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 リュオンと話してからというもの、昼間に本を抱えて湖に出かけて行くことはすっかり私の日課になった。


 何か約束をしたわけでもないけど、私が行けば彼はいつもそこにいて、私はその隣に腰を下ろして魔導書に目を通す。リュオンは穏やかに目を閉じる。


 どうしてこんな地方の、それも侯爵領のなかに自身も貴族である(推定)彼がいるのか。疑問ではあったけど、私が前世のおかげで生粋の令嬢ではないことも相まってか、なぜか警戒する気は全く起きなくて、父にも母にも、ギルにもリュオンの存在を知らせないまま日々を過ごした。いや、正直にいうと、どこからどうやって来ているのか尋ねたいと思うことはままあったけれど、聞いてしまうと終わってしまうような、そんな予感が私の口を閉ざしていたのかもしれない。


 特に何を話すでもなく、ただ一緒にいるその時間は、緩やかに、でも確かに流れていって。


 時折頬を撫でていく柔らかい風につられて、ふたりで広い空を見上げた。季節が移って遠くの山が色づいていくのを感じた。湖の水面が陽の光にキラキラと輝くのを眺めたこともあった。


 その度、私の胸の奥が疼くような気がした。はやくアルメスにもこの景色を見せて上げたい。窓枠に切り抜かれた空じゃなく、暖かい陽の光の下で、自由に。はやく、はやく。焦りのような、高揚感のようなその疼きは、私をいっそう魔道へと惹きこんでいく。


 でも、そう。時間は確かに流れていた。


 


「そろそろ、覚悟はしておいて下さい」


 静かな部屋に、アルの担当医コーネルの声だけが溶け込んでいく。ここにいるのは私、お父様お母様、それからギルだけ。アルはまだ、知らない。


「か、覚悟って……」


 お母様が声を振り絞るけれど、その絶望の滲んだ声音はか細く震えていた。アルメスを健康に産んであげられなかった、と一番気に病んでいたのはお母様だ。


 よろめく妻をしっかりと支えるお父様。その腕が小さく震えていたことを私はたぶんずっと忘れない。名医を探して奔走し、療養地まで用意して今の環境を整えたのはお父様。


「……申し訳、ありません」


 それは、何に対しての謝罪なの?


 コーネルに対して口からついて出そうになった言葉を何とか呑み込む。


 コーネルはこの国でもトップクラスの名医で、私に医学、白魔法の基礎を教えてくれたのも彼だった。毎週診察に来てくれて、アルの頭を優しく撫でては彼を支えたのはコーネルだ。


 アルが死ぬ? 死なないよ、だって、私が。


 ――だって私が、治すって。


 そこまで考えて、私は何にも分からなくなる。毎日毎日どれだけ白魔法を研究しても、治療法なんて見つからない。なんで、どうして。


 コーネルはお父様とお母様に話があるらしく、私はギルと一緒にその部屋を後にした。黙りこくる私の頭に置かれたギルの掌が無性に温かくて、目頭が熱くなる。


「泣いていい」


 ギルは、不器用だけど優しい。こういう時は特に。


 でも私はただ首を横に振る。泣くのは嫌いだ。泣いたら認めてしまうようで。アルがもう長くないことを、何もできない自分の無力さを。


 俯いた私の視界が黒く染まって。ああ、まるで今の私の頭のなかみたい、そうまで思って、でもその黒が暖かいことに気付いて、ようやくそれがギルの服の色だと分かった。


「お嬢はまだガキだ」


 こうやってギルが抱きしめてくれるのは初めてかもしれない。ギルの鼓動が聞こえる、不器用で優しいギルの心。私の心の奥の方から込み上げてくるものがある。


「一回立ち止まって、思い切り泣いて。それで涙が止まったら、また進めばいい」


 込み上げて、溢れて、零れ落ちる。目が、喉が、胸が熱くなって、息が詰まった。


「っ、わた、しは……」


「ああ」


 アルが死ぬかもしれない、嫌だ、怖い。


 何もできない、分からない。悔しい、悲しい。


「い、や……っ、嫌だ、死な、ないで――」 


 色んな感情が涙になって溢れてくる。自分が死ぬときでさえ、こんなに泣かなかったのに。泣き方を知らなかった私は涙の止め方も分からなくて、ただただギルの服を強く握った。




 結局、昼間は湖で、そして夜はアルの部屋で過ごすという私の日課は、その日だけは果たされなかった。アルに会うのが、怖い。本人にはまだ知らせないと家族で決めたのに、今会ったら私は絶対泣いてしまうだろうから。


 その夜、私は自室でひとり、泣きながら魔導書を捲る。ギルが一緒にいてくれると言ったけれど断った。でも、彼のおかげでひとつ分かったことがある。どんなに先が暗くてもアルが生きている限り、私の進むべき道は続くこと。


「……進む、ちゃんと進むから」


 明日にはちゃんと笑うから。だからもしいるなら、神様。今日だけはこうして涙を落とすことを許して。そしてできることなら、アルを救う、力を。




*****




「う、わぁ、まじか……」


 翌朝、ギルが私の顔を見て引き気味に発した第一声はそれだった。泣くのは昨日で終わり! 今日からは笑顔だ、と頑張って笑って挨拶したのに、まったく失礼な話である。


「だってミラお嬢、それ目めっちゃ腫れてんぞ」


「え、泣いたら目が腫れるって迷信かと思ってた……」 


 何となく瞼が重い気はしていたけどそっか、腫れてるのか。あんなに泣いたことないし、朝は鏡もろくに見なかったから気付かなかった。身なりの世話をしてもらうのがどうにも慣れなくて朝の支度を自分でしているのがこんなところで仇になるとは。


「……ホント変なところ抜けてっから困るんだよなァ」


 頭を掻きながら呆れたようにそう言うと、氷取ってくる、と歩き出すギルだけど、ちょっとそれどういうこと、聞き捨てならない。あと氷なら私魔法で作れるし別に。


 引きとめようとギルの方へ手を伸ばす、けど。


「ミラ姉! おはよう!」


 私の背中にかかるアルの声に思わずぎくりと動きを止める。年を重ねるにつれて私をミラお姉ちゃんではなく、ミラ姉と呼ぶようになったアルメス。相変わらず可愛い、声だけでもう可愛い。ただタイミングがそれはもう悪すぎる。


 一晩経って、アルの前でいつも通り笑ってみせる心の準備は出来ていたけど、この泣き腫らした顔を見られたら完全にアウトだ。振り返ることも出来ずに固まった私に、ギルが慌てて助け舟を出してくれる。


「お、おーアル坊! ミラお嬢はまだちょっと用があんだよ! 俺と先に食堂に行っとくか、な!!」


「えーギルやだ。ミラ姉といっしょがいい」


「なんだってんだよ」


 助け舟、沈没。青筋立ててないでギルはぜひ二隻目を出してほしい。でもギルがアルの髪をぐしゃぐしゃと掻き乱している今がチャンスかもしれない。サッと目元に手をかざして数秒。瞼の重みと熱が引いていった気がしてほっと一息をつく。うん、魔法って便利だ。


「ミラ姉? 具合悪い?」


 ずっと背を向けたままの私を不思議に思ったのか、ギルの腕から抜けだしてきたアルメスが私の顔をそっと見上げてきた。昨日夕飯の席にいなかったから心配してくれているのかもしれない。


 アルの顔を見たらまた涙が出てくるかも、なんて考えて一瞬だけ息が詰まったけど。


「大丈夫! 行こっか、アル」


 思ったよりちゃんと笑えている自分に少し驚きながら、アルの手を取った。そして分かった。


 まだ何も終わりじゃない。アルは今ここにいて、私はこの手をまだ掴めること。まだ諦めるには早すぎること。


「ギルも、行くよ! 一緒に!」


「ったく、仕方ねぇなぁ」

 

 空いている手をギルに伸ばして、三人で手を繋いでお父様とお母様の待つ食堂に向かう。繋いだ手を楽しそうに揺らしてアルが笑う。一見不機嫌そうに、でも確かに口角を上げてギルが笑う。


 この笑顔を守りたい。私が魔道を進む理由はそれだけで十分だ。



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