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 私はひとつ決めたことがある。いつも湖に赴くのに明確な理由なんてなかったけど、それも今日は違って。


 ここ最近毎日通っていた草原を踏みしめるように歩いていくと、風に揺れる金髪が目に入った。それが目当ての人物のものだと分かって思わず立ち止まるけど、足音に気付いたリュオンが振り返る方が早かった。その表情は何故か心なし驚いているように見える。……私がここに来るのなんていつものことなのに、ほんとになんで?


 首を傾げる私の疑問に答えるように、リュオンが少し呆けた顔で口を開く。


「今日も、来ないと思っていた」


 私の心臓が嫌な意味でドキリと跳ねた。


「……どうして?」


「……何となく。昨日、来なかったから」


 視線を落としてボソッと呟くリュオンはどこか子どもっぽい。いや子どもなんだけど、私もだけど。


 そんな私たちはお互い、本当に名前しか知らない。どこまで踏み込ませていいのか、踏み込んでいいのか分からなくて一瞬言葉に詰まって、でも嘘をつく理由もないし。


「昨日はちょっと、弟の調子が良くなくて」


 少しだけ誤魔化してしまった私の言葉に、ああ、と合点がいったように声を上げるリュオン。


「……だからいつもそういう本ばかり読んでるのか」


 そう言って彼が視線をやった先には私が抱える医学書や白魔導書。いつも私が読む本、知ってたんだ。毎日寝てるか景色を眺めるだけだから興味もないだろうと思ってたけど。


「治療法、まだないらしいから。絶対、私が見つけるの」


 知らず、本を掴む手に力がこもってしまう。呼吸ひとつ分空けて、今日言おうと準備してきた言葉を放つ。


「だからもう、ここには来ないね」


 リュオンが弾かれたように私を見る。今度ははっきりと驚きの色が滲んだその顔に、私は思わず目を逸らした。


「……、そうか」


 リュオンは何か言いかけて、でも結局それだけ呟いた。


 ここでの時間は確かに心地の良いものだったけど、アルに残された時間は少ないんだ。これからはできるだけアルの側で、最大限の努力をしたい。


 ああ、ここに来なくなれば、リュオンとももう会うことはないだろうなあ。だからこそ今日、ちゃんとお別れを言いに来たんだけど。


「リュオンはさ、どうしてここに来たの」


 何となくずっと聞けないでいたことがふっと口をついて出てきた。真名しか知らない、近くにいるけど遠かった私たちの距離を、私は今日初めて縮める。今日でもうお終いだから。




 そう思ったのに、でも、返ってきた言葉はあまりに嫌な響きをもって。


「死ぬなら綺麗な場所が良いと思って」


「――え……?」


 すぐには理解できなかったその言葉が、じんわりと頭のなかに広がっていく。そんな、嘘でしょ……? まさか、まさか。言葉が、頭のなかで嫌に、響く。何て言ったの、この人も、いなくなる?――死ぬ?


「……心臓の病で、俺はもうそんなに長くない。原因も分からず、だが確かに蝕まれていくこの身に嫌気がさしていたとき、ある筋から精霊石というものを手に入れた。その石に願えば、どこにでも、どこまでだって行けるなんて謳うものだから」


 半信半疑だったが、と自嘲気味に零すと、諦めたようにゆるりと目元を細めて、彼は淡々と続ける。


「だから死に場所くらいは選びたくて、静かで綺麗な、心の底から落ち着ける場所を願った。そしたらここに行き着いたんだ」


 心臓。アルと同じ。“私”と同じ。なんてことないように言葉を落とすリュオンの表情が、いつかの自分とまた重なる。ほんとは辛いのに、泣きたいのに、平気なふりをする。その度心は軋むよう。


 まるで他人事のようなリュオンの冷たい瞳に映る感情を“私”は知っている。やっぱりリュオンは“私”と同じで、でもアルとは違う。


「――そうやって諦めるのって、楽だけど楽しくないよ」


 たとえ余計なお世話だって思われても、言わずにはいられなかった。


 “私”はそうだったよ。余命宣告を受けた日からずっと、私は死ぬことを受け入れたんじゃなくて、生きることを諦めた。その方が楽だと思ったから。でも、そしたらそこに希望はないし光は射さない。


 アルは違う。アルはよく笑う。生きることを諦めてないその瞳は光に満ちてキラキラ輝く。もちろん涙を流すときもあるけど、未来の死を見て泣くんじゃない。今の生にしがみついて泣くんだ。そうやって生きた方が、絶対良い。


 私は無意識にリュオンの頬に手を伸ばして、そして祈るように囁くように。指先に暖かい光を灯す。この温もりが少しでも心を癒せばと思って。


「諦めないでよ……」


「ッ……!」


 ビクリと身をひとつ震わせたリュオンは、けれども私の予想に反してその手を払うことをしなかった。ただ、絞り出した声は悲痛の色をのせて。


「だって治らないんだ。無理なんだよ……まるで呪いだ」


 頬に添えた私の手の甲を雫が一筋伝い落ちた。その一筋が冷たく固まっていた心を溶かしていくかのように、リュオンはぽつぽつと言葉を零す。


「もう、どうだって良い」


 良くないよ。


「俺の生を望む人は、いない」

 

 そんなことない、だって少なくとも私がいるよ。


「……本当は、」


「うん」


 吐露されるリュオンの言葉ひとつひとつを大切に拾っていく。これは前世の私が閉じ込めたままだった言葉たち。誰かに聞いて欲しかった思いたち。 


「もっと、生きていたい……」


 小さく弱々しく紡ぎだされたその言葉は紛れもないリュオンの本音。


 魔法で心は治せない。でもせめて私の指先からこの少年に伝わるものがあればいい。繋がるものがあるといい。

 

 頬に当てた手を、今度はリュオンの頭へと移動させる。まだ私と同じくらいの背丈だからそんなに苦労はしない。よくギルが私にしてくれるように、コーネルがアルにするように、その頭を撫でる。


 小さく震えたのが私の手なのか、それとも彼本人なのか分からない。リュオンは続ける。


「原因も分からない、だから治療法だってない。じわじわと心臓を蝕む、治る見込みのない病気はいっそ呪いみたいで……辛い」


 ――そこまで聞いて、私の頭は一瞬思考を止めた。同時に撫でる手も止まる。ちょっと待ってよ、それはまるで、アルの病気と同じじゃ……。


 優秀な医者のコーネルが、アルみたいな病気は見たことがないと言った。でもリュオンの病気はまるで。動きを再開した私の脳はフル稼働して、そしてひとつの事実を思い出した。


「第二王子、リュケイオン殿下……」


 小さい頃から私の感心事は専ら魔法や外の世界だったからずっと忘れていた。いや、私だけじゃない、世間の記憶からも薄れてきているその名前。この国には王子はふたり。病気で表舞台から姿を消した王子が、いたんだ。それが目の前の、リュオン。


「……そうだ」


 黙っていてすまない、そう彼は謝るけど、今の私にとってそんなことは大した問題に思えなくて、今はそれよりも気にかかることがある。


 コーネルは、本当に凄腕の医者だ。それこそ、王族の往診もする、と。そんな彼が、リュオンのことを知らないなんて、そんなはず。


「ねえ、リュオンの担当医って……だれ?」 


 震える声で尋ねながら、私の予想が違っていればいいと願う。嫌な予感が胸をよぎって影を作る。


「相当な名医らしい。名を、コーネルと言う」


 健康なはずの私の心臓が、ギチリと嫌な音を立てて軋んだ。どういうこと、嘘、嘘だ。でも一度考えだすと、疑惑がどんどん湧いてくる。


 なんでコーネルは、見たことない病気だなんて言ったの。嘘を、ついたの。治らないっていうのはたぶん、本当だ。少なくとも、白魔法では。


 リュオンの言葉が反芻される。まるで、呪いのようだと。本当に病気じゃないとしたら。 


 コーネルからアルの頭へと伸ばされた、優しい大きな手を思い出す。かつて一度だけ私にも伸ばされたそれは、不思議と冷たかった。

 

 彼は昨日ひとつ言葉を零した。“申し訳ありません”と。あの言葉の、意味は――。


「っ、おい!?」


 バラバラだったピースが次々と合わさっていくのを感じて、膝から崩れ落ちた。心配そうなリュオンの声が遠くに思える。


「しっかりしろ!」


 でも、リュオンに大きく肩を揺さぶられてはっとした。そうだしっかり、思考を止めるな、考えろ、考えろ。 私が今しなきゃいけないことを、考えられるすべての可能性を。私は、進まないと。思い出せ、ピースを集めろ。気にかかること、不審なことはなかったか。――私が心から信じられるものは何か。


 これまでコーネルの診察は週に一度だったけれどアルの体調を考えてその回数を増やす、と。今日も往診に来る、と。たしかそう言っていたはず。


 差し出されたリュオンの手を借りて立ち上がると、私は空へと魔法の閃光弾を打ち上げた。



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