研究者とクローバーの妖精
妖精に関して様々な研究者が居るこの研究所の中でも、変わり者扱いされている事は知っていたし、別に気にしていなかった。
中々あがらない成果に研究費が徐々に削られていっている事も知っていたが、クビにされないのは多分、まだ上層部が自分の頭脳を手放したくないからだろう。
別に期待に応えるつもりは無かったし、出世しようという気もまったく無い。
「だからってなぁ…オレにも立場ってヤツがあるンだ。人間世界ってややこしいんだぜ」
「ああ、うん。それで?」
「六枚羽の妖精って珍しいって言うじゃナイ」
「ああ、珍しいな。四枚の俺だって珍しいぜっ!」
なんて威張ってみても、横で騒ぐ良くて十センチ程しかない小さな隣人には全く迫力は無い。
胴体を引っ掴んで自慢という四枚のうち二枚を左右に引っ張ってやった。
「いたいいたいいたいいたいぃぃぃ!」
「自慢の羽を散らされたくなかったらさっさと白状して謝り倒すのが身のためだよ」
「なんのはなしだよーーーっいたいたいっ」
身をよじりながら手の中から脱出しようと試みる妖精は小さな顔を必死に振った。
「お前には言っといたはずだよな?遺伝子操作で六枚羽の妖精を作ろうとして六枚のクローバーを作りだしたって。それを保存する適当な場所が無かったから俺の研究室に安置させといてって頼まれたの知ってるだろ?」
「しっ…知ってるケド…」
苦しそうに眉を寄せて腹から唸り声を出しながら喋る妖精を掴む手を、それでも青年は緩めなかった。
小さな手のひらを大きな手の指の辺りに数回叩きながら必死に抗議する妖精の意見はこの際無視である。
それくらいには怒りが腹に溜まっていた。
「じゃあ、コレってどういう状況なワケ?」
冷ややかな視線をソレに向ける青年に釣られて少年のような姿の妖精もそちらを見た。
ロッカーと古い埃まみれの机の間。
無残に割れて散った硝子の破片と茶色の破片。
その中央には散った土の中に葉が六枚ついたクローバーのつぼみが横たえていた。
妖精を手から解放するとへろへろとゆっくり、しかし落ちて行くように床にペトリと手ついた。
「こっこっ…」
「メンドーだから保管室に鍵かけておいといたんだけど、ここの鍵持ってンのって俺とお前だけなんだよ」
「おっおれ知らねぇ…」
「俺はここの鍵閉めてから一回も入ってナイんだけど」
羽をつまみ上げて目線を合わせると、小さな顔の大きな瞳が精一杯こちらを睨みつけている。
瞳に嘘は無いと言っているが、嘘をついてるのは多分、彼の記憶の方。
「そういやあ、ここにあった氷砂糖の缶がふたつ無くなってンだけど?」
「…」
五つくらい買い置きしていた氷砂糖の缶がひとつなくなっている。
その事実を指摘すると、あからさまに妖精の小さな顔が青くなった…ような気がした。
「じゃあ質問を変えよう。この缶を取って行ったの誰ですか?」
「…おれです」
「缶取った時、もういっこの缶落としたのは誰でしょう?」
「……たぶん、おれです」
「気付かなかった?」
「気づきませんでした…」
確かに保管庫には壊れた実験器具やら古い本やら布やら鉢植えがとにかく雑多に散らかっている。
多分、この妖精はそのうちのひとつが壊れたか何かしたと思ったのだろう。
割と狭い隙間なのでわからなかったと言われても嘘をついてるとは言えない。
特にこのお馬鹿な妖精なら仕方無いだろうとため息をついた。
「クロ」
項垂れて動かなくなった妖精の名前を呼ぶと、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
大きな瞳の端には今にも零れそうな水の粒が溜まっている。
「ゆゆゆ、ユィリーっ。どうしようー、おれどうしよう」
「メンドくせ。死んでろ」
泣きつく妖精を手ではたき落してユィリは保管庫を後にして、ついでに鍵を閉めておいた。
多分、妖精の力では中から開ける事は出来ないだろう。
いろんな意味でちょっと頭を冷やして欲しいので、ガチャリと重そうな鍵の音が鳴っても特に心は痛まなかった。
癪だったが、後で追及されるのも面倒だと思ったのでユィリはすぐにクローバーを預けた研究員のいる研究室へ向かった。
そこはボスがやたら厳しいとかで張り詰めた緊張感を漂わせながら誰もがせかせか働く場所だ。
常に開いたドアを叩いて来訪を示した。
若い一人の研究員が気づいて大量の本を抱えたままユィリを出迎えた。
「エリオット先生。どうしたんですか?」
「ああ。あのクローバーのこったけど。俺んトコのバカが割って壊したから。悪いな。そいじゃ」
「 えッ!?ちょっ、エリオット先生!」
言いたい事だけ言ってさっさと研究室を出て行ったユィリの背中で本を乱雑に置いたような音がした後、研究員が駆けてきてユィリの肩を引っ張るように止めた。
「エリオット先生…!割れたって…、そんな、無責任じゃ、」
「…だから一応謝っただろ。大体無責任って、ヒトの研究室の一画使っといてよく言うな」
「そういう問題じゃ…」
ユィリはなおも追求しようとする研究員の手を肩から振り払って睨みつけた。
「良かったじゃねぇか。俺が責任被ってやるって言ってンの」
「な、何を言って…」
「あの花から妖精を生み出すにはちょっと力が足りねェからな。でも失敗したらボスに怒られるからって俺ントコに置いといて、それを失敗の理由にしようと思ってたンだろ」
「そ、そんなこと…」
「長く眠らせるには最初から力が足りねェって俺もわかってたケド敢えて引き受けてやったンだよ。ンな事気づかないとでも思ってたのか。良かったな?実験失敗の口実が出来て」
研究員は顔を引き攣らせてユィリを凝視していたが、気にせずユィリはその場を後にした。
「よ、妖精の命をなんだと思っているんだ…!」
そんな大声が背中に届いたような気がしたが、ユィリは耳を掻いて聞かなかった事にした。
「どっちが…」
何にしても気分が悪く、ポケットに入っていた棒付きキャンディを口の中に頬り込んだ。
いちごの甘い味が口の中に広がって脳を癒していくような気がする。
だが今から多分、他の関係者にも怒られるのだろうなと思うと、思わず奥歯に力を入れてキャンディを噛み砕いてしまった。
「あのクソ妖精…いつか潰す…」
しょんぼり。
そんな言葉が似合いそうな哀愁を背負って妖精のクロは項垂れていた。
全身から力を抜いて地面に尻と手をついてただまっ白な頭のまま、汚れた床を凝視していた。
倒された六葉のクローバーはなんとかそのへんの硝子器具に移したが、まったく元気が無い。
今にも咲きそうなのにもうそこから妖精が生まれそうな息遣いは聞こえてこなかった。
「…ぐすっ…」
服も汚れた手で拭いた顔もどろどろに汚れてしまったが、そんな事以上にこの鉢植えを割ってしまった事がショックでならなかった。
同じクローバーの仲間なのに、その息の根を止めるような真似をしてしまった。
植物としても、妖精としても、死んでいくのかもしれない。
「…ごめんな…ごめん…」
四葉のクローバーは幸福の証。
一番最初に話をした人間がそう言っていた。
それなのに自分はパートナーになってくれたユィリの役に立つこともできず、鉢植えを割って仲間を瀕死にしてしまった。
「…ぐず…ごめんな、おれ役立たずで…」
ユィリもいつも以上に怒っていたし、帰ってきたらタップリ怒られる。
倒れそうになりながらもそれでも折れない茎に手をかざした。
…。…、…。
「?」
手に伝わったのは確かに生きている、脈打つような軽い刺激。
そして耳に届いたような気がした微かな声のような音。
「…おまえ、生きてるのか…?」
話しかけてみてもやっぱり返事は無い。
だけどシグナルは確かにあった…気がする。
「ど、どうしよう、どうしよう」
もしかしたらこのクローバーは蘇るかもしれない。
ざわりと心が騒いで、うろうろと薄暗い部屋中を飛び回った。
どうにかして良い状態に持っていく事は出来ないだろうか。
肥料だとか、水だとか、太陽の光だとか…それでなくても研究所には色々とあるはずだ。
扉のとってに手を置いて力いっぱい押してみたが、途中で強い力に跳ね返されるように止まってしまった。
何度も何度も押してみるが、やっぱり動かない。
どうやら鍵がかかっているようだが、鍵のつまみを押しても引いてもぴくりとも動かなかった。
「うーうーっユィリー!たすけてくれー!ユィリー!」
妖精の小さな叫びは、例え契約を果たした彼の耳にでも少しも届かなかった。
※
大きな研究室の班長から更に研究室長にもしこたま怒られた次の日の朝。
今日はなんだか更にお偉いさんに怒られるかもとかで、ユィリは早朝さっさと研究室に来て研究材料を家に持ち帰り、ほとぼりが冷めるまで隠れていようかと考えていた。
その時、不機嫌な感情と考えなければならない言い訳が脳内を占めていた。
なので昨日保管室に閉じ込めておいた妖精の事など、綺麗さっぱり忘れていた事すらも覚えてはいなかった。
「あん…?」
特に高価なモノは置いていないし、どうせ鍵のかかった研究室に奥にあるので普段はかけていない保管室の鍵がかかっている。
研究室と同じこの部屋の鍵を持っているのは成り行きで契約してしまった妖精であるクロだけ。
そういえば今日はクロを見かけていない…と考えたところで思いだした。
ため息を吐きながら鍵を取り出して鍵穴に刺し、何度か回す事を繰り返すとガチャリと重そうな音が鳴った。
扉を開けると保管室の中は薄暗く、それでいてシンと静まりかえっている。
てっきりうるさい妖精が喚いてくるか、或いはいびきでもかいて寝ているかと思ったが、不気味なくらい空気は冷えていた。
それよりも感じる“力”の空気が恐ろしく静かで小さい。
何処からか逃げたのだろうかと思いつつ中を見回すと、机の隅がぼんやりと薄く光っていた。
近づいてよく見ると、背中に四枚のクローバー型の羽をつけた小さな人影。
四葉のクローバーの妖精クロの背中だった。
「クロ?」
話しかけると、クロはゆっくりとした動作でこちらを見上げた。
その顔にはさすがのユィリもちょっと驚いた。
「ゆ、ユィリ…遅い…」
「…何やってんだ、お前」
小さな顔の瞼は半分閉じていて目の下に隈が出来ているのがはっきりわかる。
どうやら疲れきっているらしいが、一晩保管室に閉じ込めたくらいでこんなに妖精が憔悴するだろうか。
両手を前に出して何かしているようで、そちらの方に視線を向けると、硝子の実験器具の中に土と、萎れかけた六葉のクローバーのつぼみが有った。
「無駄だな。お前程度の力でどうにかなるくらいだったら今ごろ研究室のヤツがどうにかしてる」
呆れ半分、面倒くささ半分。
そんな声音でユィリは萎れたクローバーに自らの力を与え続けるクロににべも無く言った。
「むだじゃない。だってコイツ、おれに話しかけてきたんだ」
「あ、そう。力尽きても俺の力を使うなよ」
「…」
クロの事は無視してユィリは必要な文献を探した。
会話を終了させたせいで沈黙が降りた保管室内に響くのは、たまにクロが鼻をすする音だけだった。
どうやら泣いているようで、微弱な力をクローバーに送り続けている。
妖精が保てる力なんて高が知れているし、それが尽きれば彼も諦めるだろう。
花は咲くかどうかもわからないが、咲く前に力を溜めきらなければ妖精は生まれない。
六枚の葉を持ち、遺伝子操作されて大きなキャパシティを持った花が咲く前に、力を注ぎきるのは無理だったのだ。
クロが自らの力をカラッポにしたところでどうこう出来るはずが無い。
鬱陶しいので見ない振り、聞かない振りでユィリは作業に没頭した。
「おい、俺は帰るぞ」
「…ぐすっ」
作業の終了を告げると、クロは何も言わずにただ泣き顔だけをこちらに向けてきた。
意識しているのかしていないのかわからないが、これはクロが助けてほしいけど意地を張って口には出来ない時にする行動だ。
彼の碧色の目は口以上にモノを言うので、とてもわかりやすい。
健気な妖精が、健気な姿で助けを求めてきたならば、まして契約を果たしたパートナーなら手を貸したくなるのが普通だろう。
人間の子供以上に、妖精のそういう力は強いのだと誰かが言っていた。
しかしクロのパートナーである、このユーリック・エリオットという男にそんな妖精の力は全く通用しなかった。
「じゃあな」
片手で本の束を持ちながら眉ひとつ動かさず扉の取っ手に手をかけるユィリ。
クロはここで初めてクローバーに力を送るのをやめてユィリの服の裾に飛びついた。
「ユィリー!お願いだよー!なんとかしてくれよ!天才なんだろ!?」
「知るかよ。研究者が束になってもどーにも出来なかったンだぜ。いくら俺が天才でもそんな都合イイ天才では無いんでな。悪いな」
「だってあのクローバー、生きてるんだ!だからっ…おれ、割っちゃったから…おれ、助けなくちゃ…!」
目から大粒の涙を、鼻から滝のような鼻水を。
つけられる前にユィリは妖精を引きはがして床に叩きつけるように投げつけた。
床に着地する前に羽が風を受けてフワリと一瞬浮いたが、すぐにへちょりと地面に落ちた。
「なに、クローバーが助けてくれって口を聞いたって?馬鹿馬鹿しい」
「そ、そう言った…ワケじゃないけどッ…。けどッ…折角生まれようとしてるのに…それを見捨てるなんて」
床に手を吐きながらも、それでも顔をよろよろあげてユィリを見上げるクロ。
それを思いっきり見下すようにユィリは冷めた瞳でクロを見た。
「生まれたらそれでどーすンだよ」
「え…?」
「ソイツはもう必要とされていない。必要とされてる力を持って生まれてくるならともかく、そんなの絶対無理。生まれたトコでソイツは幸福だって言えるのか?」
見上げる瞳が不安に揺れるが、さらにユィリは続ける。
「大体あのクローバーは人間達に勝手に作られて、勝手に力を持つ事を期待されて…そして失敗した。本当にソイツが望んだのか?妖精としてこの世に生を受ける事を」
「…そ、そんなことわかんねぇよ…」
「わからんくせに勝手に御苦労さま。それじゃあ」
話を打ち切って退出しそうとするユィリの服の裾に、またもやクロが飛びついた。
「いやだ!」
「責任もてねーなら諦めろっつってんだろ」
「お、おれが幸福にする!おれが面倒みる!」
「はぁ…?」
プロポーズか捨て犬を育てたい子供のワガママか。
こう食い下がられては面倒くさい事このうえない。
が、彼が面倒みるという事はイコール、ユィリが面倒を見て責任を持つという事になってしまう。
ワケ有りな妖精の面倒なんて…考えただけで面倒くさい。
「じゃあ、自分でなんとかしろ」
「そ、そんな…ユィリ~…」
「お前どうせ困ったらそうして俺に頼るンだろ。目に見えてる。無理」
「ユィリ~!」
クロはひたすら名前を連呼するしかなくなったようだ。
もうこうなったら無視して帰るしかないだろうと、取ってに手をかけた。
「うっ…うぅ…ぐすっ」
またもや泣きだす妖精には見向きもしないでユィリは取っ手をまわした。
「幸福じゃないって…不幸せじゃないって…俺が幸福に…幸福を望んでるんだって…教えてあげたいんだ…」
重い取っ手をまわし軋む音と、妖精の必死の声が重なった。
「おれはここに来て良かった。役に立てないし、幸福にもしてあげられてないけど、ユィリに会えて嬉しかったし、今でも嬉しいのに。ぜんぜん不幸じゃない。かわいそうって言われるけど全然おれは幸せなんだ」
「…ハァ、それで?」
ため息を吐きながら振り返るユィリのあきれ顔を見て、クロの瞳から更に涙があふれた。
「おれはココが大好きだ。人間が大好きだ。この世界が大好きなんだ。だって…だって、おれに“幸福”の意味を教えてくれたんだ…おれは、その意味を知る事が出来た…って、それだけで…生まれてきて良かったって何度でも思ったんだ」
涙と鼻水と嗚咽で聞くに堪えない演説をユィリはやっぱり面倒くさそうに聞いた。
「だから…おれがあのクローバーの幸せを望んでるんだ!お願いだよユィリ!どうにかしてくれ!」
枯れた声で叫ぶように、悲鳴のように妖精が小さな身体から精一杯の声を張りだした。
一瞬の沈黙、クロの嗚咽だけが室内に響いた。
ユィリは少しだけ天井を見つめて、それから黙って保管室を出て行った。
「ぐす…」
クロがよろよろと立ちあがり再び萎れたクローバーに相対した時だった。
重そうな金属音と軽快な靴音が同時に響いた。
「…!」
クロの涙で滲んだ視界に映っていたのは見慣れた白衣を纏い、棒付きキャンディを咥えて不敵に笑うユィリの姿だった。
「良かったな、お前のパートナーは天才で」
「…ユィリ!」
思わず涙やら何やらでぐちゃぐちゃの顔を笑顔に変えたクロの顔を、ユィリがデコピンで弾いた。
後ろに倒されるが、だるまのようにクロはぐっと起き上った。
「よし、始めるぞ」
「こ、こいつ蘇らせれるのか!?」
「さぁ?やってみないとなんとも、ネ」
「だ、大丈夫なのか…っ?」
「サァテ。とりあえずお前はこのクローバーに力を送り続けろ。尽きたら俺の力を使え。とにかく全力でありったけだ」
「う、うん!」
クロが自らの力を解放すると、風が起こり周りにあった紙が散った。
妖精は自らより人間の力を使う方が強い力を使う事ができる。
クロの力の吸収力は凄まじく、ユィリは自分の力を吸い尽くされてしまう前になんとかしなくてはならなかった。
「ハァ…」
「どうするんだ?」
ユィリはポケットから糸切り鋏を取り出して六枚の葉を付ける茎に近づけた。
「この葉に力が行き渡らないのが問題なんだよ。だから葉を切って少なくする」
「そっ…そんなことしてヘーキなのか!?」
「力の流れをぶった切ったらオシマイだな。だから俺は集中するから邪魔すんなよ」
「う、うん」
力の流れを読み、気を読むのには少々骨が折れる。
これが大気中に流れるモノだったらともかく、植物に溜まりつつあるモノだと干渉しにくい。
頭の中で力が行く筋にもなって流れていくのが思い浮かび、その都度ユィリは流れを分断させず、最適な道を選びとり、計算して、終着点に辿り着く。
「まず、一枚」
言いながらユィリは慎重にクローバーの葉を一枚落とした。
「…次」
また一枚。
更に一枚。
「…」
このままもう一枚、切り落とせばギリギリ力を満たす事が出来る。
「…さいご」
ユィリが鋏を動かすと、クローバーの葉は二枚になった。
「…ユィリ…」
クロが不安そうに声をもらした。
ユィリは手で作業を続けるように指示する。
「まだだ…コイツの内側からも力を与える」
「そ、そんな事できるの…?」
「こいつ喋ったんだろ?だったら意識は多少あるって事だ…なら…この状態でも契約できるかもしれない」
「えっえー!」
「うるさい」
不安そうにするクロを尻目にユィリは再びクローバーに集中した。
力が集まる終着点…妖精の種。
ユィリは心の中で力を通して語りかけた。
“おい、聞こえているか?”
“…だ、れ?”
途切れ途切れだが、確かに声のような音が耳に届いた。
“俺と契約しろ”
“け…や、く”
“こっちの世界でお前を待ってるヤツがいるんだ、もし…そのモノ好きを見たいっていうなら契約を受け入れろ…シロツメクサの、シロ”
“な…ま、え…シ…ロ”
一瞬ユィリとクローバーの間に光の粒が現れたかと思うと、それはふにゃりと何か細長い形に変わった。
ユィリはその一瞬を見逃さず、それを掴むように手の中にいれた。
すると光は弾けるようにしてそのままユィリの中に吸収されていった。
「…成功、かな?」
「ユィリ!」
気がつけばいつの間にか白い毬のような花が咲いていた。
そして…クローバーの硝子器具の前には小さな小さな姿がひとつ。
背中には二枚のクローバーの羽、白銀の長い髪、クロよりももっと小さいその姿。
「あ…あう。あう…あう」
言葉だったかの、呻くように声を出した白い生き物。
うっすらと開かれた目はクロと同じ碧色。
目を擦りながらゆっくりとこちらを見上げる小さな妖精の姿を、二人は食い入るように見ていた。
「あう…あー…だー」
「おんなのこ!まだ赤ちゃんみたいちっさい!」
「ちったい」
人間でいえば三、四歳といったところだろうか。
クロが言う事を繰り返すように女の子の赤ちゃん妖精は言葉を口走った。
「かわいい!おまえは今日からおれの妹だ!」
「たー…あうー、ちー…うー」
クロが女の子を抱きしめて、その存在を確認するように頬ずりをすると、赤ちゃん妖精はちょっと顔をしかめた。
「あ、そうだ!この子の名前、なんてんだ!?契約、したんだろ!」
「…ああ、ソイツはシロ。シロツメクサのシロだ」
「相変わらず適当だなー。でもいい、可愛い!良かったな!シロ!これからいっぱい、遊ぼうな!」
シロはクロの言う事が理解できてるのか出来てないのか、にこっと笑った。
ふ、とその小さな、小さすぎて見失ってしまいそうな瞳と視線が合った。
シロはクロから離れて、小さな二枚の羽をよろよろと動かすが、途中でペタリと地面に落ちた。
「あーあうーあうー」
「どうしたんだ?飛べないのか?」
仕方ない、という風にクロがシロを抱えて、ユィリの所まで連れてきた。
シロはユィリの手の中にぽんと収まると、指にぎゅっと抱きつく。
「あ。あうー…ああ」
「…」
嬉しそうに笑う顔を見て、感じてしまった達成感。
呆れと、面倒くささと、それからこれから始まるかもしれない面白そうな生活を想像して、ユィリは少し笑った。
「ああ、よろしくな、シロ」
「ういー」
「ありがとう!ユィリ!」
妖精に絆されるなんて自分らしくもない。
だからこんな事をするのは最後の最後。
頭を使うのは嫌いでは無いが、結構しんどい。
舐めていたキャンディの甘い味が舌に染みわたる。
嬉しそうに笑う二人の妖精の姿を見ながら、ユィリはその時、“幸福”の意味をちょっとだけ思い出していた。
「やってみろよ…」
もし本当にクロがシロを幸福にする事ができたなら…その時は有り難く研究に使わせてもらうとしよう。
ユィリはあまり純粋でない笑みを浮かべて、彼なりに妖精の誕生を祝福していた。