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双藍之次第  作者: 采火
8/11

宴 ─化粧─

本能寺に雇われた女達が寝泊まりする長屋の宿の一室で、お蘭は茶会の後に行われる宴のために身を整えていた。美しい着物を着て、帯を締め、今は共に潜入した宗二に髪を結って貰っているところだ。

そのすぐそばでもう一人、同室となった由利という女も格好を改めている。


「お(そう)さん、髪結うの上手ねぇ。うちの姐様達が羨むわぁ」

「ありがとうございます、由利さま」


宗二はその中性的な顔立ちと男の割には華奢な身体のために、こういった女ばかりの場所に紛れてしまっても正体が見破られることはない。だから身につけた変装技術も、お蘭以下の忍びの中で最も高い。

宗二が器用に髪を結い上げるのを、お蘭は鏡越しに見つめる。うねうねと動きながらあっという間に結い上げられた髪にお蘭は称賛の意を込めて、小さく拍手を贈った。


「さ、お花さま。お次はお化粧です」


言われてお蘭は宗二に向き直る。お花とはお蘭の偽名だ。なんとも安直ではあるが、どうせ捨て名なので気にしない。

着物や小物は全て宗二に用意させたが、化粧道具は手持ちのものでなんとかなると考えて、道具箱を持ってきている。お蘭は遠慮なく宗二にそれを渡した。

かぱりと蓋を上げた宗二がおや?と何かを見つけたようだ。すすすと由利も近寄って覗き込む。

化粧箱の中に、懐紙で包まれた櫛がひとつ仕舞われていた。漆に塗られたその櫛は、お蘭が自分で買うとは思えない高級品。


「お花さま、これは……」

「さては男ねっ」


白粉が塗られるのを待ち構えて瞼を下ろしていたお蘭がちらりと片目を開ける。宗二の手にある櫛を見て、ああと頷いた。


「そうだけど、それがどうしたの?」

「つれないわねぇ。そんなんだとせっかく捕まえた男に逃げられちゃうわよ?」

「はい?」


由利の言葉の意味がいまいち分からなかったお蘭が聞き返すと、宗二が察した。これはもしや。


「お花さま、こちらの贈り主はもしや……」

「成利だけど。この間の里帰りの時にお土産としてくれたのよ」


ああ、やっぱり。宗二も長隆が片想いをしていることを知ってはいるが、お蘭は長隆から決して贈り物を受け取らない。それなら誰が贈るのか。勿論、成利くらいしか思い浮かばない。

長隆が入り込むには、お蘭と成利の距離が近すぎる。殿への忠誠という同じ思いを抱く二人には、恋の甘味など取り込む余裕はない。

だからこそ、お蘭も受け取った。他意の無い贈り物だったから。

長隆が贈り物をすればまず受け取らない。人から受けとることが苦手はお蘭は辞退し、困らせたくない長隆もきっと身を引くのだ。だからまぁ、長隆の恋に発展は見られないのであるが。

成利は結構な頑固者なので、あれこれ言いくるめてお蘭に櫛を渡したに違いない。これで恋人でないのだから、この世というものはなんとも不可思議なものです。

宗二は櫛を持って、お蘭に尋ねる。


「櫛は差されますか?」


お蘭はんー、と唸ってからいいえと断った。


「どうしてよ。こんな上物、お道具箱の肥やしにするなんて勿体ないわよぅ?」


由利も首を捻ってお蘭に言うけれど、お蘭は困った顔をしてしまう。


「だって……仕事で使うのは、違う気がするのよ」


宗二が目を見開く。お(かしら)さまにもそんな乙女心が。

お蘭は無意識に血生臭いこの仕事の中に、純粋な思いの欠片の品を持ち込みたくないと思っているのだ。忍びという立場上、血を見ない場所はない。

困った顔で笑うお蘭に、宗二はふと笑った。自分達以上に苦しい修行をくぐり抜けた目の前の少女に、生まれていた感情に。ただの殺戮人形となりかけていた忍びを人道に引き戻してくれたこの数年の月日は、決して無駄ではなかったに違いない。

宗二と違って、化粧の奥に本当の表情を隠す術のせいでひねくれた性格にもなっていない。まだ何もない、真白なお蘭の感情に芽生えたその気持ち。どうか大切になさいませ。

宗二は櫛を丁寧に終い込むと、白粉をはたくために化粧箱をあさった。そのすぐそばで由利は良いものを見たかのように、むふむふと楽しそうに表情を動かした。


「なぁに、楽しそうにしちゃって」

「あら、なんで分かったのぉ」

「……なんとなく?」


白粉をはたいてもらっているお蘭は目を閉じたままだ。それなのに由利が楽しそうだって言い当てて見せたことに、由利が驚くと、お蘭ははぐらかす。

由利はそのことに言及はしないで、だってぇ、とうっとりとした表情を浮かべた。


「殿方からの贈り物、それも櫛だなんて、夢見ても良いじゃないのぉ。あたしら芸子は、夢を見せることはしても、なかなか自分では望む夢を得られないのだからさ」


たとえ男と同衾したとしてもそれは生きるため。恋だの愛だの、与えても、与えられはしないのが芸子の務め。

仕事の報酬として美麗な贈り物を頂いても、売り払うか次の仕事に使うか。お蘭のように宝物のように大切そうにお道具箱へと入れたままにしておいたりはしないのだ。

由利がうっとりと夢見心地になるのとは正反対に、お蘭は少し後ろめたい気持ちになる。だって、自分と成利はそんな関係にならない。いや、成得ない。

お蘭が年頃の娘のように浮き足立ったとして、それは必要なものなのか。成利がたとえ自分にそのような好意を向けたとしても幸せにはなれないだろうし、お蘭もまたそのような好意を向けて成利を困らせたくはない。周りに誤解を生ませて、仕事がやりにくくなるくらいならば、やっぱりこの櫛は返すべきなのかも───


「お花さま、もしお櫛をお返しになろうとしているのならば、やめた方がよろしいかと」

「……すごい、よく分かったわね」

「私ですから」


潜入調査で培った人心掌握の術を見くびらない方がよろしいですよ、とにっこりと微笑んで言外に伝える。お蘭が苦笑したので意味は伝わったようだ。


「贈り物とは人の心が宿ります。円満な関係のままでいたいのであれば、このまま受け取って置くべきかと」


眉を調え、紅を差して。

すっかり化粧を終えて、それでも尚、宗二はお蘭によろしいとは言わない。

真剣な表情をして宗二が言うものだから、お蘭は少し戸惑いながらもこくりと頷いた。宗二も仕方なく、よろしいですよと言ってしまう。やはりまだ、お蘭の人道は発展途上。

伊賀の忍法修得のためとはいえ、幼き娘にその宿命を課した甲賀の里はなんとも無情か。分かっていたことだけれども、宗二はなんとも救われない気持ちになる。

宗二のようにひねくれてみたり、光峰のように全てを吹き飛ばせて見せる気概を持ったり、長矢戸のように公私をはっきり区別させたり、薬良のように静かに自分と言うものを貫いたり。

それができればまだ気楽であるが、お蘭はそんなことができない。ただしんしんと全てを受け入れていく。自分というものがあるようでいて、無いのだ。

宗二はこの先のお蘭がとても心配だ。彼女は忍びとして一番ふさわしくはない人種なのだから。


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