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双藍之次第  作者: 采火
11/11

怨 ─包囲網─

嫌な風を感じた。

浅い闇から意識を浮上させたお蘭は、なおも暗い闇に包まれた部屋を見渡した。隣で枕を並べていた由利の静かな寝息が聞こえる。お蘭は由利を起こさないようにそっと布団から這い出ると、窓から身を乗りだし、屋根へと器用に上がった。城の屋根から屋根へと飛ぶお蘭にとって、二階建ての長屋の屋根へと登ることなど、たやすかった。

嫌な風はまだ続いている。お蘭の肌を弄ぶようになぶる風は、お蘭の好きな風ではなかった。こんな時は何かしら悪いことが待ち構えているから。

全方位に意識を傾ける。今宵の満月はやけに地面に近い。落っこちて来そうだ。目を閉じ、耳を傾ける。目で頼るよりは、そちらの方が確実だ。どこ、悪いものはどこにあるの。

耳が、ざわつく足並みを捉えた。ここよりだいぶ遠い。でも数が多い。例え人一人の足音が虫の羽音のようにかすれていようとも、数が多ければ聞こえるものだ。ましてや五感優れるお蘭である。気づかないわけがなかった。

お蘭が険しい顔をしたとき、寄る気配を感じた。気配は四つ。そのうち一つは瞬く間にお蘭と同じ長屋の屋根へと降り立った。宗二だ。


頭様(かしらさま)

「何が起きたの」

「分かりません。ただ、兵が京になだれ込んで来ています。目的は……」


馬の駆ける音が聞こえた。それも、数えられないほど沢山。

お蘭と宗二は身を伏せて、馬が駆け抜けていく通りを見る。暗闇の中、馬に立てられた旗は。


「桔梗の紋───」


お蘭は目を見開いた。そんな、まさか。

馬の行く先を見る。この、先には。


「宗二、貴方は羽柴様に伝令を。長矢戸、薬良の二人は二条城の援護に」


お蘭は馬が通っていった通りとは反対の通りに着地する。

長矢戸と薬良は頷き、そのまま駆けていく。宗二は長屋の部屋にこもり、伝令のための支度を始める。


「俺は」


光峰がお蘭に声をかける。


「貴方は私と一緒に本能寺よ。あの馬を追いなさい。私もすぐに追い付くわ」

「御了解」


光峰が身軽に屋根の上に飛び上がる。瓦を蹴って、馬を追っていった。

お蘭も長屋の部屋に戻る。宗二は既に戦装束に着替えており、入れ替わりで出ていった。

同室の由利を起こさないように、お蘭も戦装束に着替える。長い髪を耳の後ろで束ね、邪魔にならないようさらに輪っかにする。改良が加えられた鎖帷子の上から墨染めの着物を羽織り、懐に幾つかの携帯品を納め、手甲や脚絆を身に付ける。

そして腰には呉藍を。

お蘭は苦笑する。まさか、早速使うことになるとは思わなかった。


「ん……? お蘭……?」


先程まで寝息を立てていた由利が、むくりと身体を起こす。起こさないように細心の注意を払っていたけれど、起こしてしまったようだ。


「由利。まだ寝てて大丈夫よ」

「ん……どこか行くの?」


まだ眠そうに目を擦る由利に、お蘭は笑った。


「ちょっとね。急に仕事が入っちゃって」

「あらまぁ……新米芸子なのに大変ね」


くすくすと褥の上で由利が笑う。


「行ってらっしゃい」


由利が褥の上で手を振った。お蘭は口を開こうとして、閉じる。それからさらさらと携帯用の筆で書き付けをすると、適当に目のつくところに置いた。


「行ってきます」


由利がまだ起きている。窓からではなく、ちゃんと襖を開けて玄関から外に出た。

空を見上げる。うっすらと空が赤みがかってきた。春はあけぼのというけれど、この時期の朝焼けもお蘭は好きだ。もう後一刻ほどで朝日が顔を出すだろう。

お蘭は駆ける。

屋根の上に飛び乗り、京の都を見渡しながら空を跳ぶ。

本能寺のすぐそばまで来ると、門を叩き壊そうとする兵士の姿が見られた。狭い道に、馬が、人が、ひしめき合っている。

内側へ入るためには彼らを飛び越えないといけない。はてさて、光峰はどうやって中へ入ったのか。

お蘭は伝ってきた屋根の道を少し後ろへ下がる。答えは簡単だ。


「───」


お蘭は助走をつける。かたかたと瓦を蹴って、塀の向こうへ跳躍する。

ほんの数秒の滞空時間。瓦の音に気づいた兵士が屋根を見たときには、すでにお蘭は塀の向こうに着地していた。

でかい鳥が、人が、という声がちらほら聞こえたけれど、お蘭は黙殺する。今にも破られそうな門を後ろに、寺の奥を目指す。

さっき屋根を跳んだ時、先導していた人物と目があった気がした。口角をつり上げていた気がする。

それでも彼は何も言わず見逃した。たぶん、お蘭一人でどうにもならないとたかをくくっているのだろう。あの金柑野郎、舐めた真似をしてくれたな。

お蘭は舌打ちしたいのをこらえて、奥の間を目指す。余計な騒ぎは立てたくないので、同じく境内に止まっていた小姓にさえ姿を見せないように移動する。

キィン、と風にのってかすかに金属の打ち合う音が聞こえた。

お蘭が飛び出す。懐から取り出した苦無(くない)を投げる。忍の首にささると思いきや、何かを仕込んでいるのか苦無が弾かれる。しかし首の衝撃に驚いた忍の隙をついて、光峰が忍を切り伏せた。


「光峰!」

(かしら)ぁ……遅いって」


光峰が、全身から血を流しながら膝をつく。転がる死体の数と彼の姿を見比べる。半分は返り血だが、半分は彼自身のものだ。


「殿は」

「奥。ごめん、一匹逃がした」


光峰が肩で息をしながら報告する。

お蘭は死体の一つを転がした。知らない顔。伊賀か。


「伊賀五人……全員中忍だと思う」

「逃がした一人は?」

「上忍」


きっぱりと光峰が言い切った。


「強い?」

「知らねーよ。打ち合う前にさっさと離脱しやがった」


ふてくされたように光峰が言った。お蘭はそう、と頷く。


「門が突破されてからが本番よ。私は今のうちに殿に報告しに行くわ」

「御了解」


光峰が大の字に転がった。動けないほどの怪我では無さそうなので、放っておこう。

お蘭は駆ける足を早めた。光峰の話では上忍が一人いるらしい。考える。ここで上忍が出てくる意味。目的。

殿が休んでいる部屋まで来ると、がたごとと争う音がする。お蘭は遠慮なく障子が開けた。


「殿!」


単姿の殿が肩から血を流しながら膝をつき、成利がそれを庇うように忍に向かって刀を構えている。

忍がお蘭を見た。

視線が一瞬交わる。

お蘭は本能でその場から飛び退いた。前に。

すこんとこぎみよい音を立て、向かいの建物の柱に突き刺さる。

お蘭はそのまま短刀を抜き、忍に切りかかる。忍は音もなく避けると外に出る。殿に向かって投げられた苦無を、お蘭が短刀で弾いた。

笛を出す。光峰に追いかけるようにと指示を出す。

そうしてようやくお蘭は殿を省みた。成利が気をきかせて止血していた。


「お蘭、何が起きている」

「本能寺、及び二条新御所が囲まれています。その数、一万を優に越えるかと……」

「ふん、俺の寝込みを襲うとは……して、その馬鹿はどこのどいつだ」


ぞっとするような氷の笑みを張り付ける殿に、お蘭は目をそらした。


「どうした、早く言え」


お蘭は膝をつき、頭を垂れる。殿は確かに敵を作りやすい御方だ。それでも、彼が本気で裏切るとは思っていなかったはずだ。気づいていたらとっくに手を打っているはずだもの。

お蘭は黙っているわけにはいかないと、口を開く。


「先のは伊賀者かと思われます」

「違う。外の喧嘩は何だと聞いておる」


だめか、とお蘭は目を伏せた。


「門前におりましたのは、明智光秀殿とお見受けいたしました」


殿は目を細める。それから肩を震わせ、腹のそこから笑い出した。

どうすればいいのか分からないお蘭と成利が顔を見合わせる。

やがて笑いの波が収まった殿は、すくっと立ち上がった。


「是非も無し」


殿が凶悪笑みを顔に張り付ける。小心者がいたら、震えて足がすくむ程の。


「如何されますか」


成利が声をかける。


「逃げられるのでしたら退路を確保いたします」

「どうせあの金柑のことだ。念には念を入れ、囲んでおるだろうよ」


ふん、と殿が鼻をならす。


「それより先の忍の事が気にかかる。お蘭、何か情報はないか」

「ここにたどり着くまでに、光峰が五人の中忍を処分しているのを見ました。しかし、一人上忍を逃したと……」


ふと、お蘭の言葉が止まる。六人に囲まれ、上忍一人を逃したという光峰の言葉は分かる。いかに強いと言えど、多勢に無勢。だがしかし、今お蘭が取り逃した忍は殿を殺しに来たにしては手際が悪すぎる。

殿を見る。忍が殺すのなら、姿を見せるよりも暗殺した方が確実だ。どうして、今、この騒がしい中で……

ふと、ある可能性を思い付く。相手の意図が汲めないため、もし違っていたら殿の反感を買うかもしれない。いやむしろ、殿だからこそそれが気になるのか。


「殿、私が陽動します。そのうちにお逃げください」

「無駄だ」


殿はきっぱりと切り捨てた。お蘭はやはりと唇を噛み締める。


「……毒、ですか」


お蘭の言葉に、殿は鷹揚に頷いた。

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