬼太郎の純粋なイメージが崩れるようなことはしたくなかったのだ。

直接会った作家にも常日頃そのようなことを主張しており、「何をやったって作品について一言言えばそれを変な解釈をされて妙なフィルターをかけられる」的なことを言っていたのだという。


だから彼が作品について口にしたことは殆ど無い。

テレビの生放送ですら「今日もいい天気ですねえ」とややトボけた表現で鬼太郎に対するコメントを避けた。

それぐらい徹底していたのである。


一方、本人自体は自伝的漫画を多く披露している。

よくネタにされるのが「寝た方がいい!」と手塚先生と石ノ森先生に主張したが彼らはそれを守らなかったので早死にしてしまったというような話などがそれ。


結構そういう自伝的漫画を描いている。


こういった自伝的漫画の先生は怒ってるシーンが頻発するが、この自伝的漫画の水木先生こそ極少数の関係者だけが知る本当の姿で、彼は「漫画の表現こそ全て」を「自分自身含めて」徹底して描写していたのである。


それこそが漫画家であると自負していたわけだ。

生前の彼がゲゲゲの女房についても一切コメントを出さなかったのは、そういうことなのである。

そこで「あの時の描写は実際どうだったんですか?」に回答することが、鬼太郎のイメージなどが変わりかねない。


そういったリスクを常に警戒し、そして第三者からのイメージをボヤけた状態のものにしようと努めた。

それを天寿を全うするまで貫き通したわけだ。


そんな水木先生だが、実はたった一度だけ、手塚先生を名指しした上で雑誌で「激高」というか「批判」したことがある。

ただこれは「水木先生なりの手塚先生への敬意」とも「警笛」とも「警告」ともとれる内容だ。


雑誌名をすっかり忘れてしまったが、その雑誌の切抜きをかつては持っていた。

そこでの内容を要約する前に、その激高した状況を説明せねばならない。


手塚先生といえば漫画の神様といわれる。

多数の弟子を抱え、時代を牽引し、漫画とアニメの市場を作り上げ、そして本人も偉大な漫画家であった。


そんな手塚先生は弟子が活躍する頃、ブランクに陥っていた。

また、本人自体はテレビや週刊誌などの媒体によく顔を出すようになり、作品や弟子達に対してあれこれ述べるようになってしまっていた。


今の時代ではアイドル声優のようなものに近い。

本業が忙しいにも関わらずそういうことをしていて、それがさらに悪循環を生んでいるような様子があった。


そんな最中である。

水木先生が週刊誌の記事に自身の思いを出してきたのは。


そこで書かれている内容を要約すると、


「手塚先生は今すぐ自分と弟子の作品に対する話をやめるべきだ。現在の貴方の話は、一連の素晴らしき作品群を汚す行為であるし、漫画作家を蔑むようにすら感じる。おまけに弟子達にも鈴をつけていない状況もいただけない。作家は作品が全てであり、貴方と弟子達が芸人のように表に出てくる状態を今すぐやめていただきたい」といったようなことが長々と綴られている。


この話、手塚先生はきちんと見ていたようだ。

この話を水木先生が出して以降、手塚先生は作品そのものに対するコメントが急激に減っていく。

さらに弟子達がアイドルのようにTVに出たり週刊誌などで記事にされる状況も急激に減っていく。


この頃、手塚先生については実は連載以外でTV出演もいくつもやっていてバラエティ番組にもかなり登場していたが、これも相次いで降板。


はっきり断言しておく。

漫画家の「お笑い芸人化」または「芸能人化」「アイドル化」を阻止したのは他でもない水木しげる先生だ。


特にこの話に感銘を受けた藤子F先生は、以降プロ意識が強くなり、徹底した態度をとるようになる。


自身が作った作品集以外で一切コメントを出さないようになっていくのだ。

藤子F先生自体は晩年、銀河特急のアニメ映画でコメントを出していた事もあったが、やはり顔出し自体は極めて少なかった。


弟子達全員がそのような行動を慎んだわけではないが、それでも芸人化に歯止めをかけた事には間違い無く、水木先生自体は出版社などにもそういう活動を漫画家にさせるなと呼びかけを行っていたほどだという。


そしてその行動理由は「こういった行動を許せばそれも自身の作品に影響する」ということと、「国民的作品というのはそれそのものが重い責任となってのしかかるのだから、それを持つ作家は安易な行動が許されないということを自覚すべきである」といった、雑誌記事に書かれた思いを抱いていたからこそ行動したのだろう。


水木先生の数少ない主張はまさに正論だ。

例えば今この話を見ている人は、鬼太郎のイメージや水木しげる先生のイメージが変わる者もいるだろう。


それとは別に、仮の話として、鬼太郎を描いた人が星一徹並のような破天荒かつ情熱家かつ非常に厳格な人物だったと聞かされたら、鬼太郎にどんなイメージを抱くだろうか?(実際は一徹とは違うが)


やはり鬼太郎全体のイメージが変わってしまう。

あくまで鬼太郎のイメージを維持したいため、墓場の鬼太郎のアニメ版で出てくる水木先生も、なぜか自伝的漫画とちがって大らかなイメージにされていたのだ。


特に漫画家にはいい例があると思う。

おぼっちゃま君の作者なんて、私からすればどこまで漫画で政治を語ろうがおぼっちゃま君のイメージを引きずるせいで「格好つけてるオッサンだけど中身は御坊茶魔が変な知恵つけて大人になっただけ」というようなモノしかない。


いやなんか作品内で半ば認めているような気がするが。

(外伝の女についてとか見てみると、完全に御坊茶魔が性に目覚めた後のオッサンになった話にしか見えんし)


大半の人はおぼっちゃまくんのイメージが変わるような感じがするだろうが、アレを見てみればゴーマニズム宣言などの方が薄っぺらく見えて来るから安心してほしい。


なんていうか本人の強烈な思想のようなものを感じず、結局は「ともだちんこって叫んでるだけの方がマシやないの?」と思う所がある。

いやむしろアレだ「ともだちんこ」の真の意味を教えてくれたというべきか。


それが変に一部の層にウケてコメンテーターの仕事をやってるようだが、アンタは私と違って水木しげる先生その他、石ノ森先生含めて漫画黄金メンバーが生きてた時代が子供で羨ましい反面、そういう人らへのクリエイターとしてのリスペクトは微塵もないんだなと思うものだ。


いわば水木しげる先生が漫画家のアイドル化や芸人化をなぜ防ぎたかったかは、大体この人が証明してくれている。


そして半ば反面教師と化している面があるから、これからも水木しげる先生の意志はそれとなーく浸透して漫画作家がそのような世界で平然と生きるというような事はないのだろう。


だとすれば声優という職業はどこで間違ったのだろうね。

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