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格好良い彼女と可愛い彼

作者: 永才頌乃




 長い睫毛に大きな瞳。少し薄くて形の良い唇に、上気した頬。


「やっばっ、遅刻……っっ!!」


 ショートボブにした髪を揺らし、通う高校までの(みち)を必死に走る、制服姿の可愛らしい少女。しかし、その下半身を覆うのはスカートではなく、何故かズボンで。


「……くそっ、あの男さえケツ触って来なきゃ余裕だったのに……!!」


 ──否、違った。少女ではなく少年だった。


 彼女、──失礼。彼は、愛らしいその顔を怒りに染め、低過ぎない声で文句を言いながら必死に足を動かす。




 全ては電車に乗ったところから始まる。



 電車通学の彼は、数分が経過した頃に自分の尻に違和感を感じた。


 それは、何かが触れている感触。


 初めは、鞄か何かが当たっているのかと思っていた。それなりに人の多い車内だったから。

 けれども、さわさわと動くそれに、人の手だと知った彼は盛大にブチ切れる。




『……ざけんな、こんのど変態がー……っっ!!!』




 幾ら可愛らしい容姿をしていても、彼は男。恋愛対象も女である彼にとって、男に尻を揉まれる行為は例え相手が痴漢でなくとも気持ちが悪い以外の何物でもなかった。


 そうして駅員に痴漢を突き出した彼は被害状況などを詳しく訊かれて答え、目撃者が証言してくれたためにその人に礼を言い、と。

 色々としている内にかなりの時間が経っていたらしく、こうして遅刻ギリギリ。路を全力疾走する羽目となっていた。

 漸く右手に校門が見えたかと思うと、そこは既に柵で閉じられていて。


「……まじかよっ……!!」


 3m以上と結構な高さがある柵。


 162㎝という男にしては低めの身長である少年にとって、そこを跳び越えるのはかなりの難題だった。


 けれども、他の方法を探す余裕はなく。


 やるしかない、と思った時。



「!?」



 左から何かが飛び出して来たかと思うと、それは軽々と校内への入り口を塞ぐ柵を跳び越えた。


 その光景を目の当たりにした少年は、思わず唖然として足を止める。



 校門を塞ぐ柵を跳び越えたのは、自分と同じ高校の制服を身に纏ったベリーショートの男。

 ──どう見ても男。けれども、ひらりとスカートが舞っていて。


 高校の敷地内に着地した彼は、ふと顔を少年の方へと向けた。


「!」


 目が合い、びくっとした少年に、柵を跳び越えた彼は何を思ったか、再び柵に手を掛けた。

 そして難なく柵を跨ぐと、掌を上に少年を招く。



「早く来な!」



 高過ぎず低過ぎないその心地良い声に、少年は引き寄せられるように足を踏み出した。


 駆け寄る少年に、彼は手を伸ばす。


「掴まって!」


 その手を、何の迷いもなく少年は取った。

 瞬間、ぐいっと引っ張り上げられる感覚。



 気が付くと高校の敷地内にいた。



 ──とんっ、と軽やかに地面に着地する音。

 隣を見ると、柵を跳び越えるのを手助けしてくれた彼がいた。


 にっ、と笑みを履いた彼は、ぽんっ、と少年の背を軽く叩く。




「ほら、行くよ!」




 言って駆け出す彼に、慌てて少年も自身の教室を目指して走り出した。




 盛大に息を切らしながらも、何とかSHR(ショートホームルーム)に間に合った少年。

 あの彼がいなかったら、確実に遅刻していただろう。


「──おはよう。あー、出席を取る前に転校生がいるから紹介するな。

入って」


 教壇に着いた担任が声を掛けると、開いた扉。


「……あ……」


 そこからさっき会ったばかりの彼が姿を現し、少年は小さく声を上げた。


 けれどもそれは、騒めくクラスメイトらの声に掻き消され、誰にも聞かれる事はなかった。


「きゃーっ、格好い……、あれ!?」

「男の子……だよね??」

「スカート穿いてるし、……ソッチ??」




「初めまして。今日からこの高校のお世話になる、木崎(きざき)(らん)です。


こんな(なり)ですが、一応女です。よろしくー」




「……え!?女の子!?嘘ー!!」

「え、格好良い……。これなら女の子でもアリだわ……!」

「マジで女!?見えねー……」



 騒がしい生徒らに、にこっと凛々しく整った顔を緩めた──彼女は、少年に気付くと更に笑みを深めた。


 ひらひらと手を振る蘭。


「あ、さっき振り!同じクラスだったんだね。これからよろしく!」


 女だと知って驚き幾度も瞬く彼は、小さく頷いた。



 ──いや、スカートだったのは見ていたのだから知っている。

 けれど自分よりも高い身長に、己よりも1mは高い柵を軽々と跳び越える運動神経。

 男の自分を引き上げる強い力に、声も女特有の高めのそれではなかったから、てっきりソッチの人かと思っていたのだ。








「……ごめん」


 SHRが終わると、クラスメイトに囲まれた蘭。けれどそれに一言断りを入れて自分の許に来た彼女に、少年は謝罪を口にした。


「なにー?……あ、もしかして私の事、男だと思ってた?」


 にこにこと首を傾げる蘭に、少年はバツが悪そうに頷いた。


 それに気分を害した様子のない蘭は、優しく笑う。


「良いよ、気にしなくて」


「でも……」



 少年自身、普段から良く女に間違われる。そしてその度に怒りが込み上げて来た。

 その度に「俺は男だ!」と叫びたくなり、実際、叫んだ事もある。


 なのに、自分が相手と同じ事をしてしまった。


 間違われる事がどれ程心を傷付けるか知っているのに。

 その痛みを、知っているのに。



 けれども蘭は怒らない。


「良いって。これから仲良くしてさえくれればさ。

ね?」


「っ!」


 顔を覗き込んで来た蘭。

 その近さに思わず赤面する。


「あはは、ごめんごめん」


「……」


 悪びれる様子のない蘭を軽く睨みながらも、熱くなった頬を手の甲で隠す。

 ──男に見える蘭。


 しかし良く見るとその睫毛は長くて、すっとした涼しげな目は意外と大きく優しい色を浮かべ。口角の上がっている唇はふっくらとしていて形が良い。形の整った眉は吊り上っているというわけではなく、優しい弧を描いていて。

 美人と言える顔立ちだった。


 ただ、短い髪と高い身長。ちょっとした動作が男を連想させる。

 纏う空気も、凛と澄んでいて。

 堂々とした佇まいが更に拍車を掛ける。


 多分、雰囲気が人に強烈な錯覚を与えるのだろう。


「ね、名前教えて?」


 蘭に訊かれて、少年は口を開く。


「……水森(みなもり)章吾(しょうご)


「水森くん?」


 呼び方の確認か。首を傾げる蘭に、何処か気恥ずかしさを感じながらも、章吾は再び口を開く。


「……章吾で良いし、くんも要らない」


「ありがとう。じゃあ章吾も、私の事は蘭って呼び捨てて!」


 初めて蘭に呼ばれた自分の名前。

 どきりとしながらも胸に温かいものが広がる。


 自然と章吾の顔は綻んで。




「──これからよろしく、……蘭」




「ん!よろしく」


 蘭は、破顔した。






「……小学生の頃からクラブとか部活とか?助っ人として呼ばれる事が多くってさー。髪が長いと動く時に邪魔だなぁと思って、自分で切ったのが始まり?」


「……蘭……」


 出逢ってから数日。学校で二人は長い時間を共に過ごすようになった。


 そんなある日の事。


 どうして髪を短くしているのかと訊ねた所、そう答えた蘭に章吾は呆れたような声を出した。


「……あ、そうそう。前に、女の子イジメてた上級生を締め上げた事があるんだけど、『この男女!貧乳!!』って言われてさ。

私としては貧乳じゃないと思うんだけど、章吾はどう思う?」


 そう言って制服の上着を脱いだ蘭に、章吾は顔を真っ赤にして目を見開いた。直ぐに顔を勢い良く逸らす。


「……っ、脱ぐな馬鹿!!」


「えー、ブレザーだけだし良いじゃん。で、どう思うのさ」


 叫んだ章吾に蘭は口を尖らせた。


 ──因みに蘭の胸は、結構な大きさがあった。


 どうやら蘭は着痩せするタイプらしい。


「……っっ、デカイ。デカイから、上着を着ろ!!」


「本当に!?やったね!!」


 章吾が自棄になって述べた感想に、蘭は無邪気に喜ぶ。

 ふんふん、とご機嫌にブレザーに袖を通してボタンを留め出した。


 と。



「──きゃっ……!!」



 背後から小さな悲鳴が聞こえた。

 階段途中に腰を下ろしてじゃれ合っていた二人は、同時に後ろを振り返った。


「「!!」」


 二人が目にしたのは、誰かとすれ違いざまにぶつかったのか一人の女子生徒が足を踏み外した姿。


(──危ない!!)


 咄嗟に受け止めようと、立ち上がった章吾。

 だが、それよりも先に立ち上がった蘭が女子生徒に手を伸ばし、腕を取ると自分の方へ勢い良く引き寄せた。

 その片手は、階段の手摺りを確りと握り、自分と彼女が落ちるのを防ぐ。




「──大丈夫?怪我はない?」


「っっ………は、はいっ!……ありがとうございます!!」




 自身の胸に抱き留めた女子生徒の無事を確認する蘭は、そっと気遣うようにその生徒の頬に手を添えた。


 それに顔を真っ赤に染めた女子生徒。

 周りにいた生徒達も頬を赤らめた。




「……」


 章吾はその光景を見つめていた。






 その日の放課後。


「……蘭」


「ん?なにー?」


 珍しく部活の助っ人に呼ばれなかった蘭と並んだ駅までの道すがら。

 名前を呼ぶと、蘭は首を軽く傾けながら章吾を見遣った。

 その真っ直ぐな視線を受けて少し頬を赤らめた章吾は、目を逸らしながら躊躇いがちに口を開く。


「あの……さ。


いつか、蘭の身長を俺が超したら、聞いて欲しい事があるんだけど、……」


 口から出たのは、そんなはっきりとしない言葉。


 ぴたっ、と足を止め、目を幾度か瞬かせた蘭は、釣られて足を止めた章吾をじっと見つめた。


 注がれる身を貫くような視線に、章吾はより頬を赤く染め、目を泳がせる。




「……ね、それってそれまで待ってなきゃ聞けないの?」




 暫く間を挟んだ後に聞こえてきた言葉。

 落ち着きなく眼球を動かしていた章吾は、思わぬ優しい声音にはっとして蘭に視線を戻した。


 蘭は柔らかな表情を浮かべていて。


 その表情に、章吾は慌てて首を振った。


「ん、じゃあ、今言って?」


「えっ!?あ、……その、……今……?」


「うん、今」


 焦る章吾に、蘭は頷く。


 けれど、その表情はまるで大丈夫だと語っているようで、始めこそ章吾はおどおどとしていたが、覚悟を決めたように瞼を下ろした。



 ──そして、一度深呼吸をすると瞼を上げる。



 その瞳にはもう迷いはなく。






「……蘭。俺、蘭が好き。

まだ蘭よりも身長は低いし、頼りないけど……、でも必ず蘭を守れる強い男になるから。



──俺と、付き合って下さい」






 真っ直ぐに目を合わせて告げられた言葉に、蘭は頬を緩めた。

「ありがとう、章吾。私も章吾が好き」





「っ、らん」


 返って来た返事は、章吾の望んだもので。


「!!」


 ──ちゅ、と唇に落ちて来たそれに、章吾は耳まで真っ赤に染めた。




「強くならなくたって良い。──章吾は章吾のまま、私の傍にいて?」




 目を細め、吐息が掛かる距離で告げられた言葉に、章吾は喜びと羞恥に震えた。


「……の、馬鹿……!」


「んっ!」


 小さく叫んだ章吾は蘭の首裏を強引に引き寄せ、その勢いのままに唇を塞いだ。







 ──章吾が蘭の身長を越し、心底安心した吐息を吐くのは、それから二年後の未来である。










【格好良い彼女と可愛い彼・完】

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