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1987.5 彼女と彼女の邂逅(2)

 結局、翌朝ハルは昨夜の疲労から、昼近くまで寝過ごしてしまった。

 ホテルのフロントには連泊する旨を伝えた、とブランチを用意するマリコさんは言った。マリコさんは一晩中起きて「彼女」の様子を見ていたらしいが、どういう体力をしているのか、疲れた顔一つ見せない。


「ユーキくんは?」

「まだ来ませんけど」

「どうしよう? あの子がいるけど…」

「あの子と同じ部屋にする訳にはいきませんね… ハルさん彼と同じ部屋でもいいですか?」

「別にあたしはいいけど… ベッドを動かすとか、毛布だけ持ってきて床で雑魚寝、でもいいけど」


 少なくとも、マリコさんや「彼女」がユーキと同室になるよりはましだろう、とハルも思うことは思う。だが。


「どっちでもいいですよ? あなたの好きなほうで。ところでハルさん一度聞きたかったんですけど」

「はい?」

「ユーキくんってのは、あなたにとって何なんですか?」

「友達」

「それだけですか?」


 ハルはうなづく。そしてきっぱりと、


「それだけ。どうしようもない。とても好きな友達だし、別に寝たっていいけど、友達以上にはなれない」

「矛盾してません? 寝られるけれど友達?」

「矛盾してるかなあ?」


 マリコさんは黙ってポットのお茶を注ぐ。


「だとしたらメイトウさんの時のことも理解できますね」

「はて」

「ものすごく、疑問だったんですけど」


 そういえば。ハルは思い出す。家にやってくるメイトウに、その時はまだ引っ越してきてなかったマリコさんが奇妙なほど不機嫌そうな顔で挨拶したことを。


「あのひとはただのそういうお相手だった、ということですか」

「結論から言えばね」


 錯覚は、していた、と思う。その時は本当に好きだったんじゃなかろうか、と思う。だが、終わってみたら、やっぱり自分が自分にに対してかけていた冗談だったようだ。


「あの男が当初、結構無防備に賛美するから、そんな気になっちゃったんだと思うけど」

「それだけですか?」

「うん。あれは勘違い」

「可哀そうに」

「本気で言ってる? ただ言えるのは… メイトウは、『勘違いした恋人もどき』にはなれても、『友達』にはなれないってことだろーね」


 くすくすと、苦笑を浮かべながらハルは言う。


「それでその『もどき』とはやめたんですね」

「違ったことが判ったし」


 それに先に気付いたのは奴のほうだったかもしれないけれど。マリコさんは妙に安心した顔つきになる。


「…私はあのひとは嫌いでしたね」

「へ?」


 珍しい。マリコさんが人を嫌いと言うことは滅多にない。たいていは、「好き」か「無関心」の人なのに。


「何で」

「お馬鹿ですよ」


 あっさりと言った。


「前時代の日本の男の遺物。それも悪いところばかり勘違いして真似してる、ただの甘やかされたガキですよ。全ての女を一つの生物としか見なしてない」

「はあ」


 …何というか。


 ハルはとりあえず何と言っていいのか判らなかったので、とにかくお茶をすする。こんな所に来ても、マリコさんのお茶は美味しかった。だが、なかなかコトバの与えるショックというものは大きく、ブランチを終えるまで、ハルは次の話題が見つからなかった。

 ナプキンで口をぬぐってから、ふと気がつく。


「…じゃユーキくんは? 結構マリコさん気にいってるじゃない」

「彼はいい子ですよ。少なくとも、女性にはいろいろなタイプがあるということを判ってますからね」

「そう見える?」

「少なくとも、あのメイトウさんよりは、見えますね」

「珍しい」


 ふう、とハルはため息をつく。何が、とマリコさんは訊ねた。


「マリコさんがそういう言い方するのって」

「別に隠していた訳ではないですよ。言う必要がなかったから言わなかっただけです」


 そうだろうな、とハルは思う。理系頭の彼女は、そのあたりをきちんと区別するのだろう。ハルはマリコさんが感情に走ったのを見たことはない。もう結構長い付き合いだというのに。


「で、マリコさんは、そのユーキくんならあたしの『恋人』になっても構わない、と思った訳?」

「そうですね」


 簡潔な答だった。


「でも、たぶん、ユーキくんはあたしをSEXの相手としては見ていないと思うけど」

「そうですか?」

「そういうチャンスはいくらだってあったわよ。いままで。でもむそうしないってのは、よっぽど自制が強いか… じゃなかったら、そういう相手とは初めっから見てないってこどじゃない?そうしたら、結局、いくら好きな相手て、大切な人間でも、『友達』にしかなりえないんじゃない?」

「SEXの相手イコール恋人』ですか?」

「んーと… いい方が悪いかもしれないけれど、『友達』と『恋人』の差はそこじゃないの? まあつまりSEXじゃなくとも、キスでも触れるだけでもいいんだけど、とにかく『大好きな相手の身体』とコミュニケートしたいって感情があるかどうか」

「寝るだけの友達、という言葉もなくはないんですがね」

「そうゆうのはまた別…」


 ハルは彼に関しては、寝るかどうか、ということは、『どっちだっていい』のだ。大切な友達だし、別に恋人にしたっていい。だが、だからと言って、自分の全部をあげようとは絶対に思わない。それが、いくら友達として最高の奴であったとしてもだ。

 ユーキだけではない。ハルは、それが誰であってもそうだろう、と思う。「あげよう」とは思わない。だが、「共有したい」とは思う。ただ、「共有した」かった相手が、今は欠けている。

 ハルはその相手に対しては、自分自身もごまかしている部分があるのを気付いてはいなかったが。

 そのごまかしている部分に気付くまでは、この命題は解けないのだ。だが近いうち、その全てを飛び越える回答は出るような気はしていた。

 今のところ、はっきりした形を取ってはいない。やや雨の近い、白い空をした日の海岸で見る遠景のように、ほんのわずかなアウトラインだけを見せて、後はただ、薄い青がかっている。

 それは、学校を辞めて、ピアノを放り出して、ドラムにはまり始めてから、ゆっくりとハルの中に積もり始めていた。そして昨夜、「彼女」のコットンのワンピースを洗いながら、それが細いながらもアウトラインを描いていくのを感じていた。


「彼女」がきっと何かのきっかけになる。


 それは全く根拠もないが、確信だった。



「お早うございます」


 ユーキが戻ってきたのは、もう昼だった。お早うじゃないわよ、と訂正するハルににっこりと彼は笑う。


「お食事は?」


 マリコさんが訊ねる。


「お昼ですか? まだですよ」

「じゃあ私と…」


 マリコさんはハルの方をちら、と見る。


「彼女の様子を見てきてくれませんか?」

「彼女?」


 ユーキは怪訝そうな顔をする。昨日知り合いの子が来たのだ、とマリコさんはユーキに説明をしながらハルに聞かせていた。そういうことにしよう、と。


「よく眠っているみたいだし… 食事どうするか、食べられるか、聞いてみてくれません?」

「はいはい」

「やっぱりちょっと長い移動って疲れるものなんですねぇ」


 しゃあしゃあと、顔色一つ変えずにマリコさんは言う。ハルも滅多に見たことはなかったが、マリコさんの度胸はただ者ではないと思う。

 医者に適している人間、というのは、その位の度胸の持ち主だとはいうが。大量出血や、内臓をいきなり見せつけられても、それが何であるか、とっさに判断して、次の行動に移らなければ、患者の生命に関わることだってあるのだ。

 ハルはドアを開け、閉じたままのカーテンを開けた。さっと明るい陽射しが広い窓から入り込んで来る。そして「彼女」の寝顔に降り注ぐ。

 あまり長くはない髪が枕の上に広がっている。多少寝汗をかいているようで、額にはいくらかの前髪がはりついている。ハルはそっと近くに用意してあったタオルを取ると、軽く額に触れる。ぴく、と身体が動いたような気がした。

 マリコさんは、言外に、起きるようなら起こして下さい、と含めていた。起きるだろうか?

 ハルはそのままじっと「彼女」の顔を眺めている。

 妹と同じくらいの年齢だろう、と思う。背恰好も体型も、似ている。だけど、顔は何処をどう見ても、似てはいない。どちらかというと、妹は「美人」のタイプだった。むしろこの眠る彼女は「可愛い」という評価のタイプだ。太くはないが、眠っているときは少し頬がぷく、と膨れていて、やや紅く染まっている。結構彫りは深そうな目をしている。まだ開いたところは見たことがないが、なかなかくっきりしたものだろう。

 毛布から飛び出した手にまかれた包帯が痛々しい。


 何と呼んだらいいんだろう。


 起こすにしても、どう言ったものか、とハルは首をかしげる。


「…」


 とりあえず、ぽんぽんと軽く、布団の上から叩いてみた。

 突っつくよりはましじゃなかろうか、と思う。



「わざと別の所に泊まったでしょ?」


 マリコさんはユーキにカフェオレを勧めながら訊ねた。


「判りました?」

「ハルさんは… 判ってないでしょうね」

「そうでしょうね」

「しみじみ、あなたって、可哀そうだわ…」

「そうでしょうかね」


 やや、違う返答が来る。


「だってそうだって思いません? ハルさんは、どう転んでも、自分はユーキ君には友人以上の感情は持てないってことですよね」

「見てれば判るから。そんなこと」

「平気?」

「さあ」


 ユーキはカフェオレに口をつける。一口味わってから、角砂糖をもう一つ入れてかき回す。


「マリコさんから見て、歯がゆいかな?」

「―――とも言いきれないから、私もきっと変なんでしょうね」

「うん。だから、僕もきっと変なんだと思うけど…確かに、ハルさんの『こいびと』になってみたい、とも思うこともあるけれど、それよりも、『ながく』付き合っていたい、という方が強いから」

「細く長く…」

「友達でも、こいびとでもそんなことはどっちだっていいわけ」


 そこでマリコさんは、ブランチ時の話題を口にした。


「そりゃ男だから、そういう生物だから、したくないってのが珍しいんだよね。僕だって、したくないといや嘘だけどハルさんに関してはそうあまり思わないんだ」

「…思わない?」

「例えばね、会っていると、別に友達として付き合う気はあまり… 向こうにもそういう気は見えなくて、でも寝てみたいな、ていうひとは、確かに僕にだってあるんだって。でも、たいていそういう女の子に訊くと、その子自身もそんな場合が多くて。結局それだけで終わる。お互いその翌日には、もう顔も覚えていない… みたいな」

「…ちょっと意外…」

「そう? でも、判らない。そういうひとだから、そういう部分で惹かれるのかもしれないし、そういうひとたちは、責任取る取らない、という問題を起こすほど自分自身にルーズじゃないし… そう考えると、僕はいちばん卑怯なのかもしれないけど」

「卑怯… とも言い切れないし… 難しいわね。じゃあ例えば、私がユーキくんにそう誘ったら、どう思う?」


 こういう切り返しが来るとは思わなかった。ユーキは一瞬びっくりした顔を向けたが、すぐににっこりと、


「あなたはそういうことは言わないでしょう? マリコさん」

「どうして?」

「あなたと僕は、そういう点が似ていると思うけど。ただあなたは女性で、オレは男だから、そうゆう現れ方が違うだけで」

「性差別発言?」

「男の方が不利な気もするときはあるけど。本能という奴が、時々、理性を無視する場合があるでしょ」

「女だってそうゆう時はあるわよ」

「そお?」

「そりゃどうしてもその気になれない相手とはできないけれど。でも、それはそれとして、やっぱり勝手に身体の方が騒がしくなる時期だってあるし」

「…ふーん」

「そうゆうときは、男の方が楽じゃないかって思うわよ。すり替え行為にも、明確な果てがあるでしょ?」

「…そうだね」


 くすくすとユーキは笑う。マリコさんも、確かにこの年下の男と自分が似通った部分があると認めざるを得ない。少なくとも、こういう話をあっさりとして、通じる相手というのは、女の友達にだって、そうはいないのだ。

 マリコさんは、自分が一人の人物に捉えられているのを知っている。それ故に、誰かと寝ようという気が理性の上では出てこないのも。

 そして、自分はそれで済まし、ユーキの場合は、その分が「後くされのない」女性へ走ってしまうのも、理解はできるのだ。

 マリコさんは、別に潔癖症ではない。したいことはすればいいと思っている。ただ、やってしまったことに責任は持て、という主義である。それはマリコさんだけでなく、日坂の家の人々の気風ではあったが。はじめから責任の要らないひととしか寝ない、というのは、彼女の主義には反しないのだ。「様々な人がいるんだから」。


「そういえば、僕とあなたのもう一つ共通点って知ってる?」

「なあに?」

「ハルさんに敬語を使いたくなってしまうとこ」


 苦笑一つ。マリコさんは空になったユーキのカップを見て、もう一杯どお?と勧めた。


「じゃ、お言葉に甘えて」

「…」




 ゆっくりと上半身を起こしながら、「彼女」はきょろきょろと辺りと、ハルの顔に視線を動かしていた。何処へ視線を落ちつければいいのか、判らなかった。

 状況が把握できない。


 ここは何処、いったいどうしてここに居るの、何があったの、自分は誰だったの。


 この中で、まず答えられそうな疑問を彼女は拾い出す。自分は。


 名前は。年は。学校は。家族は。

 家族。


 散弾銃のように浮かぶコトバ、回る思考、それが答を得ようと彼女にぶつかっては弾け、たいがいは答を出さぬままに消えていく。だが、その単語は、消えなかった。消えずに、別の疑問を彼女自身から導き出す。


 家族。「居たのだろうか」?

 名前。「あったのだろうか」?

 家。「あれは本当だったのだろうか」?


 ぶるぶる、とやがて視線は定まるが、身体は震え出す。最後に残った三つの単語は、彼女を中心にしてぐるぐると回り続けている。

 ハルはゆっくりとベッドの彼女の脇に屈みこむと、


「大丈夫」


 そう言って、彼女の肩にそっと両手をかけた。

 その肩に伝わる重みと体温のせいか、彼女の震えは次第に治まっていった。だが、疑問は消えない。


「ここは何処?」


 瞬間、ハルは左半身がぞくり、とした。耳から飛び込む音が、直接彼女の身体に触感をもたらしたのは始めてだった。


「…ここ? ここは、ホテル… のコテージのひとつ」


 痛い、とふと彼女は顔をしかめた。打ち身の一つにハルが触れてしまったらしい。ごめんなさい、とハルは手を離す。距離がある程度取れて、やっと二人はお互いの顔を見合わせた。

 あ、やっぱり、とハルは彼女の目を見て思う。あまり大きくはないけれど、くっきりとした、綺麗な目だった。形そのものがいい。アウトラインとまつげと、まぶたの彫りの深さと、ちょうどいい具合にかみ合っている。

 それ以外は、特に特徴のない顔だとハルは思う。ごくごくありふれた、高校生の女の子に見える。だが、その口元にはつい目が行ってしまう。数秒前のあの声!

 何だったんだろう、と記憶を探る。今まで、「声」にあんなに感じたことはなかったのに。

 だがその疑問はさておいて、ハルはとりあえず正気を取り戻したこの子に、マリコさんからの質問をまずぶつける。


「…えーと、お腹すいてない?」

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