045 - 皇子リオンハルト
――どうしてこんなのことになったのだろうか
慣れた様子で訓練用の防具を身につける金茶色の髪の少年と、長い金髪を三つ編みにした長身の青年。
二人は少し間を取った場所で背を向け合い戦いの準備をしている。
その様子を離れたところから心許な気に見つめる人物に、筋骨逞しい壮年の男が声をかけた。
「なるほど、噂になるはずですな」
「カシガル兵士長……」
「ローレライ=ウォルシュ……見目麗しき美声の君。……それになかなかの手練れのようだ」
ふむ、と腕を組み二人の戦士を見遣る。
「すみません、突然こんな……」
「いやいや、司祭殿が謝られることはありませんよ。自分としても、面白いものが見られると……失礼、不謹慎でしたかな」
自らの仕える皇子と、先日この地を訪れた旅人の闘技試合。
城に最も近い訓練場に、いつものように集っていた兵士らは、リオンの突然の申し出に僅かの哨兵を残し兵舎へ戻るよう命ぜられた。
だが、興味深い勝負を見たいと、なかなかその場を去らず遠巻きに此方を伺う者もいる。
「いえ、そんなことは……」
緩みかけた頬を引き締める兵士長に、若き司祭は小さく首を振り再度前方の二人に視線を移した。
「……どうして……」
「は?」
「……」
何か言葉が発せられた気がしてそちらを見るが、司祭は唇を結び瞳をそらさない。
その困惑した様子が気にかかったが、カシガルは自分が問うべきではなかろうと口を噤み同じように前方に視線を移した。
装備を整えた少年と青年が剣を手に取る。
――どうして、こんなことになってしまったのでしょう……
眼前に設けられた試合のための空間に、頭1つ分よりも背丈の差がある二人が進み出る様子を目の当たりにしながら、何故、あの二人が剣を交えることになったのか、彼にはわからなかった。
皇子の不興を買ったのは自分なのに、と表情を曇らせる。
「カシガル兵士長、審判を頼みます」
「ふむ。承知致した」
そう答えた大男の隣に、困惑した表情の司祭を見つけ皇子は一瞬眉間の皺を濃くしたが
「手加減などしたら、承知しない。お前の本気を見せろ」
金髪の青年を正面に向き直り、鋭い語調で言った。
睨み付けられた青年は諾とは答えず、ただタレ目がちな双眸を細めて笑んだ。
「――それではこれより、リオンハルト皇子とローレライ=ウォルシュの闘技試合を始める。
一方が降参もしくは戦闘不能、戦意の喪失を認められた場合に、もう一方を勝者とする。
ただし、くれぐれも訓練試合だということをお忘れ頂かぬよう。……回復魔法の使い手である司祭殿がおられるにしても、命の危険に関わるような事態は避けて頂きたい。ご同意下さるな?――うむ。では双方向かい合って」
少年は正面に、青年はやや斜めに剣を構える。
辺りは静まり返り、二人が地を踏みしめる音すら聞こえてきそうな気がした。
制止も、訳を問うことも叶わない。
――どうして……
「始め!!」
――どうして、こんなことに――
伝令に報告書を渡し、前日に待ち合わせを約した通り王城前広場へ行くと、程なく彼は現れた。
彼、ロルは探し人の調査結果を聞くため、セフィは伝令が伝えおいてくれたであろうことを、自分からも話すために国王に謁見を申し入れることにしたのだ。
開口一番、
「顔色があまりよくないみたいだけど?」
風もなく穏やかな日差しが心地よい朝だというのに、セフィの表情が冴えない気がしてロルは問うた。
「え……」
唐突にそう声をかけられセフィは驚いた。
確かに、昨晩は報告書を仕上げるため夜更かしをしてしまったし、今朝は今朝で夢見が悪く早くに目覚め、それ以降眠れなかった。嫌な夢はまだどこか胸に蟠っている。
「そう、ですか……?」
だが『悪夢を見たから』などと子供のような事を言えるはずもなく
「慣れないことをしたからでしょうか」
と前者の理由だけを述べて苦笑した。
「そうなの? 無理はよくないよ?」
言葉こそ軽い感じだが、見つめる青く澄んだ瞳には真摯な気遣いの様が見て取れて、少し申し訳ないような嬉しいような思いでセフィは小さく返事をした。
馴染みの門衛に、国王との謁見を申し入れると
「今日は皇子のところへではないのですか?」
という怪訝そうな答えが返ってきた。
セフィは週に少なくとも3日はここ、フェンサーリル王家第一皇子リオンハルトのもとへ、教育係と称した話し相手として通っていた。
どうやら、セフィがその任を辞すことになったということはまだ伝わっていないらしい。
「えぇ。陛下にお話ししなければならないことがありますので……」
皇子にも報告に行かねばならぬであろうが、まず国王にすべきだろうとセフィは答えたが
「……国王陛下は先ほどより来客のお相手をしておいでです。お二人がこられたことはお伝え致しますが、しばらくお待ち頂く事になるかと……」
帳面を繰り、すまなそうに言う門衛。
「そうですか。突然のことですし、そうですよね……」
セフィは少し考え
「……では、皇子の方のご予定は?」
「セフィさまとの以外は伺っておりませんが」
門衛の答えにそれならば先に皇子を伺う旨を告げ、二人は皇子リオンハルトの居室へと向かったが、通い慣れた先で入室を許されたのはセフィのみ、ロルは次の間で待機するようにと言われたのだった。
昨日の時点で、セフィの城での仕事――自分に仕えることは『終わり』だと聞いた。
この地を離れ、教会の任務を帯び旅に出るのだと。あまりに突然のことで言葉を失った。そしてただ、何も言えず頷くことしかできなかった。それはおそらく物分りのいい息子と父王の目に映っただろう。
信じられなかった。夢ではないかとさえ思った。
だが実際、授業の予定は取り消され、彼は挨拶のために自分の元を訪れた。
「どういうことだ?」
だから今、本人を前にして問わずにはいられなかった。
納得がいったわけではなかったから――
「どういう、こと……?」
部屋に入ったところで出し抜きに問われ、きょとんとした様に鸚鵡返しする眼鏡の青年。
とぼけているのではないと分かっていても、語調を強く詰問する様になってしまうのを抑えられない。
「城での仕事を辞める。この国を出ると聞いた」
どこか遠くへ行ってしまう。
自分の側からいなくなってしまう。
「一体どういうつもりだと訊いている」
窓辺からその正面に移り、やや見上げて再度問うた。
彼は、あぁそのことかと頷き
「はい。教会より任務に当たるようにと言われまして」
落ち着いたいつもの調子で答えた。
「伝令の方から、お聞きになられませんでしたか?」
「聞いた。父上から」
そんなことを話したいんじゃないと、喚きそうになるのを堪えた声は自然と低くなる。
「だからって何故? セフィは司祭だろ!?」
「私はリデンファーでもあるんです」
「知ってるよ! 分かってる!! でも、何故!? 何故今になって……!?」
側に仕えると言っていたのに、ひどい裏切りのような気がした。
学ぶことは楽しかった。セフィはどの教師よりもその悦びを教えてくれたから。
世継ぎとして生まれて、ただ与えられるままに、存在することを押し付けられるているような気がしていた。そこに意味があることを教えてくれたのはセフィだった。
出自だけで民の庇護者たる精神なんて持てない――。それでも、よき王になりたいと思えたのはセフィがいたから。
自分に与えられた責務を理解し、受け止めることができた。この国を守り、支えていきたいと思えた。
セフィがいたから。
ずっと側にいると思っていた。居て欲しいと、思った――。
「どぉしてだよ……」
だが自分の傍を離れていってしまう現実。
それは不安で、寂しくて、苦しくて、切なくて――
指先が白くなるくらいに強く、手を握り少年は俯いた。真っ直ぐな髪が水浅葱色の瞳を隠す。
「……西方の遺跡の調査が一区切りついたと話しましたよね? だから……。それに……」
「……何……?」
「私の知識は皆、書物から得たものです。文章と、絵から……。そこに描かれないもの、語られないものを、見たい……知りたいんです。――とても、自分勝手な理由だと思います……」
申し訳ありません、と詫びるようにセフィは淡紫の瞳を伏せた。
「……」
少年は俯いたまま唇を噛んだ。
セフィは、望んでここを離れるのだと言っている。
自分が如何にして思い留まらせることなどできようか?
自分に何も話さず、何の相談もなく決めた――自身のそんな想いや、おそらくここ数日悩んでいたであろうことも、何も言ってくれない。話してくれない。
自分ならばセフィに話すであろうことを、何一つ。
それは少年にまた別の感情を焚きつけた。
「――あいつは?」
「え……?」
「あの男……ウォルシュは何故、一緒に?」
悔しさに鼻の奥がツンと痛くなるのを押し込めて、少年は言葉を搾り出す。嫌な予感がした。
「あぁ、ロルですね? 彼には、同行してもらうことになったんです。昨日、伝令の方に返事をした時に、丁度彼も居合わせていて」
「!!」
目の前が一瞬赤く染まる。
怒りと、嫉妬。
何故、自分には何も言ってくれなかったのに。
自分の場所を奪われてしまうような気がした。
一緒にいたいという望みを、彼が打ち壊したという錯覚。
共に旅をするという、自分にはできないこと――。
「皇、子……?」
自らの答えに身体をビクリと震わせた少年に、セフィは戸惑い声をかける。
「っそう、呼ぶなと言ってるだろう……!!」
対等に見て欲しいから、尊称は無しで呼べと言ったのに。
彼のことは気安く"ロル"と呼んだのに。
そんな些細なことさえ勘に触った。
少年は滲んだ視界をぐいと拭って飲み込むと、司祭の横をすり抜けてその後ろの扉を憤激に任せて開いた。
扉の向こう、次の部屋には自分付きの衛兵と、そして件の青年が待機していた。
「皇子、どうかされましたか!?」
客人との会話に緩んでいた表情を引き締めて衛兵が問うのも構わず、彼はタレ目の男を鋭く見据えながら詰め寄る。
「おい、お前」
「? 何でしょうか?」
「剣を使うと言ったな。一緒に来い。今すぐ、勝負をしろ」
「へ?」
「皇っ……リオン様っ!?」
何をいきなり? と男は目を瞬き、続き部屋を出たセフィが驚きの声を上げる。
「僕に勝てないようなヤツをセフィと一緒になんて行かせられない。だから、勝負しろ!」




