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双藍之次第  作者: 采火
9/11

宴 ─二藍の刀─

のめや、うたえや、どんちゃんさわぎ。


つい先刻まで茶会をしていたとは思えないほどの場の盛り上がり具合に一つため息を着くと、成利はその場を退席しようとした。小姓としてもてなす側には慣れてはいたけれど、もてなされる側としているのはなんとも居心地が悪いようで。

一応寺内にいるわけだというのに、どうして女たちによって酌がされているのか。精進の心はいったい何処か。

左右の列を成した武士(もののふ)たちを一瞥して、中腰になって移動しようとする。今頃は光秀殿が愛宕辺りで先勝祈願をしているのだろうということを考えれば、こんなことしている暇はないというのに。

けれど腰を浮かした辺りで殿が酒杯を高く掲げた。一斉に殿の方へ注目が集まるものだから、成利は動くに動けなくなって、浮かせた腰を元のように戻した。


お蘭はその成利のもどかしい動作を眺めて一人で内心笑っていた。あの成利でももどかしく思うことがあるのか。いつも飄々として笑っているから、こんな様子滅多に見られない。

ずっと成利ばかりに視線を向けてもいられないから、お蘭もすいと高く掲げられた殿の酒杯へと視線を移した。そういやこの人、少し前に敵武将の頭蓋骨で(さかずき)を作っていたんだけど、あれは何処にいってしまったんだろう。きちんと埋葬したのだろうか。


「今日の宴の前に一つ、興として俺の自慢できるものを話してやろう。一つは奥州の白斑の鷹、一つは青の鳥、三つ目は“おらん”だ」


不敵に笑うと、殿はぐびっと杯を仰いだ。

この話はもう幾度目か。家臣団は聞き飽きたように苦笑し、ちらちらと成利の様子を伺う。成利はにこにこと笑ってはいるけれど、どうも居心地が悪いようだ。隣にいる長隆や長氏の憧れの視線が痛い。


「そこで、だ」


すぐそばに侍る女から酌をされ、殿は杯に波を立てる。

杯をまたぐびっと仰いで空にすると、傍らの盆に置いて、後ろに置いていた木箱を前に出す。その蓋を開けながら、殿は口上を述べる。


「俺はお前たちにこれを授けようと思う。腕の良い刀匠に作らせた二藍拵えの兄弟刀だ。」


木箱の蓋を開けた中身は、殿が言うとおり、二藍に染められた拵えの刀。脇差しが一本と短刀が一本。


蓼藍(たであい)と名付けられし脇差し。

呉藍(くれあい)と呼ばれし短刀。


名刀ではないが、この刀に込められし意味は名刀に由来する伝説をも凌ぐものとなるだろうと、殿は疑わない。

殿はそのうちの蓼藍を握ると、視線を滑らせた。ざわつく席の中で、一人すまし顔のままでいる者を見つけると、ふんと鼻をならした。


「なんだ、驚かぬのか成利」

「驚いてますよ。うぬぼれて良いものかと。だって……“おらん”なんでしょう?」


成利の意味深長な言葉を正しく受け取った者が、この場に何人いたのだろう。いや、そもそもが片手で事足りるほどしか知られない存在なのだから無理を言うべきではないのか。

不敵に笑う殿はもう一方の手に呉藍を握ると、虚空へと呼び掛けた。


「───おい、俺は“お前たち”と言ったのだ。お前も成利と並べ、お蘭」


一瞬、あれだけざわついていた室内の声が、どこかへ吸い込まれていったかのように消えていった。その意味を理解しきれない者たちがそれぞれの顔を見合ってどういうことだと真意を探し回る。

ここにきて、長隆が何かに気づいたかのように勢いづいて、成利を見た。どういうことですか、兄上。

見られている成利は殿に呼ばれたからと膳を下げて、謙虚に前へと進み出る。うん、めんどくさいことになってきたかな。

察しの良い長氏はやっぱりなと、長隆よりも物分かりの良さそうに膳の皿をつつき続けている。お料理おいしい。

森家の三兄弟、三者三様を眺めて、お蘭はくすりと笑う。兄弟だというのにどうしてあそこまで反応が違うのか、ちょっと面白い。


それからようやく、重い腰を持ち上げた。


「……なんだお蘭。こんなところにいたのか。気づかなんだぞ」


殿の言葉に、お蘭は当然という体で言葉を返す。


「当たり前ですよ。気づかれないのが私たち忍ぶものの嗜みですから」


殿のすぐ側で侍っていた女。立ち上がり、裾を翻し、成利のすぐ横で(こうべ)を垂れた。


「お蘭、ここに参りました」


誰かがぽつりとなぜ女の名が呼ばれたのかと言い出して、そこから声の波紋が広がり大波になる。せっかく静まっていた広間がまた喧騒に包まれた。

殿が静まれと一声かけると、再び静かになる。古参の臣下でも知らない者は多く……いや違う。知らないのではない。忘れていただけだ。


「殿……もしやと思いますが、そちらのおなごは甲賀の里の……」

「なんだ、知っておるのか」

「いえ……」


歯切れ悪く答える年嵩の臣下に殿はふむと少し考えるそぶりを見せた。

それから皆を見渡して、はっきりとお蘭という存在を知らしめす。


「この者は甲賀の里より献上されし、鋭利な剣。数年前に安土の城に突如首を並べたのはこやつの仕業よ」

「殿、あまり当時のことを話さないでくださいます? 若気の至りですので、私としては黒歴史です」

「何故だ。あんな見事な手土産、恥ずかしがることはないだろう」

「だって……今ならもっとうまくできますもの」


何が、とまでは言わない。ごくりと喉を鳴らす面々。お蘭はその五感で部屋中の気配を感じ取っている。ほら、今動悸 が不自然な者が何人も。この静けさであれば鼓動一つくらい聞き取るくらいはできるもの。

さて、と殿は立ち上がり、二人の前に片膝をついた。そしてまず、脇差しを成利に差し出す。


「森成利。お前に脇差し蓼藍を授ける」

「慎んでお受けいたします」


かちゃりと鞘と鍔、刃が金属特有の重たい音を鳴らして、蓼藍は成利の手に渡る。

そして少し体位をずらして、今度はお蘭へと短刀を差し出す。


「お蘭。お前には短刀呉藍を授ける」

「……慎んで、お受けいたします」


もう、誰も、何も言わない。二人の“おらん”を目にし、殿から受ける信の証を授かってもなお、お蘭が女であることを馬鹿にする者はいなかった。いや、その前、殿の口より吐かれた言葉が衝撃を与えたのか。どちらにせよ、お蘭が褒美を賜ることに関して、口出しする者はいなかった。

さて、と殿が上座へと戻る。己で酒を注ぎながら、皆によく聞こえる声で言う。


「今日という日を選んでお蘭という懐刀を見せた意図、賢きお前たちなら理解しただろうな」


不敵に笑って見せれば、後ろめたいものがある者たちがそっと視線をそらす。まぁ、これで殿に後ろめたいものがある者たちの動きはしばらく収まるだろう。忍びを好まない殿がわざわざ懐に納めていたのだ。さぞかし有能なことなのだろうと勘繰って、下手な動きはできなくなる。つまりは牽制。

このご時世。昨日の友が今日の敵になることもしばしば。お蘭はそれらを牽制するために呼ばれたのだ。たぶん、褒美はそのついでだろう。

静まりかえった広間の中、徳利から注がれる酒の音が流れる。一杯を飲み干した殿は、お蘭にほれ、と徳利を差し出す。


「せっかく、めかしこんでるんだ。もう一度酌に戻れ」


お蘭は裾を踏まないように立ち上がって、にっこりと笑った。


「嫌です」

「何でだ」

「忍びは忍ぶものですから」


正体がバレてはここにいる意味などない。そう言って一人、礼をして退出する。もちろん、授かった短刀を懐に大事にしまって。

普段はわりかし忍んでいるようには見えない素振りでいるというのに、こういう時だけ都合よく忍ぶのは納得はいかないが、まぁいいだろう。くくくと喉の奥で笑い、殿は退出を許した。



お蘭が退出した直後、その後を追って廊に出た者がいた。そう、長隆。

長隆はお蘭が忍だとこれっぽっちも知らなかった。いや、気づいていなかったというのが正しいか。成利と馴染みの深い武人たち(光峰たちのこと)の同郷の者だとは知っていたが、まさか。おなへの方付きの女中ではなかったのか。

問い詰めたかったけれど、追いかけるべき裾すら見えず、長隆はその場に立ち尽くす。

やがて、賑やかしのための女が廊を渡って広間に入ってくる。芸子の中に、殿の隣に侍っていた女の姿はなくて。

長隆は仕方なく、席へと戻る。戻った席では成利が困ったように笑って待っていた。長氏はひたすら膳をつついている。そうだ、後で兄上をとっちめればいいんだ。そういうことにして、この場は成利が褒美を賜ったことを祝って、宴を楽しむことにする。



やがて月が登頂を越える頃、宴は終幕する。

翌日の開幕は鬨の声だった。


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